家族のことについて
トラウマ話
私の母は学歴コンプレックス
高校卒なことに後悔??
だから子供に勉強を押し付けた
私は特に勉強好きじゃなかったし
できなかったからとても責められた
できる兄弟と比べられ
いつも
アンタはできない子、アホ
それが母の口癖、、、、
劣等感を植え付けられた
私はできない子
だから存在価値が薄すぎて
いつ死んでもいいと思っている
生への執着が全くない
初めから望まれて存在したわけではないのだから
生きたい感情なんて生まれるはずもない
自己肯定感ってやつなのか
よく覚えているのが
辞書の引き方がよくわからず
母と宿題していると
なんでこんなこともわからないの!!と
叩かれた、、、、
宿題=体罰
参考書は惜しみなくお金を出してくれた
兄は進学塾へ小学校から入れられ
逃げ出した
それでも兄は努力し
大学は首席、大学院卒業
エリート街道まっしぐら
次男は努力しなくても勉強できる
特異体質
見ていれば覚えられる
ウソでしょ、、、、と思った
勉強できなきゃウチの子じゃない
手に職つけろ
高校は絶対県立
私立は許さん
行かせないと言われた
ある時、進学相談したら
母に勝手に自分で決めてくれる?と
言われたことを思い出した
思い出したことを、つらつら書いてるだけなので
時系列おかしいかもしれないです
気遣い屋なとこも
母の機嫌とってきたからなのかな
常に顔色伺って
嫌われたくなかったんだ
だって末っ子だから
母にとっては手かけられない子供
勉強もできないし
なんなの?な存在だと思う
母はいつも怒っていた
私はもっと母と行動したかった
愛されたかった
こまちゃんは、よくできる子だね
生きてるだけで十分だよと
言われたかった、、、、
それが許されなかった
生きてるだけじゃ合格点もらえなかった
ツラカッタ、、、、
だから高校卒業して
男性依存になってしまったんだろうか
心の空白を誰かに埋めて欲しかった
親に愛されなかった空白は空白のまま
未だに私の心をスッカスカにしている
それを凍結させてるから
こんなに無なんだろうか
感情は出てこない
だから、鬱になってしまったんだろうか
母のことは責められない
子供3人、仕事して
ご飯作って
子供の行事やって
PTAして
今ならわかるけど、、、、
愛してほしかったな、、、、
もぅ今更なんだけど
今なんとか生きてるのは
祖父母のおかげだ
私の心の逃げ場所は祖父母だった
あの暖かい愛が今の私を生かしている
それがなければ今頃
子供をもつという選択肢もなかっただろう
私の子育ては祖母の関わりから生まれているのと
自分がされて嫌だったことを
子供にしていないこと
それが成功している全て
勉強を強制したことはない
なにかをやれと言ったこともない
基礎的なことはいうけど
挨拶とかご飯のマナー
お風呂のマナーとかね
最低限
お友達との関わり方とか
幼少期がなければ
こんな子育てしてないと思う
睨まれ続けた幼少期
笑って欲しかった
色んなこと話したかった
相談したかった
何も親に伝えないまま大人になってしまった
父には多少話せる
母は今でも日本語の通じない人間
トラウマは吐き出して消化しないと
今、もし子供を育ててる人がいたら
言ってあげてほしい
生きてるだけでうれしいと
日々思ったことを書きます