うたをうたうときに思うこと
がっつり うたをうたう ということに向き合ったのは大学に在籍していた4年間だ。
京都の北西に位置する宗教系の大学で、わたしは数ある部活動の中から合唱団を選択し、勉学そっちのけで打ち込んだ。
よくある話である。
音楽は昔から好きだった。
4歳からピアノ教室には通っていたし、
高校生の頃は筝曲部に入っていたし、
選択授業は必ず音楽を選択していた。
授業に関しては習字や美術で自己表現ができなかったからではあるが、
大人になった今なら少しは容易に出来るのかもしれない。
幼いころもHSCで集中力が続かない傾向にあったわたしには、筆や形の残る作品に思いを乗せることはた易いことではなかったのである。
大学で筝曲部を続けず、吹奏楽部や軽音楽部やギター部やその他もろもろの音楽系の部活を選ばず、合唱にたどり着いたことはなかなか自分でも運命を感じるところがある。
ちなみに主人とも合唱団で出会ったがここでは割愛する。
始まりは新勧イベントで先輩方がとても親切であったことだ。
(今思えば部の存続のために必要以上に丁寧に接していたのだろうけれど)
先輩方は本当にリスペクトが絶えないし、多方面においてとても感謝している。
新勧イベントでひとしきり遊んだ後日、公開練習があった。
その時に入部を決めた。
はじめて うたった のは、信長貴富編曲の瀧廉太郎「花」。
歌いやすいメロディラインのソプラノ。
最初にパートで音取り、その後全パートでアンサンブルし、細かなところをつめて完成に近づけていく。
うたうことが好きな方にはお解りいただけると思うが、パート練習でもメロディラインは十分楽しい。
しかし、アンサンブル練習に入るとその比ではなかった。
ハモると何倍にも膨れる音の厚みに、部屋を埋め尽くす音の響きに、どんどん加速していく物語に、わたしはすっかり魅了されてしまったのだ。
こんなに高揚感のあることは初めてだった。
未経験のスカスカ声を出していたにもかかわらず、わたしは心を掻っ攫われてしまったのである。
スピード感のある選曲も良かったのかもしれない。
瀧廉太郎はやはり天才だったし、信長貴富はやはりあたおかだった(いい意味で)。
書いてたら歌いとうなってきた。
なんで今歌ってねんじゃろ。
そんなわけでわたしの大学で過ごす4年間は合唱三昧となったのである。
大学生時代は正しく青春と呼ぶにふさわしい過ごし方をしたと思っている。
それまでもいろいろなことはあったが、人見知りで控えめで八方美人のわたしには冒険やロマンスの要素はうっっすかったのである。
うたは一つ上の当時パートリーダーの先輩に伝授して頂いた。
わたしの声はその方に作って頂いたといっても過言ではない。
声もみてくれも美しい先輩に手取り足取り。
当時は受けるがままであったが、なかなか贅沢な環境下で学んだものだなあ。
さて、ひよっこのわたしではあったが、日々練習やらイベントやらあるわけで、入部したての年は前期に他大学とのコラボ演奏会を控えており、練習も大変活気があった。
その訳も解らず うたって いるある日、はじめて頭声が ポン と出た。
瞬間的に「これが話に聞いていた頭声か」と分かった。
身体がほそらっこくて未熟なわたしは、太くボリュームのある声は出せなかったのだが、この上から包み響かせる頭声は今後の武器となった。
まだ息漏れの激しいスカスカの頭声は、わたしの合唱人生に置いて大きな一歩であったのだ。
出来栄えはさておき、一人である程度 うたえる ようになると、次の課題は周りとの調和である。
まずは同パートで揃え、次に全パートで揃える。
文字に起こすと簡単なものだが、同じ音にも幅というものがあって、
口の形や息の流し方など、それぞれ演奏者の癖で変化するものなのだ。
合唱団によってはそれも「味」としてしまうところもあるのだが、
わたしが所属していた団はそうではなかった。
声を揃え、言葉を揃え、音を揃え、響きを揃え、和音を揃え、ぶつかりを揃える。
書き出していると軍隊のようだ。
子音のタイミング、母音の深さ、呼吸のタイミング、目線を通わせる瞬間まで。
脳トレにぴったりだ。
実際にわたしは認知症カフェで発表したこともある。
しかし事細かに決められた演奏が、如何に美しいものになるのかをわたしは知っている。
公開練習で感動した音の膨らんでいく様は、どの曲でも色褪せずにわたしを魅了した。
プロはサラッとやってしまうのかもしれない。
やはり体に染みついているのかな。
合唱に出会って気づいたことの一つに、人類の99%は音痴であるということだ。
もちろんわたしも含め。
合唱やカラオケに誘うと「わたし音痴だから…」という方がよくいらっしゃるが、はっきり言って音痴じゃない人のほうが少ないのに何の恥じらいなのだろうかと思う。
話を戻そう。
時は流れ、わたしは一通りの学生時代を過ごすとなかなかの合唱体になっていた。
そりゃ意識して毎日何時間も歌えば当然なのだが、その時の体がやはり一番仕上がっていたように思う。
意識するだけで下半身は地に根付き、声はそこから頭を伝って出るものであった。
その楽器をわたし自身誇らしく思っていた。
卒業後にみるみるうちに幻と消えてしまったのだが。
身体は消えてしまったが、知識と技術は残った。
身体がないことは大打撃であるが、趣味として楽しめる程度のことは出来た。
もちろん、折に触れて無性に寂しくなるのだが。
カラオケは合唱に出会うまでは苦手だった。
シンガーソングライターに憧れるほど うたう ことは好きなのに、下手糞なことがどれだけコンプレックスだったか。
というのも、わたしは地声が低く、お世辞にも美しいとは言えない声色だ。
今でも動画で自分のしゃべり声を聞くとかーなーり落ち込む。
皮肉にも主人は動画制作を毎日しており、嫌でもわたしの声が入っていることがある。
しかし、うたう 時だけは稀代の歌姫の設定で楽しむことにしている。
一人で うたう 時は、合唱で学んだ発声に、喉押しを強めるのだ。
なんのこっちゃと思う方もいると思うがこれ以上上手く言い表せない(語彙力…)
力技なので、喉が強くないわたしはよく声を枯らしかけて止めるのだけど、
上手く加減すれば長時間「姫」として うたって いられるのである。
ミックスボイスがこれに該当するのかは明言できないが、これに近いものだと思っている。
喉声はハモりにくくなったり、力んで低くなったりするので合唱ではあまり強く使用することはない。
わたしもよく注意されていたものだ。
身体もいつか作り直したいと思っている。
これでは音楽の神様には会えないだろう。
4回生の定期演奏会で、わたしは神様に出会った。
そこには幸福感と温かい視線が注がれる、音の消えた世界が確かに存在したのだ。
高揚して頭がラリっていただけかもしれない。
それでも構わない。
今もなお、あの時の空気に近づきたくて、わたしは うた を うたう のである。
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