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喜劇とは何のためにあるか。〜DisGOONie 十三夜 観劇レポ〜

おこんばんわ。中井みことです。

2024年1月11日。EX THEATER ROPPONGIにて、"エンタテインメント集団" DisGOONieの13回目の舞台「Go back to Goon Docks」が開幕。
今回は異例の「3作品同時興行」で、脚本家・演出家にして"船長"の西田大輔さんが過去に手がけた3作品を、「原点回帰」の意を込めて一挙上演。
1月21日の「チックジョ〜」の大千穐楽まで11日間・計15公演。
EXシアターは大盛況でした。

かねてからこの"勇猛果敢に大海を突き進む海賊船・DisGOONie"に憧れていまして、今回遂に航海(観劇)が叶うことになりました。
昨年7月に観劇した「Arcana Shadow」は、作・演出は西田大輔さんであるものの、DisGOONieとは違ったパーティで構成された舞台。
つまるところ、今回私は初めて"この海賊船に乗る"ことができたのです。

今回は、1月14日に上演された「十三夜」の3日目を観劇した時のレポをお送りしたいと思います。

※備忘録みたいなものです。(恐らく)とてつもなく長いです。大千穐楽も終わっていますが、念の為ネタバレにはご注意ください。
※場面によって記憶にムラがありますこと、ご容赦ください。


船首に遂に立った伊波杏樹さんの勇姿。

ポスターのセンターにミランダとして立つ伊波さん。


伊波杏樹さんの"海賊船DisGOONie"との出逢いは2021年初頭。舞台「GHOST WRITER」、コンスタンス役。
一度の無念を挟み、漸く西田大輔さんと巡り逢った伊波さんは、西田さんの大きな期待とともにDisGOONieの世界に飛び込みます。
その後も「MOTHERLAND」へのゲスト出演、そして昨年の「Arcana Shadow」。月日を追うごとに西田さんや船員の皆さんとの信頼関係を深めていきます。
そして今回の13回目の船出は、遂に伊波杏樹さんを海賊船の船首に据えての出航。
役の名は「ミランダ」。

念願。遂に迎えた伊波さんの晴れの舞台。いな民一同、「十三夜」のトップにクレジットされた伊波さんの名前を見て、本当に驚きました。

そして私が選んだ行動はただ一つ。「Inamin Townの先行でチケットを当てる」こと。主演舞台で伊波さんが勝ち取った枠で観劇するということは、伊波さんからのこの上ないプレゼント。裏を返せば、これで伊波さんのことをチケット枠という形で応援できるということでもありました。

しかも驚きなのが、作・演出の西田大輔さんが伊波さんとともに舞台に上がるという事実。
そして西田さんの"両腕"の村田洋二郎さんや田中良子さん、ミランダの姉のオリヴィア役の文音さんなど、非常に心強いメンバーでの船出。
さあ、ここから伊波さんが連れ出してくれた「壮大な航海」の始まりです。


DisGOONie、出航だーーーー!!!!




冒頭。伊波さんの名演で全てを悟る


【以降、ネタバレ注意。】



上空を飛行機が至近距離で飛び回り、機銃掃射の銃弾なのか、人が戸を叩く音なのか。暗く小さな空間の中に響き渡る。
隅でうずくまり、怯え泣いている1人の少女―――――ミランダ。
ずっと握りしめていた"一冊の本"を声に出して読み、そして歌い。迫り来る恐怖を紛らわそうにも、降り注ぐ鉄の雨の音はミランダの心を打ち砕く。それでもミランダは嗚咽しながら朗読を続けていく……

「どうしてこんな目に……」


このワンシーンであらゆる背景が浮かび上がってくる。ただ命が脅かされてるだけではない、ミランダが思い描いていたであろう青写真が蹂躙されてしまったのだろう。


「戦争」のせいで。



音効から気づいたところもあるものの、大半はミランダを演じる伊波さんの嗚咽、そして悲愴漂う伊波さんのセリフ運びから感じ取ったものです。
ミランダが読んでいたのは、シェイクスピアの戯曲「十二夜」。これを半ば想い出を噛み締めるように朗読していたということは、ミランダがこの先ずっと演じるはずだったという事実を示すシーン。

絶たれた想い。悔しさというよりも、
何も抵抗できず想いが崩れ去る「悲しさ」。


……あれ?この感情に、既視感を感じる。
これは偶然ではなく、必然かもしれない。
それは、伊波さんのこれまでの歩みを知る人なら、きっと分かってくれることでしょう。レポの最後にそれを綴ることにします。

そして、この時点で"近代史で最もおぞましい歴史"を描いた作品であるということを、冒頭で示していたということも……。



愉快な街の住人たち


ミランダが暮らす街。
重大事件ひとつも起こらない「とても穏やかな街」。

そんなのどかな街の一角に、昔劇場だった建物を居抜きで作ったコーヒー店がある。それがミランダの暮らす家である。

弟のグローネ。(中西智也さん)
ごく普通の少年。家のコーヒー店を手伝わず遊び呆けては、いつも姉のミランダにホウキでシバかれてる。

グローネの親友のランダー。(星野陽介さん)
将来の夢は軍人になることで、この街に"憧れの"兵隊がやってくると興奮気味になって、グローネに熱弁をかます。

ミランダ「とうとう追い詰めたぞお前……!ドタマの穴かケツの穴か。どっちか選べ……!」
グローネ「あ、頭に穴はねえよ姉ちゃん!!」
ミランダ「じゃあケツの穴だァァァ!!!」

(正確には憶えてないので意訳。)

普通ピー音入るて。案外伊波さんは色んなコンテンツで、役としてこういうことたまに言ってはいるけども。
それにしてもホウキを如意棒みたいにぶん回して、グローネを(たまに親友のランダーを)シバき回してるのを見たら、

「いや西田さん、伊波さんの殺陣

お気に入りすぎでしょうよ。」


これは見るからに殺陣の剣さばき。こういうところで要素をぶち込んでくるのは、ひとえに西田さんのディレクションの引き出しの多さと伊波さんの対応力に尽きると思います。

また、ランダーにも将来の壮大な青写真が存在していました。将来はかっこいい兵隊になって、誇りを持って祖国を護り、勇者の如く街に帰ってくる。軍隊に対する勉強も非常に熱心だったのでしょう、熱弁が止まらない止まらない。
そして、後述の大佐が街に現れるとすかさず敬礼。
しかし、ランダーの示したその敬礼の手は、"新しいポーズ"に矯正するよう言われ……

姉のオリヴィア。(文音さん)
ミランダとは対照的にとても落ち着いた性格で、両親不在のこの家でオリヴィアがこのコーヒー店を切り盛りしている。
ミランダのことを母親のように見守り、少し心配性だけど、ミランダのやりたいことについてはしっかり背中を押してくれる。


街の駐在官のコットン。(瀬戸祐介さん)
コットンに片想いを寄せる女性のエル。(こぴさん)
駐在官として街を守る存在であるも、後述の「泥棒」を捕まえる以外は何もやることの無いコットン。
エルは、この街に住み込みで働く女性。普段はミランダと同じように「負けん気がものすごく強い」パワフルな性格で、あのかわいい見た目から想像できないほど「高飛車」。しかし、コットンに対しては完全に猫かぶって甘々。

登場シーンで手編みのマフラーをコットンにプレゼントするところでは、"泥棒たち"と交錯して物凄い剣幕で怒鳴り散らす反面、コットンには猫なで声で擦り寄りデレデレ。
こういうキャラクター、大好き。伊波さんも得意にしてそうなキャラ。それに、剣幕のデカさならこぴさんも負けてない。


軍人のゼッペン。(樋口裕太さん)
実はコットンと親友であるが、なかなか泥棒を捕まえられないコットンに業を煮やし、度々いがみ合っている。
冒頭のコットンとのやり取りから見るに、親友関係であるものの半ば腐れ縁みたいな状態。ゼッペンの「祖国を護る」信念とコットンの「この街だけを護る」信念とのぶつかり合いで、やり取りはぶっきらぼう。拳も飛び交う。しかし、その中でも気兼ねなくお喋りできてる関係を観て、その後の展開を考えると後々になって心打たれるシーンになりました。


オーシーノトービー。(村田洋二郎さん&佐久間祐人さん)
この2人がこの街の「木泥棒」。
後述する大佐から、この2人を捕まえる任務が与えられた軍人たち(ゼッペン、ギルティなど)と駐在官のコットン。
しかし、のらりくらりと逃げ回る2人はなかなか捕まらない。しかも結構コミカルに逃げ回り、口も相当達者。

2人が集めていたのは「木」。何の変哲もない木の枝。何故こんなものを泥棒してたのか。しかも、何故盗んでも金にすらならない「木泥棒」を軍が嗅ぎつけてきているのか。はたまた、何の変哲もない木の枝が「国の所有物」だというのは、一体何故なのか……。

佐久間祐人さん演じるトービーは、風貌が"某菓子メーカーの関西限定商品"のアレに似てることから「カールおじさん」というあだ名がつきました。
なんでこんなに強烈なインパクトやねん。それもそのはず。劇中で"その袋"を掲げ、おどけて見せたトービー。会場は勿論爆笑の渦。



そんな個性的な街の住人の心を一つにする存在。
それが、「十二夜」です。
セリフの言及から察するに、少なくとも13年前から演じられている作品。街の住人たちは、"忽然と姿を消したある人物"の存在を懐かしみながら、あの頃に演じた十二夜の想い出を語り合うほどに、住人にとってはこの街のアイデンティティに。

その十二夜に大きく関わっていた、演出・脚本担当のトリスチャン。(平山佳延さん)
トリスチャンの弟分のゲーブル。(一内侑さん)

何度か稽古のシーンが演じられている時、この2人の「十二夜」という舞台に対する情熱が凄かった……。
2人が中心になって行われる、劇中の台本読みのシーンですが……

  • 「コットンとのデート」に間に合わすために他に強くあたるエル

  • あまりにもセリフ読みが大根すぎるオーシーノ (村田さんのズブ素人の演技が上手い……)

  • ゲーブルにカンペ係をやらせる程セリフ覚えが悪いのに、大物俳優の態度のトービー

稽古は常にひっちゃかめっちゃか。それでも「喜劇」らしく笑い声とユーモアに溢れた場に包まれていきます。……いくら「喜劇の裏側」だとはいえね。


しかし、これとは同時並行に「13年前の十二夜の稽古風景」もストーリーの中に織り込まれることになります。

現在の"下手っぴ"な十二夜と、13年前の"洗練された動きの"十二夜。この対比関係は「場面転換を感じさせず」「時間軸が混濁とした状態で」ストーリーが進行していきます。
それでも、この2つの場面の違いが明確に分かるポイントを挙げるとするならば、後述の"ある人物の有無"が大きく関わっていると、言いましょうか。


現れた1人の「男勝りな」女性。


ある日。店のフロアでボーッとしていたグローネの元に、1人の謎の人物が現れる。

「アイスコーヒーをくれ。」

グローネは慣れない手つきで豆を挽き、やっとの思いでアイスコーヒーが出来上がった。謎の女性の元に運んでいくも、そこに女性の姿はいない。
しかも、テーブルの上には「袋に入った大金」が。

仕方なく自分で作ったアイスコーヒーを飲もうとすると、姉のミランダが帰ってきた。
「おいテメェ!!勝手に店のコーヒー飲みやがって!!その金も、テメェが稼いだものでも無い癖に!!」といつものようにグローネを追いかけ回しホウキでシバくミランダ。
……と思ったら再び女性が戻ってくる。

ミランダ「お見苦しいところ見せてすいません〜。すぐお出ししますんでェ!!」
『お前はそそっかしい奴だな』

(この辺も意訳です。)

お気づきでしょうか。この男らしい口調や仕草。ショートカットに黒いハット。そして腰に着けた長剣。
この人こそが、ヴァイオラ。(田中良子さん)
十二夜に登場する「ヴァイオラ」と名前は一緒で、劇中での性格通りに"男勝り"。……というよりも本格的に男装をしていました。

会話はこの店の名前の由来(※)に移ろいます。
ミランダ曰く「お姉ちゃん(オリヴィア)に訊いても明確な答えは教えて貰えなかった」と。それでもミランダは、「この店、昔は劇場だったんですよ。雰囲気いいでしょ?」と話した件から、ヴァイオラの過去に繋がる話に展開していきます。
(※)店名は忘れてしまったので、判明次第追記します。

するとミランダが目を離した隙に、またヴァイオラが姿を消します。そこには、一度は受け取るのを断ったはずの「袋に入った大金」と、「緑色の封筒」がテーブルに置かれてありました。
そして、そのタイミングでオリヴィアが戻ってきます。この緑の封筒に驚いたオリヴィアは……

オリヴィア「ミランダ。この封筒をさっきの人に返してきなさい」
ミランダ「え?なんで?」
オリヴィア「理由は何だっていいのよ、「この封筒は受け取れません」って言って返してきなさい」

オリヴィアの何時になく差し迫った表情を見る限り、ヴァイオラに何かしら特別な感情を持っているものだと、私は思い始めました。
そしてミランダは、特に深く疑問を持たぬまま街へと出かけていきました。


戻ってきたヴァイオラと、現れた大佐


「13年ぶりに、ヴァイオラが帰ってきた!!」


ヴァイオラはふらふらと街を歩き回り、行く先々で「なぜ今になって戻ってきた?!」と昔からの知人たちに驚かれる。
それも、ヴァイオラはこの街にとっては特別な役目を果たしていたからこそ。

実は、この街で演じ続けられてきた「十二夜」の重要な登場人物「ヴァイオラ / シザーリオ」を演じてきたのが、"たまたま(?)名前が一緒だった"ヴァイオラだった。
物語では、船の遭難で生き別れた双子の片割れのヴァイオラが、身を偽るため男装して「シザーリオ」になりオーシーノ公爵に仕える、という流れ。
その「シザーリオ」に適任だった理由というのが、「風貌も性格も完全な男勝りな女性」だったというもの。

しかし、13年前にヴァイオラは忽然と姿を消し、この街の「十二夜」の歴史はフリーズしてしまう。

紆余曲折あって街に戻ってきたヴァイオラを見るなり、オーシーノは「お前どの面下げて……!」と食ってかかり、トービーの奥さんでヴァイオラとは旧知の仲のマライア(大澤えりなさん)は「よくぞ戻ってきてくれました……おかえり!」と嬉々。
ただ、オーシーノとヴァイオラが喧嘩してるところ観たら……


"村田中"夫妻の夫婦喧嘩だよね?これ?



と心の声が漏れそうになりました。
知っている人なら知っている関係。
もし気になる方がいらっしゃったら、サクッと調べてみてください。ホホエマです。


さて。緑の封筒を返しに街を歩き回るミランダの周りでは、何やらドタドタ騒がしい雰囲気が。

「木を盗んだ泥棒を捕まえに」軍人がこの街を探し回っていると。

"木"泥棒といえばオーシーノとトービーのこと。飄々と逃げ回る2人に相当手こずる軍人たち。
泥棒たちを捕まえに周りはドッタンバッタンする中、ミランダの元に1人の軍人が尋ねてくる。
彼の名はギルティ。(椎名鯛造さん)

ギルティ「おい。君の持っているその封筒を、一回貸してくれないか」
ミランダ「いや〜ね、この封筒は返しにいかなきゃダメなの。だから嫌です」
ギルティ「借りるだけじゃないか。早く貸せ」
ミランダ「やだな〜、そう言われたってダメなものはダメなんですよっ!と」

(意訳です)

軽い身のこなしでギルティの元から逃げていくミランダ。ギルティが「木」だけではなく、「緑の封筒」の在り処を追い求めるのには訳があった。


大佐のマルヴォーリオ(西田大輔さん)が、
"私用で"緑の封筒の在り処を突き止めたいと、
ギルティに命じた。


実はミランダ、一度緑の封筒を落としてしまっていていた。しかし、オーシーノとトービーの逃走劇のドタバタで街を巡りに巡って、結果的にミランダの元に戻ってきた。
その間に、偶然街にやってきたマルヴォーリオがその封筒の存在を知ることとなった。
マルヴォーリオは、「この緑の封筒は大変珍しいものだ。私はその封筒が気になっている。一目じっくり見てみたいものだ。」と語っているあたり、彼がその封筒の在り処を求めるには「深い理由」があるに違いない。

とはいえ、登場シーンは大佐とは思えぬほど非常にコミカル。

(マルヴォーリオ、こける)
マルヴォーリオ「いって!!!」
ギルティ「貴様ァ!!前を見て歩けェ!!」
マルヴォーリオ「ごめんねぇ〜、ボク前見て歩くべきだったよねぇ〜」
ギルティ「ハッ……大佐!!申し訳ありませんッッ!!」
マルヴォーリオ「いいんだよいいんだよ頭を上げて……」
マルヴォーリオ「ってか!!俺の登場シーン『いって!!!』って何ィ?!
ギルティ「申し訳ありませんッッ!!」
マルヴォーリオ「いやいい!いい!謝らなくたって!!」

(意訳ry)

ビシッと敬礼を受けても堅苦しいと受け流す、やけに"温和でひょうきんな"この男、一体何を考えているのであろうか……。
(後から色々調べたら西田大輔さんのフリーダムさは従前の公演から有名で、後々思い返せばこのシーン含めアドリブでもキレッキレの演技だったと回顧しています。)



演じる。それは難しいことじゃない……?


地下の書庫らしき場所。ミランダは何やら本を読み漁っている。

うわぁー。シェイクスピアの戯曲はホントに面白いねえ。やっぱり喜劇ってこうでなくっちゃ。
……あ、この本。"桜の森の満開の下"だって。
あ!この本は……"チックジョ〜"!!

普段はコーヒー店の仕事で本を読む暇もなさそうなミランダが、こんなにもシェイクスピアや"西田大輔さん"の作品に食いつくなんて。
そしたらミランダがまさかの客振り。
伊波さんにこんなこと言われちゃったら、行きたなるやん……。
※割とガチ目に行く気でしたが、数日前に高熱を出して断念。BDが待ち遠しい。

時間はあっという間に過ぎて本を読み耽っていると、奥から人影が近づいてくる。

ギルティ「……またお前か。いい加減緑の封筒を貸せ。」
ミランダ「うるさいなあ、ダメって言ってんでしょ。心優しい兵隊さん」
ギルティ「その……心優しい兵隊さんって言うのをやめろ。俺は優しくなんか無い」
ミランダ「ずべこべ言ってないでさ、これでも読んでって!」

スタコラサッサとミランダは再び去っていく。ミランダが押し付けたのは、この街で大切に演じ継がれている「十二夜」の原作本らしきもの。
本当は追いかけるべきなんだろうが、この本の中身が気になって仕方ない。そして、ギルティは座り込んで「十二夜」の世界に没頭していく……。


場面は変わり稽古場となったコーヒー店。なんとそこには、ここの住人ではないギルティの姿が。
演技も生まれてこの方してこなかったバリバリの軍人が、「下手くそー!!」「Boo!!」とヤジられながらも必死に演技をする姿。
「十二夜」が元々喜劇であることを考えると、今作の「十三夜」での喜劇らしい最もコミカルなシーンはこのシーンであると、私は考えています。

それと同時に、ギルティには明確な心情変化がこの時に訪れます。

――――――実際には、大佐のマルヴォーリオがこの街の劇団の劇団員としてギルティを仕向ける、というもの。マルヴォーリオ自身も稽古場に赴き、コミカルかつハキハキとしたセリフ捌きで、そこに居たメンバーたちは舌を巻きます。ギルティも見様見真似でやってみるも、"上から言われるがまま"で育ってきた軍人気質がアダとなってセリフや動きはギクシャク。

オーシーノやトービーも「下手くそ!」とヤジってたけど、人のこと言えてないってツッコまれてたな。確か。

本当は"任務として演じる"はずだったけど、だんだん"演じることの楽しさ"が分かってくる。
ギルティの心情変化が"イチ人間としての自我の目覚め"だとするならば、ミランダが教えてくれたのは、作品の楽しさだけでなく「純粋に演技を楽しむ」ことも含まれていたのだろうか。


演じること、歌うこと、笑うことの楽しさを、
あの時伊波杏樹さんが教えてくれた
時のような感情が呼び覚まされた。


自己投影では無いけれども、ギルティの冷たかった心がどんどん温もりを帯びていく様は、まるでミランダが魔法をかけたかのように、我々の心まで温めたに違いないでしょう。

そうすると、この国の軍の大佐ともあろうお方――――――マルヴォーリオが、何故"普通の演劇好き"を"演じてまで"この場に身を置くのか。
つまるところ、ここまで何も考えずに見たらただのひょうきんなおじさん。後半に、戦慄の真実が明かされるまでは……。



終わりの始まり。


周りからアレコレ言われても一向に演技力が向上しないギルティと、それを見守ってきたマルヴォーリオ。
すると、マルヴォーリオからギルティに"緑の封筒"に関する"ある通達"を告げる。

マルヴォーリオ「君に、あの緑の封筒の在り処を調べてきて欲しいと"私情"で命じた訳だが、今刻をもって撤回する。これは引き続き"公務"として在り処を突き止めろ」
ギルティ「そ、それは何ゆえに……」
マルヴォーリオ「緑の封筒。これが何を指し示すか。彼らがユダヤ人であるってことをね!!」


目を背けたくなるような恐ろしい現実。
舞台上は腕章をつけた軍人が舞い踊り、
ナチスドイツの大旗がたなびく。

マルヴォーリオは語る。
ナチスドイツにとってユダヤ人は、
決して認めてはならず、
殲滅しなければならない人種であると。

歴史上最も惨たらしい戦争犯罪、
ホロコーストの始まりである。


そしてマルヴォーリオの正体。
これは恐らく、ホロコーストの実行を指示した
「ハインリヒ・ヒムラー」。


ホロコースト(1933 年~1945 年)とは、ナチスドイツ政権とその同盟国および協力者による、ヨーロッパのユダヤ人約 600 万人に対する国ぐるみの組織的な迫害および虐殺行為のことです。(中略) ナチスがユダヤ人を狙ったのは、彼らが過激な反ユダヤ主義者だったからです。これは、ナチスがユダヤ人に偏見や憎悪を抱いていたことを意味します。

United States Holocaust Memorial Museum(和訳版)


ギルティは思わず言葉を失い、足が震えだす。
さらに続けてマルヴォーリオは、こう切り出す。

マルヴォーリオ「君には、引き続きあの街で演技を続けてもらいたい。ユダヤ人を一人残らず捕まえるためのスパイとしてだ」
ギルティ「な……何故です!!あの人たちは確かにユダヤ人ですが、何も罪になることは……」
マルヴォーリオ「演じなさい……!君はこの集団の中で演じてくるんだ」

「演じる」という行為には、ギルティがミランダに教えてもらった「自分の人生を楽しむため」という目的がある一方で、マルヴォーリオが語ったのは「演じる」という行為を「人を欺くために使う」という目的。


"演じる"という行為が、人の心ひとつで
人の心を温めたり傷つけたりできること。
しかし、人はここまで惨い考えができるのかと、
観ていて震えが止まらない。



そうすると、ひょうきんな大佐としてあの稽古場で舞い踊っていたのが「演技」だとするならば、マルヴォーリオという人柄からすると相当「演技」が上手い。勿論これは"悪意に満ちた"方のそれ。

そして、後々調べてみて恐ろしい事実に気づく。

マルヴォーリオの語源。イタリア語で「悪意」。劇中劇の「十二夜」でも、マルヴォーリオは陰湿ないじめをしていた。
しかし、今作のマルヴォーリオ、"人間としての倫理観の欠片も無い"ことを冷淡とやってのける。それがとにかく恐ろしい。この先、街の人々はマルヴォーリオの"悪意の刃"で殺戮されてしまうのか。ストーリーが進むにつれて震えが止まらない。



君がシザーリオになるんだ。


(※この辺からストーリーの時系列がぐちゃぐちゃになってるかもしれません。ご容赦ください)

惨劇へのカウントダウンが迫り来る中、着々と進んでいく稽古。ふと気になって店内を覗きに来たミランダ。
するとそこには、ミランダがずっと探していた「男勝りな女の人」――――――ヴァイオラの姿が!

やっとの思いでこの人にまた出逢えた。ミランダは笑顔の中に切なさを覗かせヴァイオラに駆け寄ると……

ミランダ「やっぱりこの封筒……受け取れません」
ヴァイオラ「いや。これはお前が大切に持っておくべきなんだ」
オリヴィア「そういえばミランダ。この封筒の中身見てないの?」
ミランダ「見ちゃダメかな、と思っちゃって」

稽古場の皆に促されて見守られる中、ミランダは恐る恐る緑の封筒の中のものを確かめると……


確かに見覚えのある木の枝。
オーシーノたちが集めていたそれだ。



この木の枝は「イチジク」の木の枝であると、オーシーノが明かす。

――――――新約聖書の中に「実のならないいちじくの木のたとえ」という話がある。

それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。

そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。

すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。

それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」

ルカによる福音書 13:6-9

この節の中で描写されている「いちじくの木」はユダヤ人のこと。なかなか実がならないイチジクの木は、園丁(=イエス・キリスト)は1年間手を施し続ける。しかし、それでダメなら切り倒される(=神の裁きにより粛清される)。

一方で、旧約聖書(ヘブライ語聖書)の中にも「いちじくの木」は上記と全く異なる描写がされており、かの有名な"アダムとイブ"がスッポンポンの身体を隠すために使った葉っぱが「イチジクの葉」。所謂「知恵の樹」である。

そう。軍人たちがこんなにも躍起になって「木泥棒」を捕まえようとしていたのかと言うと、この国の異端者であるユダヤ人を捕まえようとしていたため
一方で、オーシーノとトービーがここまでしてイチジクの木の枝を集めようとしていたかと言うと、イチジクの木はこの街に住むユダヤ人にとって大切なものだったため
ユダヤ系民族と"アーリア人種"の相容れぬ関係は今に始まったことでなく、遥か昔からの偏見・差別の関係が根深く残っていたからこそ生まれた。

オーシーノからそのことを告げられ、これまで何も意識せず日々を過ごしてきたミランダは、ショックを受けながら木の枝を持って天を見上げる。

そして、ヴァイオラはミランダの元に駆け寄って、こう告げた。


「ミランダ。お前がシザーリオをやるんだ」



……いや、私にはできませんよ。お芝居なんてやったこともないですし。
あまりにも大きな役をヴァイオラから引き継ぐことに、一旦は否定をするミランダ。
それでもヴァイオラや、稽古場にいる皆に"ミランダがヴァイオラ/シザーリオの役をやるべき理由"を告げられる。


「ずっとお前のことを見てきたが、この街で

"素で"男勝りな女はお前しかいない」


ヴァイオラがこの街に戻ってきた目的の1つ。それは、十二夜のシザーリオの後継者を探すためだった。
そしてこのコーヒー店に置いていった大金。このお金は、「元々劇場だったこの場所を、再び劇場として作り直すため」。
初めてヴァイオラがミランダと出会った時、その時からシザーリオの後継に相応しいと「一目惚れ」したのかもしれない。そういう期待も込めて、ヴァイオラはお金を置いていったのかもしれない。
それほどの大きな期待をかけているヴァイオラだったが、街の皆が稽古場で舞い踊っている中でもミランダは座り込んだまま。プレッシャーなのか、自分には場違いだと思っているのか、戸惑いの表情を見せる。

でもこれは喜劇なんだ。舞い踊り明るく場を盛り上げるトリスチャンとオーシーノ。
「アンタには絶ッ対負けないんだからね!」とライバルとして食ってかかるエル。
……少しミランダの表情が緩んだように見えた。


襲い掛かる「悪意」


ミランダを囲う歓喜の大団円。
すると、グローネが稽古場の中に脱兎のごとく駆け出してきてこう言った。

グローネ「大変だ!大変だよ!軍人たちがこの街を荒らして回ってる!ナチスだか言ってこっちに向かってきてる!」
オーシーノ「なんだと……!どうしてこんなことに」
グローネ「わかんない……わかんないんだ!!」

遂に始まったナチスドイツによる破壊行為。会話だけでも、あまりにも解像度が高く生々しい侵略の様子。
そして、ここにいては危険であると判断し、隠し扉から外に通じるトンネルを使い、とある逃げ場所に身を隠すことになる。


――――――そしてこのナチスドイツの侵略は、軍人サイドでも人間関係を引き裂くような事態にまで発展する。
マルヴォーリオは、まずゼッペンに詰め寄る。

「お前は本来"同胞"のはずだが、ナチスに忠誠を誓い、あの街の人間を一人残らず捕まえてこい。それが出来なければお前を"同胞"として粛清してやる」

ゼッペンはコットンとの関係で述べたとおり、本来はこの街の人間であった。しかし、ゼッペンが忠誠を誓った祖国は、この街のユダヤ人を"排斥する側"の立場だった。
故郷を守るか、祖国を守るか。揺れ動くゼッペンは、とうとう祖国(=ナチスドイツ)への忠誠を誓う意志を固めようとする。

一方のギルティ。この街の人間ですらなく、人種も恐らくこの街の人とは異なる。しかし、スパイとして入り込んだ稽古場で、この街の人の温かみを知る。
祖国を守るか。この街の人の笑顔を守るか。揺れ動くギルティは、答えが出せぬままゼッペンと対峙することとなった。

しかし趨勢の流れはとても早く、彼ら個人個人の意思が固まらぬまま侵略はどんどん進む。


君はこの街の希望だ。


突然奪われた日常。
知らない方が幸せだったかもしれない、あまりにも理不尽な現実。
何時自分の命や家族の命が叩き潰されてもおかしくない状況で、ミランダは1冊の本をひしと抱きしめながら震えていた。

もしかしたらこの街の人々の運命は、今夜で最後になってしまうかもしれない。そこでミランダに、皆がこれまで明かしてこなかった"ミランダ"の生い立ちに関するエピソードを語り始める。

ヴァイオラがミランダに「シザーリオ」を託したのも、緑の封筒に入っている「イチジクの木の枝」をミランダに託したのも。
これも全て、


どんなことがあっても、
家族の命が失われようと、
ミランダは末永く生き残って欲しいから。
すなわち、ミランダは生まれた時から
この街の"希望"である。



街の皆の大きな期待、いや、それ以上にミランダはこの街の皆――――――ユダヤ人の生きる希望であった。
ミランダたちの両親や、トリスチャンやオーシーノなど「十二夜」のカンパニーの皆が、ここまで信念を曲げずにユダヤ人として誇りに想い続けたことを、全てミランダに託していた、ということだ。

家族を失うかもしれない寂しさと恐怖と、これまで街の人々から沢山注がれてきた愛、そして街の人々の想いを一手に背負うプレッシャーで、ミランダはとうとう泣き出してしまった。

それでも、街の人々はめげない。どうせ皆と居れる最後の時かもしれないから、トリスチャン(orオーシーノ)はこう高らかに宣言する。


「十二夜」の大千穐楽、やってやろうではないか!



そして街の皆はこれに答えるように声を上げる。


「ヨウホウ!!!!!」



大団円の中、まだ涙が止まらないミランダにオーシーノが駆け寄って言葉をなげかける。


「ミランダ、いつまで泣いているんだ。

これは喜劇なんだ」


喜劇に涙などいらない。いくらシリアスなシーンがあるとしても、これは喜劇なのだから。最後は笑って過ごすんだ。
街の皆を代表してオーシーノはミランダに「一番大切なもの」を伝えたのだろう。"笑顔の絶えないのどかで平和な街"の象徴としての姿勢を。


凶弾の前に逝く


場面は変わり、外。
退屈な状態が続くと、どうしても外に出ていきたくなるもの。
グローネはふと外の方に出てみると、目の前には暫く会えてなかった"親友の"ランダーの姿が。
「久しぶりだよ!会えなくなったと思ったよ、ランダー今までどこいってたんだ?」と純粋無垢なグローネはランダーを抱きしめる。……その時だった。


一発の凶弾がグローネの腹部を貫く。
撃ったのは……ランダー。



その様子を遠くで見ていたかのように、マルヴォーリオが高笑いをしながら現れる。
かねてから軍人になりたい、と純粋無垢な気持ちで志していたランダー。しかし、彼はその純粋な憧れは汚されてしまい、"何も物言わぬナチスの兵"となってしまった。

大の親友から銃口を向けられるグローネは、未だに信じられず絶望。1人で跪き今にも命の灯火が消えようとしたその時、

「お前!子供に何をしてるんだ!!」


そこに現れたのはトリスチャン。
自らの危険を顧みず、カンパニーの大切な仲間――――――ユダヤ人の大切な仲間のグローネを守る。

それでも容赦なく銃弾を2人に撃ち込み、絶体絶命の状況。
そしてマルヴォーリオは"よもや人とは思えぬ"二択を迫る。

「今ここで"同胞"としてここで命を散らすか」、「"同胞"の居場所を教えて助かるか」。

この場で死ぬのは勿論のこと、居場所を教えるにも、史実通りにいけば、軍人に連れていかれてさらに惨い目に遭うのは確実。
先に決断を下したのはトリスチャン。自らの大切な仲間たちの命を危険に晒してたまるものか。彼らに居場所を教えた先に待つ末路は、火を見るより明らかだ。

そして。マルヴォーリオ自らの手でトリスチャンにトドメを刺した。


目の前で大切な仲間が殺害される恐怖に怯えるグローネ。さあどちらだ。銃口をこめかみに、後頭部に、そして喉の奥に突きつけられ、グローネはこう叫ぶ。


「死にたくないよォォォォ!!!!」



「居場所を教える」というのが破滅への選択肢になることは、まだ"子供"のグローネには十分に分からなかったはずだ。何より、目の前で人が殺害されるという恐怖に怯えきっていたのだから、責めることもできないのだろう。

しかし、その先に待っていたのは想像よりも遥かに悲惨すぎる結末だった。
グローネは軍人たちに連行され、泣き叫びながら深い深い闇の中に連れ去られて行った……。


そして現場に残ったマルヴォーリオとギルティ、そしてトリスチャンの屍。
そこでマルヴォーリオは、「悪魔の極致のような極悪非道の行動」に出る。



この遺体を奴らがいる隠れ家に投げ捨てろ。
奴らに絶望を与えさせてやる。



「マルヴォーリオ」の名の如く、今作中で最も極悪非道のシーンと言っても過言では無い。
そして、ここの内情を唯一知っているギルティにそれを命じるものだから、身内の兵への気持ちなどまるでない。

――――――このシーンを観て、「マルヴォーリオは人間性が終わってる」と十三夜を観に来たいな民が口々に言っていたのがすごく記憶に残っています。いや、ホントにこの役の性格ヤバい……。それを演じ切った西田大輔さんも(色んな意味で)ヤバかった……。



ミランダ、生きろ。


外で銃撃騒ぎがあり、奥の方に集まっていた街の皆は続々と檜舞台の方に集まってくる。
そこには、打ち捨てられたトリスチャンの亡骸が横たわっていた。
トリスチャンの死は、この街の演出家・脚本家を失ったも同義。
師匠を失ったゲーブルは完全に取り乱し、カンペ出しが役者としての命だったトービーは「もうカンペ出してくれる人が居なくなっちまった……」と沈痛な想いを抱く。

そして、ミランダにとっては辛く悲しい瞬間が刻一刻と迫っていた。
弟のグローネは銃で何発も撃たれた挙句軍人に攫われてしまった。
街の人々の強い意志として「ミランダをどのような形でも守り抜く」ため、究極の手段が取られようとしていた。


ミランダだけを最も安全な場所に逃がし、
他の皆は運命を共にする。


グローネの命はどうなったか確認すらできず、姉のオリヴィアとはこれでお別れかもしれない。早く逃げろ、早く逃げろ、と促されるままミランダは隠し扉の下へ。
そしてミランダとともに交わす最後の約束。

「もう一夜越えて、もう一度『十二夜』やりたい。」
「バカ、それだったら『十三夜』になってしまうじゃないか。」

名残惜しい気持ちも沢山ある中で、今日で終わりにしようと心に決めた理由。


私達の喜劇の「十二夜」は今夜限り。
そのもう一夜先は、悪意の笑いに満ちた
「十三夜」に違いない。


一刻の猶予も許さぬほどマルヴォーリオらの殺戮行為が進み、"笑顔に満ちた街の夜"も翌日には叩き潰されてもおかしくない。腹を括った街の皆の覚悟をも背負った「最初で最後の十二夜」。
たとえ次の日の夜を迎えたとしても、もう既にこの街は跡形もなく壊されてしまっているだろうし、待ち受けている「十三夜」は「不吉な数字13」が示す通りの地獄が広がっているだろう。

せめて「十二夜」の生き証人として、シザーリオのように変わり身を遂げさせてでもミランダの命を守り切る。それが、この街のユダヤ系民族の生きた証になるはずだと。

そして、心は今にも砕け散りそうなミランダは、泣く泣く洞穴の奥底へと身を隠した……。


――――――さて、これからどうする。
圧倒的劣勢では、為す術もあるまい。
しかし、その状況でも1人立ち上がった男がいた。


駐在官のコットン。



行かないで!と追いすがる恋人のエルを払い除け、勇猛果敢に軍と対峙することを誓った。
そう。どっちの趨勢に着くか揺れに揺れ動いていたゼッペンやギルティとは裏腹に、コットンは「一貫してこの街を守る」意思に燃えていた。

まだこの男は一つも諦めちゃいなかった。
この心意気にエルも、「かっこいいでしょ?私の彼氏。」とまたコットンに惚れます。
どんなに絶望的な状況下でも、一度決めた信念や誓いは決して曲げずに、一貫して陽気に振舞う。これこそが「街の人々が信じ続けたことの実体」である。



悲しい。


冒頭にも登場した洞穴のような場所。
ミランダは、身をかがめて「十二夜」の台本を抱きしめながら、ぽつりぽつりと本音を零す。

ミランダ「悲しい。悲しい。何でこんなことになっちゃったんだろうって……。」

これは最早彼女にとっては不可抗力なんだ。怒りも悔しみもない。今まで自分が何気なく謳歌してきたこの街での暮らしが、無為に壊されてしまったんだもの。

――――――ここで、私は冒頭で鮮烈に感じた"あの既視感"に再び邂逅することに。


伊波杏樹さんの人生だ。



4年前。未曾有の感染症により潰えてしまった夢。
1年半前。言葉の刃に傷つけられて消えかかった心の灯火。
奇跡は死んでいる。
画面越しに伝えようとしても、どれだけ言葉を紡いでも、徐々に追い詰められていったであろう伊波さんの心。
それでも諦めないでいようとしたのは、大好きな歌と演劇と、大好きな仲間たちの存在。

伊波さんも、ミランダも、救いようもない
窮地に追い詰められたとしても、
きっとこうやって夢見るのを諦めなかった。


色んな伊波さんの演技を見てきた中でも、これほど伊波杏樹さん自身の人生を克明に描いたような役は見たことがない。
今年は奇しくも伊波さんの役者生活10周年の節目。ミランダの表情やセリフ、そして零れ落ちる涙は、伊波さんの役者人生を走馬灯のように見せつけてくる。
普段は本音をほとんど明かさない伊波さんの胸中を、西田大輔さんが脚本を通じて代弁してくれているようで……。
このシーンこそが、ミランダの歩んだ人生の道筋に伊波さんの人生の道筋が重なった瞬間だと、私は今でも強く信じています。


――――――そしてミランダに希望を託したヴァイオラは、遂に巨悪を相手に最後の戦いを挑もうとしていた。
ギルティ、そしてマルヴォーリオは、ヴァイオラだけはどうしても粛清しなければならない理由があった。


かつてヴァイオラは
スパイだった。



第1幕で、ヴァイオラが帰ってきた時に、オリヴィアが、

オリヴィア「たとえ汚い手を使おうとも、ヴァイオラはこの街のために自分を犠牲にして尽くしてきた!」

と語っていたこの「汚い手」とは、かつてヴァイオラが国家のスパイとして暗躍していたことを指す。
勿論これは、この街のユダヤ系民族の殲滅を目的としたマルヴォーリオたちによる仕業。
しかし、ヴァイオラは身分上スパイになるも、心は一貫としてこの街を守ろうとしていた。

軍が送り込んだスパイがあちら側の陣営では、これは紛れもない反逆行為だと、軍人たちは抹殺に燃える。
しかし、ヴァイオラも長剣をこの時初めて抜刀し、襲い掛かる銃弾を跳ね除けていく。

しかし、2対1の劣勢において遂に凶弾に倒れてしまう。


――――――もうこの時になると観ている私は感情が高まりすぎて何が何だかよく覚えていません。


そして、この"希望と絶望が混濁する"物語の、最も核心を突くような「過去の真実」を、マルヴォーリオが明かす。


マルヴォーリオ ―――――― ヒムラーが
一番最初に殺害した人物。
それは、ミランダたちの母親だった。



この物語ではこれまで一切言及のなかったミランダたち3人の両親の存在。
元々劇場で、コーヒー店に生まれ変わったこの家の主は、両親亡き今オリヴィアであることは何となく察することが出来た。
しかし、街の人々が篤くひとつの命を守ろうとしたのが、何故次女のミランダだったのかは、ここまで来ても分からずじまいだった。
ミランダの命を守る理由。まさにこの「悲惨な事件」に関係しているのだと、遂にわかった。

おそらくこの事件が起きたのは、ヴァイオラが姿を消した「13年前」であると推察できる。
まだまだ幼かったが、大切な母を失ってもミランダが逞しく成長していったのを見て、


「きっとこの巨悪にも勝てる力を
ミランダはきっと持っている。」



と街の人々は信じたはずである。
強く男勝りで、なおかつ乙女心も持っていて、そして"演技力"というポテンシャル。
まるで十二夜のシザーリオのように。そして、令和の現代で逞しく"役を演じる"伊波杏樹さんのように。

……でもこんな悲惨な形で彼女のバックボーンを知ることになるとは。あまりにも心が苦しい。



交わした最期の約束。そして現れたのは……


戦火で次々と壊されていく街、それを扉一枚隔てて身篭って。今にも心が張り裂けそうなミランダの姿。

その時、ボロボロに打ちのめされてまで必死に生き抜いたヴァイオラが、ミランダのいる所にたどり着いた。
ここまで命の灯火を消さずに辿り着いたヴァイオラの精神力は、自らの最期の想いをミランダに託すためだけに持っていたようなもの。
セリフこそほとんど覚えていないものの、ミランダとヴァイオラが交わす眼差しは、こういう言葉で喩えられるのかもしれない。


まるで月と太陽。
私の命は月のように沈もうが、
また希望の日差しは街を照らす。



そして、ミランダの姿を一目見ることが出来て、そして永遠の約束を立てて安心したかのように、ヴァイオラは深い眠りについた。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」
天を仰ぎ、ミランダは号哭した。



――――――そして。


「行くぞ!シザーリオ!!!」



おわりに


この物語の結末、貴方ならどのように結論づけますか?
ハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか、そしてミランダのその後の運命は。
私も終演後、この日来ていたいな民の皆さんと結構な時間語り合いました。

最後に扉を開けたのはギルティ。
ミランダは、ギルティに連れ出されて光の向こう側に消えていって、このまま物語は終幕しました。

以下私の考察です。

ミランダは、"シザーリオ"として外の世界に駆け出して行った。
それは、ミランダが「身分を隠してこの先の将来を歩んでいく」ことを指す。
ミランダにとっては、多くの仲間、そして大切な家族まで全て失ってしまい、心は絶望で満たされていたに違いない。その意味でもバッドエンドであるのは確かに言える。

しかし、この街の人々――――――ユダヤ系民族にとって"ミランダが生きていること"はかけがえのない意味を持っている。
この場で命を散らそうとも、収容所で凄惨な仕打ちに遭ったとしても、「ミランダがこの戦禍を生き抜く」ことが何よりの誇りになる。彼らにとってはどう転んでもハッピーエンドになり得る。

そしてギルティの存在。
彼は演技がとても下手くそであった。しかしそれは、「自分自身に嘘をつけない純真な心の持ち主」の証左である。
マルヴォーリオが、息をするように「悪意のある嘘をつきまくる」のとは対照的に。
オーシーノとトービーも、演技が下手だったのは「自分に嘘をつかずにユダヤ系民族としての誇りを持ち続けた」ため。
ヴァイオラがスパイになろうがこの街を思い続けたのは、「自分に嘘をつきたくないために"嘘に嘘を塗り重ねた"心の葛藤があった」が故。

そしてミランダはどうだったか。今作ではミランダが直接シザーリオを演じる描写がされていなかったが、これも「ミランダも自分に嘘がつけない」性格だったからこそ。
しかし、これから先は「自分に嘘をついて生きていかなければならない」。すなわち、"純真な少女の"ミランダにとって辛く苦しい長い戦いが待ち受けている。

よって主人公のミランダの視点から見ると、「十二夜」を乗り越えた後の「十三夜」は間違いなくバッドエンドである。

とにかく「演じるということ」「役者さんの存在意義」を深く考えさせられる作品だったのには間違いありません。
「演技」、裏を返せば「嘘」という残酷な現実に目を向けつつも、その「演技」で人々を笑顔にさせる役者さんの存在がどれだけ有難いものなのか。



伊波杏樹さんが役者の世界で
「命を削って役の人生を生きる」
深い意味に気付かされた。



そんな気すらしてきます。


トリスチャン役の平山佳延さんが、十三夜チームの大団円の様子を映した投稿。
それを見ていたらツーっと涙が零れてきます。

伊波杏樹さん。
座長として5公演という長い船旅をし終えた勇姿。
ミランダとして人生を生き抜き、想いをしかと乗船してくれた皆に届け切った勇姿。
そして、キャストやカンパニーの皆からこれほどの愛情を受け躍動した"愛され者"の背中。
本当に愛おしくて頼もしくてたまらないです。

私にとっての"海賊船DisGOONie"の処女航海がこのような形で心に刻まれるとは。
もっと色んな表情の伊波さんを見ていたかったけど、円盤化が決定しているだけに手元に届くのがとにかく楽しみで仕方ないです。

次は東池袋・あうるすぽっとで白骨船長。
伊波さんが魅せる無限大の"演技"の世界にもっと酔いしれる2024年にしたいです。


長かったけどこれでおしまい!!!
あざした!!!


おことわり


観劇の記憶は完全ではありません。
ストーリー等の致命的な思い違いに自分で気づけば修正しますが、間違い等の揚げ足取りなどは一切お断りします。
考察にはどうか"愛と想いやり"の心をもって見ていただければ幸いです。



2024年1月24日
中井みこと

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