キッチンの排水溝のヌメりと心のメンテナンス
今日の朝は7時に目が覚めた。気分は驚くくらいよかった。いつもならダラダラ過ごす朝に、シャキッと起きて、ストレッチをして、ご飯を食べて、部屋の掃除を始めた。
キッチンの排水溝を覗くと、赤っぽい水垢やヌメりがボコボコと出てきていて、毎回排水ネットを交換するときに地味にストレスだった。「よし、やるか」と、手袋をして、排水溝をゴシゴシすることに決めた。
キッチンハイターをシュッシュとかけたら別にゴシゴシする必要なんてないんだろうけど、残念なことにうちにはなぜか詰め替え用しかなかった。
わたしは環境保護の知識をかじったり、地球へ優しい暮らし方に偏った生活を試したことがあり、ハイターのような劇薬を使うことに抵抗感をもっている。
だから罪悪感をもってしまうわたしはハイターを使わずに、食器用洗剤をつかって歯ブラシでゴシゴシした。そういえば昨日の夜にも、重曹とクエン酸を使ってみたけど、汚れがひどかったので、自然派の清掃方法では対抗できなかった。
これをみて、心のメンテナンスも同じなんじゃないか。と考えた。
劇薬を精神科の薬だとしたら、薬を飲まないと解決できないくらいまで自分を追い込んでしまった社会や自分自身を日頃からメインテナンスしてあげると、薬のような劇薬でなくても、重曹やクエン酸のような刺激の少ない方法でも心の掃除をすることができるのでは?と考えた。
あとは、「劇薬ってある意味、汚いものにはなるべく触れたくない」の先にある処理方法なんじゃないかとも思った。
例えば、排水溝を一週間に一回きれいにすれば、三か月放置したあかつきに鼻にツンとくる匂いから顔を背けながらハイターを使う必要もないかもしれない。 なのに、わたしは日々の掃除をめんどくさがり、ためにためて、最後に劇薬を使う。
こころも、例えば日々の違和感やもやもやをその都度整理してあげたり、処理してあげないと、放置した先には、大きな感情の爆発が起こる。それがダメだとは言わないけど、渦中にいるときの身体や心の負担になることは否めないと思う。
部屋のメンテナンスと、自分の心のメンテナンスは本質的には同じで、日頃の小さな整える習慣が大切なのかもと思った、キッチン掃除でした。