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女性蔑視問題

近年、女性蔑視発言が取り沙汰される事が多くなってきた。
SNSがどんどん発達した今、女性に対するネガティブな発言はこぞって叩かれる。
何でもかんでも差別発言として捉えられ、敵認定されると集団で完膚なきまでに袋叩きだ。

以前、蓮舫議員がテレビで「主人はペット」と発言したところネットで一時的に議論にはなったが、特にワイドショーで連日取り沙汰されるほどの大炎上はしなかった。
少なくともこれで蓮舫議員が辞任に追い込まれるような事にはなっていない。

しかし、男性議員が「嫁はペット」と発言したらどうだろうか…
考えるにも恐ろしいがネットは大炎上で連日ニュースで取り沙汰され、本人が辞任するまで攻撃が止む事はないだろう。

以前、オリンピックJOCの森(元)会長は「女性がいると会議が長引く」と言っただけで辞任にまで追い込まれる騒ぎとなった。
後日、謝罪会見と発言の撤回を行なったにも関わらずだ。
確かに世界的に注目されるイベントでこの様な発言は肯定できるものではないかもしれない。
スポンサーや選手やボランティアまでもこぞって批判したし、世界中のニュースで話題になってしまっては辞任やむなしとなるのも理解できないわけではないが、個人的には少しやりすぎだと思った。

さて、この女性蔑視問題において違和感を覚えるのはなぜだろう。
私も男女差別は無い方がいいと思う。
誰にでも権利は等しくあるべきだ。
でも完全に平等はあり得ない。

そこに「能力差」「機能差」があるからだ。

例えば物流センターで男女で仕分けの仕事についていたとすると「重い荷物は男性」「軽い荷物は女性」というように必然的に分けられる。
すると軽作業の方が重作業より賃金が安くなるのは当たり前なのに、同じ就業場所で同じ時間働いて賃金格差があるのはおかしいとの主張が始まるのだ。
「ではあなたも重作業をすればいい」と言うとそれはズルいと言う。
非力な女性にそんな重いもの運べるわけがないだろうと言うのだ。

全く同じ時間同じ作業をしていて同じ成果であるにも関わらず男女による給料差があるのならそれは問題だ。
絶対にあってはならない
しかし時としてこの例のような場面が生じる事は少なくないのである。
これは当然ながら逆もしかりだ。
能力が高い人は女性でも高給を得るべきだし、事実そうした構図の会社もある。

しかし非力な者は徒党を組むしかないのは分かるが、感情論でいちいち徒党を組まれては正直なところたまったもんではない。
問題発言かもしれないが、少なくとも個人的にはこれは女性に顕著に見られる傾向があるように思う。

感情論に走りやすいので、森氏ではないが会議が脱線したり批判のぶつけ合いに落ち入りやすいのも確かにそのきっかけは女性が多い。
もちろん男性にもそれはあるが比較的に女性が目立つと感じる人は少なくないと思う。

感情論が悪いのではなく、今は必要ないという場面にまで感情論を持ち込むことが問題なのだがそれは多くの場面では理解されない。

女性蔑視はあってはならないと思うし差別なんてもってのほかだ。
しかしその言葉だけで現実的な部分をぼやかすものであってもならないのではないかと思う。

最近ではSNSなどですぐに世間が騒ぎ出すので非常にデリケートで難しい時代になった。
SNSは便利で有益な事も多いが、時にこうして非効率な弱者の理論を擁護する盾となる。

現実に政府はこの世論というものに異常なほど敏感になった。
むしろ怯えているようにすら感じる。

「意見を取り入れる」と「意見を気にする」の違いも分からない連中には難癖をつけられそうだが、会社で社長が従業員の顔色をいちいち伺ってたら会社なんて成り立たない。

【多数の愚者が少数の賢者を駆逐する】

ような世の中になる方が不利益で恐ろしい事だと感じるのである。

女性専用車両の中で「世の中が平等になればいいのにね〜」って正義面で話す人にはなりたくないものだ。

[追記]
サムネの写真は森会長の女性蔑視発言に対して女性議員が白い上着で統一し講義を行なっているようすである。
こうしたパフォーマンスで怒りを表現することの是非は置いておいて、彼女たちは感情的な態度だけで特に案も出さず、自分が立候補することもせず、ただ徒党を組んで抗議をするだけの集団だ。
問題の本質はどこへやら「森辞めろ」と叫ぶだけである。
個人的には正直気持ち悪いし不快感しかない。

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