120. 価値を広めよう、が実は自分のエゴになっていませんか?
「この競技はもっと世の中の多くの人に知られるべきなんだよ」
「このスポーツの価値をもっと上げたい」
「この競技をなんとかしてメジャースポーツに!」
「もっとお客さんを集めよう!」
こういった言葉を聞いたことがある人はきっと多いはずです。聞くだけに限らず、SNS上などでもこのようなメッセージを目にする機会は増えているのではないでしょうか。
特に、いわゆるマイナースポーツの競技者や関係者、あまりお客さんが集まらないスポーツに携わる方々が口にすることが多い言葉だと思います。きっと、僕自身がプレイしているアイスホッケーもその部類に入るでしょう。(個人的にそこまでマイナーだとは思っていませんが)
今回は、このような言葉に対して僕が少なからず抱いていた違和感について、自分の考えを話していきたいと思います。
「そのスポーツだけの魅力」は確実にあるけど・・
僕はどんな競技であれ、そのスポーツには絶対に何かしらの魅力があると思っています。それが競技の行われる場所なのか、ルールなのか、格好なのか、点の数え方なのか、それぞれ違いはあれど、そこには必ず競技が成り立つが故の魅力というものが確実にあるはずです。そのスポーツでしか味わえない体験、価値、非日常性、雰囲気、盛り上がり、エンターテインメント性などがどこかに確実に存在します。
一方で。
「それがなくても問題ない、人生には影響がない」という人が世の中の大半を占めているのが現状です。こういった人たちに対して「このスポーツを盛り上げたいんです!」と伝えたとしても、「いや、別に私にはなくても大丈夫です」ってなることは、事実としてきっと多いはずです。
言ってしまえば、それがなくてもすでに幸せな人はいるし、それがなかったところで人生には何の影響もないという人たちが過半数を占めています。
染まっている側の目線
そのスポーツに染まっている側(当事者側)としては、
「なんでこの競技は広まらないんだろう」
「なんでこの競技を楽しく思ってくれないんだろう」
「こんなに素晴らしいのに何で人が集まらないんだ」
というように、その競技は絶対に面白くて誰もが楽しめるものなのに、周りの人たちがそれに気づいていないだけと考えがちです。
ただ僕は、当事者の目線だけで考えるのは早計かと思います。人それぞれ好みや苦手があるように、その競技がどれだけ自分にとって魅力的だったとしても、それが他の人にいつでも当てはまるわけではありません。
僕自身、小さい頃からアイスホッケーを続けてきたわけですが、純粋にこの競技はとても面白いものだと思っています。例えばの話ですが、アイスホッケーはスケートリンクで行われること自体レアだし、かっこいい防具も来てるし、激しいコンタクトプレーもあるし、スピード感だってめちゃくちゃ速いし・・・と考えていけば、アイスホッケーには他のスポーツにない魅力がいっぱいあって、いつしかその感覚は「これはもっと多くの人に知ってもらうべきだ」という考えまで発展しそうになります。
ただこれはあくまで染まっている側の目線です。例えば初めてアイスホッケーを見に来た人にとっては、「寒いし、選手の違い分かりづらいし、ヘルメットしてて顔見づらいし、パック動くのが速すぎて何が起きているかわからない」と感じる人だってきっといるはずです。
当事者はいつだってどんなときだって「もっとこのスポーツが国内で人気だったらいいのに」と思うものです。そのスポーツに深くかかわっていくほど、その競技がどうしても”かわいく”思ってしまうものです。
しかし、「自分が広めたいから」という理由だけでその競技を他人に無理やり発展させようとするのは、単なるエゴになってしまうのではないか、というのが僕の考え方です。
なぜならそれは、自分の幸せだけが先行しているからです。
もし仮にアイスホッケーが日本に深く広まったとしたら、きっと自分はハッピーになるだろうけど、その一方で他の方々は、本当に幸せになるのでしょうか。正直な話をすると、僕が情報発信を始めるときに、SNSを使う目的を「アイスホッケーをメジャーにするため」にしなかったのはこのためです。本来そのように使うはずではなかった貴重な人生の時間の一部をこの競技に費やすことは、果たしてその人にとって本当に幸せなことなのかを考えたときに、答えが出せませんでした。(考えすぎかもしれないけど)
競技を勧める側にもそれなりの責任はあるよなあ、と僕は思っています。
染まっている側の人間からすると、「もっとこの競技の魅力を広めて、もっと価値を上げて、あれもやってこれもやって・・・」というような思考に陥りがちではないでしょうか。
本当に大切なのは「その人がどう感じるか」
その競技を広めたい、もっと多くの人に知ってもらいたいという思いは本当に素晴らしいものです。尊い感情だと思います。実際にそのような方々の熱量がきっかけで、そのスポーツに初めて触れる人たちは大勢います。むしろ、こういった方々がいなければその競技の認知度や新たなファンというものはなかなか増えていくことはないはずです。その競技を愛していて、「この面白さを他の人にも味わってもらいたい!」という発想になることは全く不思議なことではなく、むしろかけがえのない感覚だと思います。強い愛を持った方々が同じ輪の中にいてくれることは本当に幸せなことだと思います。
だけどその前に、これを自分が他人に広めることによってその人にどんな幸せが訪れるのかを、まずは考えることがとても重要ではないかなあと思っています。
つまり「自分がこうしたいから」ではなくて、「他者にこうなってほしいから」という考え方。
勧めることで、広まることで、ただ自分が気持ちよくなって終わるだけではなくて、本当に大切なのはその人たちがどのように感じるかです。そして、相手の受け取り方は常に自由であり、決して強制されるべきものではありません。
もしその競技を勧めたときに、そこで「面白い!」と感じてくれた人がいたならもっとアプローチしてもいいと思います。
逆に、「これは私はちょっと興味ないかな」と感じた人に対して、「なんでこれの面白さがわからないの?」というスタンスになるのではなく、「そうか!少しでも話を聞いてくれてありがとう!」といったようにその人の好みや感じ方に対して寛容にいるべきです。
自分の”絶対”はまわりの”絶対”ではありません。
自分のことももちろんそうだけど、周りがどうしたら幸せになるのかを考えて、その上でアイスホッケーがどんな役に立てるのか、そのスポーツがどういう形でその人の幸せを実現できるのかを想像することが大切だと僕は思います。
今回はスポーツを例に出して書いてみましたが、これはスポーツに限らず、ビジネスから友人との付き合いなど、人生において多くの場面で当てはまることかなあ、と思いました。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
三浦優希
P.S
Voicyをツイッターで載せたときの周りの人の反応を少し載せます。
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