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誤差
科学者たちによれば、宇宙は138億年前に生まれたという。光が138億年かけて到達する距離、そんな遠いところを見ようとしても、そのときに宇宙はなかったのだから、見えるはずはない。でももし見えたとしたら、それは宇宙の瀬戸際、その果てということになるだろうか。
吉原幸子は詩集「夢 あるひは…」のなかで、「あなた」なる人を痛ましいまでに追い求めている。この「あなた」は、かつての恋人なのか、それとも誰でもない誰かなのか、しかしその残像は一向にみえてこない。
「誤差」と題された一篇に、思わずハッとさせられる。宇宙はデコボコの平面であり、星はまちまちの時間をもっているために、「いま」はいつも過去なのだという。
光の速さが 有限である以上
地上の風景もまた
わたしに 一瞬おそく届いてゐる
いつも 二秒前の月をみてゐるやうに
わたしたちは 目の前の過去をみてゐる
ほほゑむあなたでさへ 影にすぎない
だからわたしは
さはらなければ <いま>を信じることができない
なるほど、地球からの距離があるために、月の光は1.3秒遅れ、太陽の光は8分遅れで届く。「いま」見ているあらゆるものは過去の残像である。
さらに詩人は続ける。
しかもさはりながら<いま>と言ひ終るとき
<いま>は過去だ
<いま>とは常に 未来にとっての過去なのだ
星をみる人にとっての 星のように
いまが存在しないとすれば、わたしたちはいまと思い込んでいる過去を頼りに未来へ歩いていくほかない。信じようと信じまいと、わたしたちは過去に押されて歩いている。そこには1ミリから100億光年というさまざまな距離があるからには、やはりそうなのだ。
そして詩人は最後の連でこう記す。
それなのに
光よりずっと遅く歩いて
わたしは あなたのもとへ届いた
光の届く相対的な誤差を利用して、わたしはついにあなたのもとへ届いた。しかしはて、それはほんとうにその人なのだろうか。それは何秒前の、あるいは何世紀も前の、過去の姿ではなかっただろうか。詩人は、光の速さや歩く速さそれ自体を問題としていない。いま、見ている対象が、そしてあなたが、いつも過去であることに不安と不信を覚え、「いま」という言葉を言った瞬間、いまが過去になり、このいまという現在を捉えきれない不確かさに揺れている。