女性から見た「理解のある彼くん」現象
Twitterで「理解のある彼くん」なる概念がたびたび話題に上がる。
生きづらさを持つ女性(著者本人)が主人公で、精神的な問題や発達障害を抱えていて普通に生きていくのが困難だが、でもそんな私にも理解のある彼くんがいて、彼くんに支えられてなんとか生きていけます……的なコミックエッセイ風のマンガだ。
だいたいそのページだけ切り取られたものが回ってくるので、前後を知らないまま何か言うのは良くないと思うのだが、あまりにも気になってしまう概念なのでこれについて考えようと思う。
Twitterでの反応は肯定的なものは少なく、だいたい羨ましい、見つからないんだけどほんとに彼くんっているの?、女ってイージーだよな、とか、だいたい皆さんクダを巻いていらっしゃる。
かく言う私も巻いている1人だ。巻くだけじゃ飽き足らず発破してやりたくなるが、彼くんなるものがどこにいるか分からないので発破もできない、残念だ。
私は理解のある彼くんがいない、ただの生きづらい女性だ。
現在私は精神疾患と発達障害を抱えて、障害者手帳を取得して働き、自活している。家族はアレ過ぎてほぼ縁を切っているし、結婚もしていないし、もちろん理解のある彼くんもいない。
とてもつらい。
私は成人してから障害を持つ人や生きづらさを抱えた人が描いたコミックエッセイをよく読むようになったが、それは何より自分のような辛い人々がどうやって人生を歩んできたか参考にするためだ。私にとってこの手のジャンルは娯楽漫画ではなく参考図書なのである。
幸い私が実際に購入したコミックエッセイには彼くんモノ(AVみたいだ)は無かったのだが、こうして改めて考えると私のイラつきポイントは1つである。
チートキャラを出すな、これに尽きる。
雷神シドがチャプター1で仲間にできたらどうなるか、ナイツオブラウンドがノーコストで最初から使えたらどうなるか、もちろんバランス崩壊不可避であり、クソゲー認定待った無しである。
これと同じ(?)ことで、突然脈絡もなく理解ある彼くんというチートキャラを出されても、読む側は困惑してしまうのだ。
これはおそらく描き方の問題も大きいと思う。よく考えたら生きづら女子に彼くんいても別にいいじゃん、と思うのだが、雷神シドが終盤にならないと仲間にならなかったり、海チョコボがないとナイツオブラウンドが取れなかったり、そういう苦労過程が一切描かれないあたりがこの手のエッセイが拒否感を持たれる要因なのだと思う。
彼くん自体にイラつくのではなく、彼くんをチートキャラのように見せてしまう描き方が私の好みではないのだ。そしてその描き方に若干の恋愛/結婚マウティングマウンテン要素を見出して無駄にイラついてしまうのかもしれない。
最近は昔より結婚や男女交際が人生の救いになるとは考え辛い時勢になりつつあると思う。10年前だったらこの手のマンガはもっと許容されていたかもしれない。
しかし「ひとりでしにたい」の那須田くんが言ったように、この世はもはや令和で、男女問わずパートナーを見つけ結婚したら万事オッケー☆と言う発想は平成どころか昭和で、それこそイージーな発想なのである。
私が今求めているのは、家族やパートナーに依らず一人でサバイブするコミックエッセイだが、もしかしたらそれが世に出ることは案外少ないんだろうかと思っている。潜在的には多く存在していても、表現するまで到達できず、私と同じく生きづらい彼ら彼女らも、もはや生きているだけで精一杯なのだと思う。ほんとこの世は地獄だぜ。
一人サバイブエッセイ、もしあったら誰か教えて下さい。