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自己肯定がやめられない

やめられないものについて記してみるシリーズ。前回はこちら

「ラップの魅力はなんですか」と聞かれた時、一つに「自己肯定感が増す」というのを挙げたことがある。今年の5月と7月に早稲田大学でラップについて講義をさせていただいた際もその話をした(写真はその時の)。

2013年くらいに「絶対忘れるなのテーマ」という、自己紹介的な曲のリリックをはじめて書いた。
前々回書いたように自分のコンプレックスだったセルライトは「セルラ伊藤」と名乗ることでネタとして昇華されつつあったけど、この曲のリリックを書いたときにそれがはじめて言語化された感じがした。それがこれ。

申し遅れましたがセルラ伊藤です
脂肪細胞の申し子です
臀部にのさばる脂肪細胞は無論ないほうがいいけど
さながら相棒のように切っても切れない
でこぼこあぜ道 躍進中
聞かれてないけどスペルはcellulito
(「絶対忘れるなのテーマ」)

韻の置き方とか譜割りとかテクニック的なところはまあおいといて「自分はこの身体ひっさげたまま進んでいくぜ」という気持ちを言葉にできたことは自己肯定の一助になった気がする。

「セルライト自体はもちろん消えてくれたほうが嬉しいんだけどまあなんかそのままでもいいか」という気分は、ビートにのせることで
"でこぼこあぜ道 躍進中"
という、より前向きな表現になった。
当時は絶対忘れるなの活動をはじめたばかりだし、今思えば何ひとつ躍進はしていなかったんだけど、ラップにするなら「躍進中」と言いきっていいと思った。

MCバトルでも、相手より自分のほうが優れていることをアピールする手法は頻繁に使われるけど、あれはすごくいいなと思う。
自分の良さを探す。はじめは無理やりでも探す。足の指が長いとか「もののけ姫」のヒイ様のセリフを全部そらで言えるとか(俺だ)、本当になんでもいい。そして、嘘はダメだけど、ハッタリはいいと思う。

売れてないけど売れようとしているさまを無理やり「躍進中」と言い続けて5年、たしかに一筋縄ではいかなかったけどあのときよりは躍進した、と言える。
ハッタリでも声に出して言い続けると、本当になることはままある。
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身近な50代男性に、自分のことをひたすら「キモい」と言う人がいる。
「わしみたいなキモオサ(※キモいおっさんの略)は」が口癖で、「キモオサ」という表現をあたかも世界共通語のように使うところも含めて初めて会った時は衝撃だった。

自分がどれだけキモいかという彼のキモエピソード(何それ)は枚挙にいとまがなく、半年に一度くらいお会いする機会があると半年分の「キモい」のシャワーを浴びて帰ることになる(彼は「自覚的でないキモいやつ」へのヘイトもすごいので、わたしのことも「キモいラッパー」とか思っている可能性はゼロではない)。

それがあまりに極端なのと、その語り口がユニークなので毎回笑ってしまうのだが、そもそもわたしは彼のことをキモいと思ったことは一度もない。
だからはじめは「そんなことないですよ」と、普通に本心から言っていたのだけど、他人から何をいわれようと彼の「自分はキモい」認識は決して揺らぐことがないようにみえた。

彼は学生時代から「自分はキモい。このままではいけない」と努力をして、医大に入り、お医者さんになった。いまは家族で海の近くのタワーマンションに住んでいる。どんなに年収が上がってもその自虐的なスタンスは崩れていないようだが、彼の「キモい」に不思議と悲壮感がないのはおそらく自分の努力で手に入れてきたものがキモさと肩を並べた(あるいは超えた)からだと思う。

コンプレックスをバネにして有言実行したことは本当にすごい。
ただ、彼のように「自己肯定感が著しく低いまま自己肯定感を増す」というのはなかなか特殊な例であり、自分にはとてもじゃないけどできないように思う。

他者を意識しないで生きていくのは不可能だけど、
「誰々と比べてどうこう」なんていいはじめたら青天井で、
そこから低下した自己肯定感を高めていくのはすごく難しい。

だから、あくまで当社基準で、多少のハッタリをかましてでも「自分のここが最高」を探していきたい。
最高に盛れた自撮りが自分だと信じたいし、自分を好きな人たちのツイートだけをエゴサで見てニヤニヤしたりしてもいいじゃないか、そういう風に思う。

(動画もあります。最近やっと1万再生)


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セルラ伊藤
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