ナイチンゲール
どうも!
バンクシーは5/7の日を狙って(5/12はナイチンゲールの日)ゲームチェンジャーし、やっぱりバンクシーすごいと改めて感じ、背景やその物語を絵で表現するってすごいな!白黒を描いて現場を明るくする人ってバンクシーにしか出来ないなって色々誰かと語りたい yukimiです!
とゆうことで!
ナイチンゲールを調べたい!
白衣の天使、クリミアの天使と呼ばれたナイチンゲール
統計学の女王とも呼ばれている
西暦(年齢)
1820年(1歳)両親の新婚旅行先だった、イタリアのフィレンツェで生まれる。(フィレンツェに因んで、フローレンスと命名される)
1837年(16歳)「神に仕えなさい」と神の声を聞く。
1851年(30歳)カイザルスベルト(ドイツ)の病院で看護訓練を受ける。
1853年(32歳)ロンドンで看護師として働き、病院の改革に協力する。
1854年(33歳)軍務大臣シドニー・ハーバードの要請により、クリミア戦争の軍事基地へ看護団団長として赴く。
1855年(34歳)クリミア半島の野戦病院に赴くも、クリミア熱にかかる。
1855年(35歳)イギリスで、ナイチンゲール基金が設立される。
1860年(40歳)セント・トーマス病院内にナイチンゲール看護学校が開校。
1907年(87歳)女性初のメリット勲章を授与される
1910年(90歳)ロンドンの自宅で永眠。
① 幼いころから優秀で、強い意志の持ち主だった
② 厳しい教育がなされるドイツのカイザルスベルト学園で看護を学ぶ
③ ロンドンの慈善病院で病院改革の手助けをする
④ クリミア戦争で「戦場の天使」と呼ばれる活躍をする
⑤ 戦後は口伝てに活躍が広まり、国民による「ナイチンゲール基金」が作られる
⑥ ビクトリア女王に直訴し、陸軍病院を改革する
⑦ 『看護覚え書』を出版し、世界中で読まれる
⑧ ナイチンゲール看護学校を設立する
ナイチンゲールは私の出産した病院に銅像があり
私の中でもとても存在は大きく
そして直接ではないけれど助けてもらったような気さえ感じます
どんな人だったのか
どんな考え方だったか
色んな勉強をしていたはず
裕福な家庭で育つ
プロポーズを3回断る
それでも反対を押し切り看護婦となる
ナースコール
お湯を各階に届けるパイプを通す
患者さんの話を聞く
統計学の先駆者
今では当たり前のことを作った人
神に仕えなさい
生涯のうちに4回神の声を聴いたとのこと
自分とは違う世界に驚愕した工場労働者夫婦や子供たちの姿に衝撃を受ける
彼女は幼少期より贅を尽くした教育を受けてきた。複数の言語を自在に操り、ギリシア哲学や、数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、地理学、歴史学、心理学といった勉強まで。まさに、天才少女である。
ナイチンゲールの言葉が今でも残っている
看護の仕事は、快活な、幸福な、希望に満ちた精神の仕事です。犠牲を払っているなどとは決して考えない、熱心な、明るい、活発な女性こそ、本当の看護師といえるのです
カッコいーーーーーーーーー!
そう思った。
実質2年半とゆう看護婦生活
病気になり54年間ベッドの上の生活
そんな中でも病院を建設したり
看護学校を開設したり
きっと色んな事を言ってくる人もいただろうし
自分の信念を貫くって
あの時代に
あの戦争があった時代に
自分だったらどうだっただろうか
そんな事を思い
私の従姉妹の5人姉妹も
みんな看護士として働いている
誇りに思う
そしてスーパーマン!
世の中の医療従事者の方
世の中の研究者の方
そして携わる家族にも
革新的な働きをされているとゆう事
感謝しております!
じゃまたね!