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98. 僕が海外で感じた「多様性」と「規律」についての見解

皆さんこんにちは。三浦優希です。

今回は、僕が海外で生活する中で感じた、「多様性」と「規律」という言葉の意味についてお話したいと思います。

まずは「多様性」について

この「多様性」というワード、最近特に耳にすることが多くなってきたように感じます。この言葉の意味を簡単に調べてみると、

・いろいろな種類や傾向のものがあること。
・変化に富むこと。
・幅広く性質の異なる群が存在すること。

といった説明が出てきます。

ここからは完全に僕個人の意見になるので、賛否両論があると分かったうえで書きます。

僕はここ最近におけるこの言葉の使われ方に対して、割と大きな違和感を感じています。

というのは、「みんな違いを受け入れようとしすぎ」ってことです。僕は「もっと、他人のことは放っておけばいいのに。」と思っています。

「放っておけばいい」なんて言うと、「なんて冷徹な人間なんだ」と思われてしまうかもしれませんので、しっかりと説明します。僕がここで言う「放っておく」という意味は、人のことを無視したり、蔑んだり、誰かをハブったりするというものではなく、「無駄に干渉するのをやめるべき」という意味合いで使っています。

「人はみんなそれぞれ違う」ということは大多数の人がわかっているはずなのに、自分と違う人との間でなにか衝突やトラブルが生じてしまうのは、「違うことが受け入れられない」もしくは「無理して受け入れようとしたときに生じるストレス」から起こってしまうのではないかと思っています。

だからこそ、「違いを受け入れよう」と思うのではなく、「違いをあるがまま」にすればよいと思っています。"Let it be"です。どっちかがどっちかに無理やり合わせようとしなくていいし、理解できないんだったら理解しなくてよいと考えています。

この議題は、人種、性別、宗教、文化、出身国、社会的ステータス...というような壮大な事象から、視点を変えれば性格、考え、趣味、好み、というミクロな出来事にも発展してしまう内容だと思いますが、ここでは僕がホッケー留学において感じた内容を例に話を進めます。

現在僕の所属するLake Superior State University(レイクスペリアステート大)のアイスホッケーチームには、8つの異なる国から選手が集まっています。アメリカ、カナダをはじめ、ドイツ、スウェーデン、ラトビア、フランス、スロバキア、そして僕の出身である日本です。

これだけ違う国の選手が混在していると、それはもういたるところで選手それぞれの「違い」が出てきます。(そもそも同じ国でも出身地はみんなそれぞれ違うけど)

それは、行動・考え方・性格など、様々な場面で確認することが出来ます。

例えば、集合時間について。もし選手は朝の10時までにリンクに来なければいけないとなった場合、9時前にはロッカールームに到着し自分なりの準備を始める選手もいれば、9時55分、もしくは10時ぴったりに控室に現れる選手もいます。(もちろん遅刻したら怒られますが)

他の例でいうと、アウェイ遠征の際に、ホテルから試合会場まで行く時間や方法も選手で違ったりします。普段、僕らは試合の日に「第一バス、第二バス」という風に、二つの内のどちらかのバスに乗りリンクに向かいます。これは、早くリンクにつきたい選手もいれば、ギリギリにリンクに行きたい選手もいるためです。この二本のバスよりもっと早く行きたい選手は、可能な距離であればホテルから歩いてリンクに向かったり、UberやTaxなどのサービスを利用する選手もいます。

チーム練習が終わった後にすぐさま控室に戻る選手もいれば、30分~1時間近く居残りで練習をする選手もいます。

試合で負けた後、ずっと悔しそうにしてる選手もいれば、ミーティング後にすぐに防具を脱いで帰る用意をする選手もいます。

試合前の食事である「プリゲームミール」も、その場で食べる選手もいればテイクアウトして自宅で食べる選手もいます。アウェイの時には、自分の部屋で食べる選手もいます。

また、控え室の中では英語以外にもさまざまな言語が飛び交います。それに対して誰かが何か違和感を抱くこともありません。

このほかにも、選手同士で「違う」部分がたくさんあるのですが、そんなチームメイトたちに必ず共通しているものがあります。それは「チームとしての最終的なゴールは同じ」という姿勢です。

ここからは規律の話

さんざん選手それぞれの違いを書いてきましたが、みんなが共通して認識していることは「自分はチームの中の一員である」ということです。つまり、「プロセスがそれぞれ違うだけで目指しているゴールは同じ」という状態です。

これは僕自身の経験談であり定量的データなどがあるわけではないので真偽は分かりませんが、僕は日本古来の文化として「プロセスを統一することで結果を得ようとする」というものがあると思っています。わかりやすい例でいうと、高校野球の選手たちがチームそろって全員坊主にすることなどが挙げられると思います。(野球に限らず様々な学生スポーツチームで起こっていることだと思いますが)また、選手全員に義務化された練習中の声出しなどもこれに当てはまると思います。

良いか悪いかは別にして(実際は悪しき風習の方が多いのだろうけど)、日本は「プロセス(外側の形)を統一することで結束を図る」という傾向が多いと個人的に感じています。

日本国内にいた頃は「このチームに所属している以上、チーム全員が同じ時間に同じ行動をする」というものをなんとなく義務付けられていました。

一方、僕が経験してきた海外のチームはというと、「様々な選手が様々なスタイルで、同じゴールに向かう」というような姿勢が多く見受けられました。これはもちろん、指導者やチームを束ねるリーダーシップなども影響しているとは思いますが、直接的に競技に結びつかない外的要因を無理やり統一させてまで、チームを一つにするというアクションを起こしたチームはほぼありませんでした。(もちろん、遠征中にチームのウェアなどを揃えて着ることなどはよくありますが)

僕なりに、なぜこのように「一見バラバラな選手たちが、必要な時にチームとしてまとまりを見せられるのか」を考えたときに気付いたのが、「規律」の存在でした。

ここに集まっているメンバーは「チームが勝利を手にするために自分がやるべきことを果たすため」にこの場に来ているのであり、そのパフォーマンスを最大限に発揮するために、ある程度自由度の高い権限を与えられている状態だと僕は考えます。人それぞれ自分の力をマックスで出力するための過程はそれぞれ違うので、コーチたちはその部分に対して口出しや制限をかけることはほとんどありません。

それでも、チームが目指すべきゴールとは反対の方向に動いていたり、自分がここにいる理由をはき違えている選手、なすべき仕事を完了していない選手に対しては、注意をガンガン出します。

これが「規律」です。

つまり、目指しているゴールやチームのビジョンを実現するためにメンバーは集められており、それぞれが「超自立」している状態になります。

個人の違いに干渉せず、各々のやり方で準備する。
ただし、目指しているゴールは一緒。
プロセスを無理やり合わせることはしない。
だからこそ、
「そのアクションはゴールを実現するために正しい行動かどうか」
が一つの指標となる

これが、僕が海外で感じた「多様性」と「規律」についての考え方です。

今回は、結構スポーツよりの話になってしまったので、これがすべてに当てはまることは決してないと思いますが、私たちが普段の生活にも応用できる学びはあるのではないか、と思いこの文章を綴りました。

最後に

繰り返しになりますが、

僕は、無理して他人を受け入れる必要はないと思っています。

僕は、無理して何かを統一する必要はないと思っています。

互いに無理して、自分に嘘ついて、他人に嘘ついてまで関係を取り繕うなんて、一番エネルギーを使うしもったいないと考えています。

「干渉しすぎず、あるがまま」にする。

それこそが僕は多様性だと考えています。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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三浦優希


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