12年前のロックの日 (6/9)にバンドを始めた
今日から12年前の2010年6月9日に大学でバンドを組んだ。ギターとベースとドラムという3人編成。最初に合わせた曲はたしか GREEN DAY の Basket Case だったかな。作曲や作詞もはじめてみた。当時は KOKUYO のノートにコードをシャープペンシルで書き殴りながら歌詞もそこに書き込むスタイル。そして、弾き語りでメンバーに共有して、スタジオでこねくり回すスタイル。まぁありがちなスタイル。そのノートは今でも本棚にある。もう使ってはいないけど。なぜかノートの最初のページには数学の行列の積を勉強している記述が。なんでこれ使ったんだろう
ライブは毎月とかは全然できなかったけど、ちょくちょくやった。基本友達を呼ぶスタイルで。お客さんは少ない時が多かったけど、赤字でも打ち上げは楽しかった
2012年にはワンマンライブもしていたみたい。最初で最後だったかな。新宿Marble さん本当にありがとうございました。
とても多くの人が集まってくれた記憶がある
社会人になっても活動は続いた。仕事の合間、曲もちょくちょく書いた。Bunny のレスポールタイプから Gibson のレスポールにメインギターが変わった。今でもメインのギター。多分これからも
CD も作った。BASS ON TOP 池袋西口店には本当にお世話になっていて、レコーディング (自体はサンプラザ中野店) やったり、ライブに多く誘ってもらったり。複数バンドでのレコ発ライブやったり
Zirco Tokyo は100人くらい集まっていてとてもとても気持ちよかった。ただ持ち時間延長して、延長した分、イエガーマイスターを飲まされて死んだ
メンバーもちょくちょく変わったりして、最後はギターとドラムの2ピース編成になった。そして、コロナ禍になり配信ライブも数回やったりしてみた。自分やメンバーのライフステージも変わって、集まって合わせるということは少なくなっていった
なんかやりたくて弾き語り cover を YouTube にアップしたりもしていた。今は、DTM でバンドの曲リメイクしたり、新たな曲を作ってみたりしている
特に何か言いたかったわけでは全然ないんだけど、ふと振り返りたくなって書いてみました。自分の音楽の始まりは中学3年生、大阪・心斎橋の三木楽器で Fender Japan のストラトを買うところなんですが、こんなに自分のアイデンティティの1つになるとは全然思っていなかった。その時一緒にいた友達は今でも音楽をしっかりやっていて、本当にすごいなーと思う
自分も自分のやり方でやっていきます。今でも細く続けられていて幸せです。ありがとう!
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