七夕と菅公
彦星の行あひをまつかささぎの渡せる橋をわれにかさなむ
菅原道真公(菅公)が太宰府に流されてから詠んだ和歌。
京都の北野天満宮の参道には「菅公御歌」として扁額が掛けられているが、新暦の七夕から旧暦の七夕までは、この御歌が掛けられている。
素直に解釈するならば、
「彦星を織姫のもとへ運ぶかささぎよ、七夕の夜以外はどうかその翼をわたしに貸してはくれまいか。都にいる妻に逢いにいくから」
太宰府に流された菅公の失意と悲壮が伝わってくる和歌だ。
だが私はこう解釈したい。
「ああかささぎよ、そなたも仕事がないのだろう。この雨に流される天の川では。ならば侘しき身の上の我らふたり、涙を流しながら飛ぼうではないか」
七夕の夜に降る雨は、「催涙雨」というのだそうだ。
彦星と織姫が一年に一度逢えるはずの日、天帝により逢瀬が許されなかったふたりの涙が雨となって降るのだという。
ふたりの涙により濁流となった天の川の前で、一年に一度の大役を失ったかささぎと、都人としての生を失ったふたりが、雨にまぎれて会い、束の間夢を見ることは許されるだろう。
天の川を覆う厚い雲が、ふたりの姿を隠してくれるだろうから。
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