一筋の光明。 ~Inamin Town2周年に寄せる~
2022年6月1日、17時30分。
SMAから飛び立って、Inamin Townが独立体制で「街びらき」をした。
そんな伊波杏樹さんの"羽音"を聴いた記憶が鮮明さを保ったまま、まる2年が経った。
2周年、本当におめでとう ――――――
添える言葉は月並みな言葉であってもそれでいいんだ、そういう自身をつけさせてもらった場所。
それが「人間としての本当の強さ」だと今でも信じてるってのは、2年前の今頃だと想像すらしてなかったろうね。
―――――― 居場所なんてある訳ねえだろ。
大学院M2の私は、就活という厳しい現実の前に居場所を無くしかけていた。
院生なのにこれだけのお祈りメールの山。今思い返しても無能極めてんな、私。
担当教授とは修復不可能なまでの溝もできてしまい、先行きなどまるで無い。
無為に過ぎていく日々を前にして、ただただ浮遊するだけの私は、リクルートスーツのまま大阪の街を徘徊していた――――――
自暴自棄もいいところだった6月1日の夕刻、私は帰りの電車の中で信じ難い光景を目にした。
ずっと大好きで憧れていた街に、
私の住居ができていた。
この方ずっとホームレスのような気持ちの持ちようでいたところ、急転直下、やっと暖かい布団の中で寝れる空間ができたような気分。
しかし、まだお隣さんだったり近所のいな民との会話なんて、考えてもいなかったためか気分的にはまだ家にひきこもったままの状態。
ただ、そんな状況を打破していくには時間はかからなかった――――――
2022年7月23日。Toi et Moi(とわえもあ)。
初めてこの時にいな民の『新しいお友達』ができた ―――――― 私の荒んだ心に差した一筋の光明だった。
『こんな私でもいいんですか』
実のところ、内定も卒業出来る確証もまるで無かった中での現地参戦で、つまるところ捨て身だった。
ちょっとたどたどしい感じはあったかもしれないけど、私にとっては間違いなく歴史的瞬間だったのだから、人生何が起こるかわからない。
―――――― そしてこの年の10月、やっと就職先が決まった。
会員証名前書き生配信は、修士論文執筆中に研究室でずーっと垂れ流しにしていた。
これさえ乗りきってしまえば、一生の宝物が手に入る。そのモチベーションだけでひたすらにゴリゴリ書いてたんだと思う。
そして、公聴会も済んで修士課程修了がほぼほぼ決まったタイミングの2月28日、私は「その宝物」を手にした。
就職お祝い・修了お祝いとして有り余るほどの「存在証明」を手に入れたといっても過言では無い。
正直内心、肩身が狭くて"現場"というのが息苦しくて仕方がなかったもんだから、こんなちっぽけな私に伊波さんが手を差し伸べて光を灯してくれたのが本当に嬉しかった。
しかし、本当の戦いはここからだったのかもしれない。
2022年12月25日。伊波さんやいな民にとってはこの日がXデーだったとは、過去の自分には全く想像の余地もなかったはずだ。
役者人生の終焉まで頭によぎったこの年の秋。
―――――― 何故そうなるまで気づいてあげられなかった。
―――――― 一番辛かっただろう時期に私は何をしていたんだ。
―――――― 喜びの裏で誰かの悲しみは必ずあると、そういう当たり前のことになぜ気づかなかった。
自問自答しては、もう涙が止まらんくて。
無力感とか脱力感が、急に襲ってくるもんで。
でも、ため息ついてられる時間はなかった。
「自分が今頑張れることを最後までやり切る」こと、「これまで繋ぎ合わせてきた"光"を絶やさないようにする」が、私が今やるべきことだと。
―――――― そして、卒業したら伊波さんを全力で応援しに行く……!!
―――――― そして、2年目はあっという間に過ぎていった。
アーティストデビューを皮切りに、舞台やゲーム、そしてAqoursとしての充実した日々。
伊波さん自身も、不安が拭えない日が多少はあっただろうけど、役者を続ける執念がアーティストデビューに繋がったんだろうと信じてやまない。
もうここまできたら諦める選択肢はない。
私だって挫けそうな時はあるから、「推しに誇れるほど本当に強くなった自分」を創り上げるために努力は惜しまないし、すぐ挫けそうになるネガティブな自分を決して否定しない。
―――――― だって、"弱虫"はとっくに卒業したんだからね。
弱虫卒業ってのは、弱さを受け入れるってこと。
これが、強さに変わってくってこと。
伊波さんにも誓った約束は、3年目も変わらず守っていく。
2024年6月4日
中井みこと
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