その日は突然やってきた。〜介護職員が介護の仕事を辞めたその後②〜
↑①は上からどうぞ。
どれくらい泣いたのだろう。
辺りがすっかり夕暮れになる頃、がらんとした父の家に1人、立ち尽くしていた私は、あんなに毒親で大変な思いをしてきたはずなのに、解放されたはずなのに、孤独感に苛まれていた。
小さい頃、離婚という親の都合により、母と妹が突然居なくなった、あの日のように。
もう、この世に母も居ない。父も居ない。
妹は、両親を上回る毒妹で事情があり、縁を切っている。
何故、こんなに私は肉親と縁が薄いのだろう。。。
…「遅くなった。ごめん。」
ダンナが、仕事を早退して駆けつけてくれた。
運輸関係の仕事なので、すぐに帰る事は難しく、仕事のキリの良い所で、上司から聞かされたらしい。
父の死が信じられず、何処の義父の話ですか?と聞き直したという。
ダンナを見て、孤独感と不安感で真っ黒になっていた私の心の中心が、ぽうっと、火が灯ったようになった。
…そうだ。私には家族がいる。
両親は失ったけれど、ダンナも子供たちも居る。
ここで、生きているんだ。
娘が部活から帰って来た。事情を話すと、彼女も声を上げて泣いた。
幸せな人だったと思う。
生き方が下手で、人に依存し、毒づいてその場凌ぎで、決して好かれていた人ではないはず。
でも、こうしてみんなが寂しいと泣いてくれる。
生きていた頃は、自分はどんな死に方をするのか、人は魂になるのだろうか等と常に話していた。
眠るように息を引き取り、理想的な死に方だと思う。
仕事で心身共に疲れ果て、休養していた私が復帰をした初日のこの出来事は、まるで父から
完璧にやろうと思わなくていいし、万人に認められる必要もない。なるようになる。もう少しだけ、ゆっくり歩き出しなさい。
と、言われている気がした。
葬儀場は、仮眠室や台所、ダイニングがついていて、まるで別荘のようになっていた。
自宅も目と鼻の先ではあったが、居心地も良く、家族全員が葬儀場で父に話しかけながら、ゆっくりと時間を過ごした。
大柄で骨太な父は、湯灌をしてもらう時、女性スタッフ2人でもよろけてしまうくらいで、何だか申し訳ない気持ちになった。
介護士として、亡くなられた方の遺体のケアができる、看護師や葬儀スタッフの方々を心から尊敬する。
私達は、生きている方だからこそケアができるし、高齢者の方がこちらの肩等を持ってくれるからこそ移動移乗も行えるが、遺体の正味の重さや、硬直した身体、皮膚のケア等とても想像もつかない。
葬儀スタッフの方々からすれば、介護士の方が生きている人を相手にせねばならない事の大変さがあって、私達にはとてもできませんと仰って下さっていた。
違職種ではあるが、近しい職種。勝手に親近感を覚えずには居られなかったし、この気持ちも、ずっとずっと忘れずにいよう。と、心に誓った。
③に続く