絶対忘れるながやめられない 20
前回のお話はこちら。
2017.1.1
謹賀新年。
セルラは福井の寺で鐘をついていた。
志賀さんは仕事の都合で元旦なのに実家に帰れずごはんを食べる人を探していた。
新年早々迫りくる、BAYCAMP出場をかけたがんデモのオーディションライブ。
2017.1.3
しかし。
目前に迫っているというのにぜわすはこんな状況だった。
なぜかというと、開催日は1月6日の金曜日。2017年は世の中的に1月4日が仕事はじめだったようで、メンバーのほとんどにとっては「平日」。つまり業務終了後でないと出演が難しい。しかしオーディションライブはオープン18時15分、スタート18時45分。出順が序盤だったら出られない可能性があった。しかし7組も出るオーディションで調整が難航していたのか、三日前にして出演時間がまだ聞かされていない。持ち時間も不明なためセトリも決められない。そんな状況で若干の焦りがある上でのツイートだった。運営の天野さんには仕事があって遅めでないと出られない旨は伝えていたけれど、どうなるかはわからない。お年玉よりもタイムテーブルを欲していたぜわすであった(そもそも年齢的にはとっくにあげる側)。
《追記》(志賀さんの指摘で思い出しました)
それだけではない。スーパー繁忙期のメンバー・志賀ラミーさんはそもそもこの日仕事のため、出られない可能性がかなり高いという、さらに大きな問題があった。調整ができるかどうかも直前までわからないらしい。
志賀さんがいない状態でオーディションに出るなんて、ありえない。メンバーの誰もがそう思った。
ライブの途中で来て、ステージ上で生着替えをして途中参加ということは一度あったけど、ぜわすの曲のほとんどすべてを作り、ステージ上でもラップや歌でメインを張っている志賀さんが最後までいない状態でライブをしたことは一回もなかったのである。
2017.1.4
三が日があっという間に過ぎ、世の中は仕事はじめで平常運転に。
「出られないかもしれない」という一抹の不安を抱えながらも徐々に気合をいれはじめる我々。
そんな中ベールに包まれていた当日の詳細が少しずつ詳らかになっていく。
お客さんもドリンク代のみで気軽に入れるという太っ腹。すごい。しかし、大変申し上げにくいが当時の我々の心境は「そんなことよりまずタイムテーブルをくれ」であった。
初夢ではないが謎の悪夢(?)を見ていたのは不安の表れだったのかもしれない。
2017.1.5
《追記》
オーディションライブ前日。
結局色々わからないまま、この日も仕事の志賀さん抜きで高円寺のスタジオに入った。
ぜわすのライブを見たことのある人たちにとっては志賀レスのぜわすは違和感があるだろうが、とはいえ5人もいる。「初見であれば人数の圧でワンチャン乗り切れるのではないか」という見解だったように思う。
青木Pが前回の放送で「各組、短い時間になるとは思う」と言っていたのでおそらく15分〜20分と踏んで、3曲になる可能性も見据えつつ4曲練習しておいた。
志賀さんのパートの振り分けも完璧だ。残されたわたしたちで頑張ろう!フロントマン不在の中、残りのメンバーにこれまでにない団結が生まれつつあった。
がっつり練習を終え、スタジオでお会計をすませたその時、電話が鳴った。志賀さんからだった。
「仕事調整できました、出られます」
おおお。朗報だ。間違いなく朗報である。
しかしタイミングが少しだけ、ほんの少しだけ悪かった。
それを聞いた瞬間に翠れんさんの口から自然に漏れ出た
「今更来られても……」
という言葉がその時の空気を物語っている。
なんならこのまま志賀レスで押すか?という流れにほんの少しだけ、ほんの少しだけ、いうて数秒くらいね、なりかけて、
「いやいや志賀さんいたほうがいいに決まってるでしょ」
と思い直し、ひとまず問題の一つが解決した形になった我々であった。
あとはタイムテーブルだけ。
2017.1.6
いよいよ当日。
5日深夜、待ちに待ったタイムテーブルが発表された。やったあ。持ち時間は15分、ぜわす仕事の都合を配慮していただき20時過ぎからの出番となった。これなら6人全員出られる。本当に良かった。
友人や以前ライブを見てくれた方たちから「頑張って!」と激励される。Urban Drive Familyのez do dan子ちゃんはなんと会場にまで来てくれるという。嬉しい。
あとは本番に向けて心身を整えるだけ。
整えるだけ……
ん?
ん?
よりによってセルラは前日、徹夜していた。
「いつもみたいに飲んでたんじゃねえのか」と思う方が多い気がするので誤解なきようにご説明しておくと、1月6日にスタートしなければならない企画があり、それにあたって100種類300通りくらいの商品をwebで発売するというタスクがあったのだった。通常だとデザイナーさんにやってもらう業務なのだが、幸か不幸かセルラの会社は当時がっつり冬季休暇をくれるところで、仕事はじめが1月9日。しかし企画スタートは先方の都合で動かせない。事前に販売しておく、という機能もシステム的にない。では休み中に企画担当の自分が販売直前にやるしかない、ということでスタジオに入ったあとひたすら販売作業をやっていたのだ。
仕事の話で恐縮だが、そのタスクがなかなかにシビアな内容だった。100デザインすべてに通し番号がついていて、途中でうっかり序列を間違えたまま進もうものなら間違ったところからすべて人力で販売しなおさないといけなかったのである。人間には集中力の限界というものがある。いくら気をつけていても抜けてしまうときは必ずあって、そんなのに四苦八苦しながら膨大な時間を要して徹夜になってしまったのだった。「まあ順番に販売していくだけなら集中すれば半日くらいで終わるでしょ」と思っていた年末の自分の見通しがいかに甘かったかということなんだが、本noteの更新日に飲みの予定をいれて、「まあそれまでに更新すれば大丈夫でしょう」と思ってたら結局おわらず飲みから帰って寝落ちして更新日翌日の朝に書いている今、まったく成長していないことがわかって非常につらい。
というわけでなんとか発売を終え、無事企画のプレスリリースも出た夕方近く、ほうほうのていで高円寺の「小杉湯」へ向かう。鏡を見たら大げさじゃなく10歳くらい老けていた。30にもなって徹夜するからこういうことになるのだ。大事なオーディション、人前に出る日にいきなり40歳になっている場合ではない。少しでも回復したい。だが急がなければオーディション開始の18時に間に合わない(書きながら「リハーサルは?」と思ったけど元々なかったのかセルラだけブッチさせてもらったかのどちらかだろう)。
そんなピンチの中で入った小杉湯がすごかった。
そしていそいで帰宅し、「ドーピング」と個人的に呼んでいる、1枚2000円くらいするけど効き目がすごい(気がする)パックを顔に塗布し、15分寝た。
すると、完全回復した。
無事30歳に戻ったところで急いで新宿SAMURAIに向かう。時刻はもう7時半を回っていた。自分たちの出番まで30分。ギリギリすぎて本当にすみません。
楽屋でがんデモの張江さん、天野さんと初めてお会いする。画面越しで一方的に見ていたので、こちらからすると初めての気がしない。「がんデモのせいで曲のほとんどインターネットにアップすることになってしまってすみません」みたいなことを言われる。あと若々しくてすごく感じのよいお兄さんに挨拶された。that's all folks さんだった。フロア後方の審査員席には青木P、FREE THROWというDJユニットで、BAYCAMPにおいてもDJを中心としたステージを統括していたタイラダイスケさんがいらっしゃった。
ティンカーベル初野さんのステージを見る。「初野」と書いたTシャツを着ている。フロアには同じTシャツを着て、曲にあわせたコールやミックスを打っているオタクの方々がいてとても驚いた。もう人気者じゃん。ティンクさんは最終的にハロプロの曲をカバーしてライブを終えていた気がする。自由。
ものすごく変な人なんじゃないかと思っていたけど(ものすごく変な人なのは間違いないんだけど)、楽屋で話すととても落ち着いた感じの好青年だった。この日はセルラの妹も応援に来てくれていたのだが、ティンクさんの「祖父母の家に行くとすたみな太郎くらいメシでてくる」という名曲が好きすぎる彼女はティンクさんを見てみたいというのもあったのだと思う。妹のことも紹介した。
そして20時15分、自分たちの出番がやってきた。
「絶対忘れるなのテーマ」「アイスクリームポップアップトゥギャザー」「まさか覚えててくれたなんて!」をやった。あらゆるタイプの曲が入り混じっているぜわすの特徴が伝わるのがこの三曲じゃないか、という判断だった。「まさか〜」は音源にも入っていない、まだライブでも数回しかやっていない新しめの曲で、益若つばめことつーちゃん作曲。15分しかなかったけど、ライブのトリにふさわしい曲だったのでこれを選んだ。
友達が何人か応援に来てくれていたり(オーディションライブへの橋をつないでくれた漫画家のエトーさんもいた)、ティンクさんの優しいオタクの人たちも楽しそうに乗ってくれたこともあって(※のちにぜわすのオタクにもなってくれてさまざな場面でお世話になることになるオジオジレーベルの二人である)、ライブはとても盛り上がったように思う。やれることはやったので、泣いても笑ってもあとは結果を待つだけだ。
全組がライブを終え、張江さん、天野さん、青木さん、タイラさんがステージ上に上がって審議を開始。「値する実力のものがいなければ該当者なしもありえる」、そんな話を事前に聞いていたので、ドキドキしながらその背中を眺める。
そしていよいよ結果発表。
そこで青木さんが放った一言は
「審査の結果、2組にBAYCAMPに出てもらうことにしました」
という驚くべきものだった。会場はざわめいた。
出演者の多くの頭に浮かんだであろう「22日後に本番なのにこのタイミングで枠増やして大丈夫なの?」という疑問をよそに、青木さんは続けた。
「1組目、that's all folks」
その瞬間、歓喜のあまりthat's all folksさんことりょさんはステージで華麗なスライディングをした。
「2組目はタイラさんから…」とマイクを渡す青木さん。
タイラさんが口を開く。
「審議の結果、2組目、ご出演いただくのは…」
その時の動画がこちら。(撮影:ez do dan子ちゃん)
めでたく2組目に絶対忘れるなが選ばれた瞬間である。
選んだ理由として青木さんがあげてくれた中には「会場を盛り上げていた」というのがあった。つまり一緒に楽しんでくれたお客さんたちのおかげである。この頃からぜわすはフロアと地続きだった。ちなみに写っていないがセルラは泣いていた。志賀さんは「おーっ」という表情を、今より髪の長い万次郎さんとアルバさんはガッツポーズを、すいちゃんはバンザイをしていた。向かって左端にいたつーちゃんは高らかに腕をあげていた。その様子を、志賀さんはのちに「街灯のよう」と表現していた。
結成から8年、「がんばれデモテープ」に動画の応募を始めてから3ヶ月ほど経ったこの日、絶対忘れるなが初めて得た「結果」がBAYCAMP出場への切符だったと言えるのではないかと思う。
集合写真でも「街灯」のつーちゃん。
余談だが、見に来てくれていた中にはこんな人もいた。
3,4年ほど前、サークルが同じだった安西卓丸くんのやっている「ふくろうず」のワンマンライブを恵比寿のリキッドルームに観に行った時、ふくろうずのファンで、ぜわすの初ライブにわざわざ県外から来た古参オタでもあるでれさんを通じて知り合った女の子・みてぃふぉちゃん。彼女がまさか観にきてくれるなんて、驚いた。
彼女がのちに自分たちの曲「サマーニットをぬがさないで」のMVにまさか出演してくれるなんて、この時は想像だにしていない(しかもロケ場所は何の因果か「小杉湯」)。
ちなみにこれも不思議な縁だが、張江さんはふくろうずのサポートドラムをやっていた。
オジオジレーベル・コバヤシさんの嬉しい感想。宣言どおり、その後めちゃめちゃライブに来てくれたり、後に主催イベントに呼んでくれたりもする存在に。
りょさんの歓喜と成果。
またこの結果の副産物として、とあるメンバーも大きな変化を選択していた。
つづく。