【起業3.0】会社をはじめた話と、暮らしの延長上にあるこれからのしごとについて
こんにちは。瀬尾裕樹子です。
昨年の11月に夫の出身地である石川県に家族で移住したのですが、実は昨年6月に夫 新道雄大(@shindy19 )を代表取締役に、東京で一緒に働いてきた 加藤卓也(@takkuya11)くんと3人ですでに石川で起業していました。
社名を、「EATLAB株式会社」といいます。
小松になんども足を運び現地の暮らしに触れる中で感じてきた、伝統的な食文化が暮らしに根付いている感じが、これまでのわたしのライフワークでもある「日本の多様な食文化を未来に繋いでいく」ヒントになるのではないかと、石川県小松市のこの地で仲間とはじめた取り組みです。
会社についての詳しい話はHpにも書いてあるのでここではこのくらいにしつつ…
わたしにとってスタートアップは、2年目の会社にジョインした株式会社京橋ファクトリー、業務委託で参画したウンログ株式会社に続き3社目なのですが、今回の起業はこれまでのどの会社とも、また、よく見聞きする世の中のスタートアップともちょっと違う気がしているので、勝手に「起業3.0」として今日はその辺りを書いてみたいと思います。
ちなみに、2000年代前半の今や大企業とも言える楽天やライブドア、サイバーエージェントなどのスタートアップ聡明期が起業1.0とすると、その後、佐々木俊尚氏の起業家2.0の定義による2010年前後の技術志向や社会性、楽しさの追求を大事にした起業を起業2.0、パラレルワークや働き方改革の中にあって新しい働き方を模索する今の時代の起業を起業3.0としてみました。
暮らしの延長上にある“しごと”
最近、Berlinに移住したお友達のおぎゆかちゃん(@ogiyk_)がBerlinのWeWorkに行った感想をこんな風に呟いていて。
これはまさにだなとわたしも思ったのでリプライさせてもらいました。
そもそも会社のあるオープンスペースEATLABはただただわたしが欲しいものを全て詰め込んだだけなので、結果的にこうなった、というだけなのですが、妊娠したり出産したり育児をしていくなかでそれと並行して働きたいと思ったら、制度として守ってくれる組織に属していないわたしたち夫婦にはこうするより他に選択肢がなかったのですよね。
でも、そこから得られる気づきとして、しごとって目的ではなく手段だということ。それは時間で拘束されてそれ以外の暮らしを充実させるために一心不乱に働きなさい、ということではなくて、そもそも昔から、しごとも含めた暮らし、すなわち人生を豊かにするためにやりたいことを実現するためにわたしたちはしごとを創り価値をお金に変えてきたのではないか、ということ。
みなさんご存知かと思いますが、働くって、“人が動く”と書きます。
"WeWork"のWorkも、仕事ではなく“働く”という動詞でできているし、Workって何もお金を稼ぐことだけじゃない、人生において自分の人生を豊かにする価値のある行いをすることなのではないか、そんな風に思うのです。
だからわたしたちの会社も、わたしたちが人生を豊かにしてくれると思える“食”を通じて動くことが何かの価値に変わるといいなという思いのあらわれとして5mの巨大なキッチンカウンターを持つオフィスを創りました。
ここで生まれる価値は、毎日の他愛もない仲間と一緒に囲む食卓かもしれないし、離乳食をはじめたばかりの娘の食卓デビューを飾ることかもしれない。食文化の楚を築いている地域のメーカーさんたちに役に立つサービスを開発して提供することかもしれないし、そういったメーカーさんたちと食べ手であるわたしたちのコミュニケーションが豊かになるようなイベントを開催することかもしれません。
こんな風に、わたしたちの暮らしの延長上で食が豊かになるしごとを展開できる場所になれたらいいなと思っています。
世の中の会社がギルド化していく中で
先日、ブルーパドルの佐藤ねじさん(@sato_nezi)の投稿にもありましたが、最近の新しい働きかたを踏まえた起業の形として、「ギルド」が話題です。
そもそもギルドとは、
中世より近世にかけて西欧諸都市において商工業者の間で結成された各種の職業別組合。ーWikipediaより
のことで、最近ではフリーランスがいわゆる一般的な企業との社員契約という制約の外で案件や環境の共有を目的として集う団体としてかつての“ギルド”という言葉を借りて表現されています。
確かに、こうしたゆるやかなつながりの中でお互いに仕事を回しあったり、外からの仕事も自分の工数に応じて自由に取引ができたりする仕組みも柔軟性があった面白い。
でも、あえてわたしたちはそれを選びませんでした。
わたしたちEATLABの創業メンバーはみんな1年から2年くらいはフリーランスをしていました。
特にその中でもわたしは、プロデュースやディレクション、編集、といった仕事柄、元請けとなって案件ごとに他のフリーランサーとチームをつくって仕事のやり取りをする、ということが多く、実質、ギルドに近いことをやっていたのです。
しかし、仕事量や仕事の内容、タイミングなどはだいたい、中心となってディレクションをするわたしの工数に依存してしまっていました。
もちろん、同じやり方でももっとうまくチームビルディングしたり他の人とやり取りすることでさらに多くの種類や量の仕事をすることも可能なのかもしれません。
やり方はそれぞれです。
そこで、わたしたちの一つのやり方として、今度は会社としてチームで仕事を受けたりつくったりしたいと思ったのです。もともと個人で持っていた外との仕事は継続していますし、今後はチームのリソースを見ながら手伝ってもらうこともあるかもしれません。また、会社としてチームのリソースフル活用して新たな事業も創っていきます。
そんなこと、会社にしなくてもできるし気の持ちようだよ、と言われればそうかもしれませんが、やはり形は思ったよりも人の潜在的な意識に働きかける力があるように思います。
ギルドに近い形でこれまでわたしが挑戦することができなかったような仕事に、今度は会社というチームとして挑戦できたらと。
でもEATLABはシェアオフィスでもあるので、EATLAB株式会社メンバー以外にもご縁のある仲間たちが他にもいます。それはデザイナーだったり建築家だったり弁護士だったり。
そんな彼らとも、環境だけでなくカルチャーや案件をシェアできる関係になりたい。
ギルドと会社の間、それがEATLABのあり方になるかもしれません。
非言語領域をいかに共有するか、という挑戦
昨今、「経営者こそアートを学べ」「論理思考と同じくらい感性を磨け」という感じの本とかコラムとかを見るにつけ、なんとなくわたしも(わたしだけではないよね…?)違和感を感じていたのですが、多分、どうやらその正体が論理的思考を高めるのと同じ土俵で感性を磨くことが語られているからのような気がしています。
WEBメディアの「灯台もと暮らし」では編集メンバーが言葉にならない微妙な感覚のすり合わせのために毎月ひとつ屋根の下で合宿し、同じ釜の飯を喰らうのだとか。
noteの論考がとても深くていつもなんども読み返している最所あさみ(@qzqrnl)さんのこのnoteでも
私はいわゆる絵画や彫刻といった『アート』に関しては完全なる素人だけれども、例えば文学という芸術において『明確な目的を持って純文学を読む』というのは大きな矛盾を孕んでいると思っている。なぜならば、芸術というのはそもそも現実世界ですぐに役立つために作られているものではないからだ。たしかにいい芸術作品は、どんな分野であれ鑑賞者の世界を一変させる力を持っている。しかし、それが死ぬまでの間に自分にとって役立つものかどうかはわからない。人が一生をかけて咀嚼できるかどうかわからない、そのくらい長い時間軸で存在しているものこそが『アート』なのであって、すぐに役立つのであればそれは工業製品の類だろうと思う。(あくまで優劣ではなく、区別という意味で)そして私たちが真にアートから学ばなければならないのは、その作品の意図や歴史といった言葉で説明できるものではない。単に知識データベースを増やすだけでは真の教養は身につかない。では、私たちは芸術に対してどう相対するべきなのか。私は『自分の感性を信じる』訓練こそが、一番重要なことだと思っている。(以下noteより一部抜粋)
と言っているように、「経営者こそアートを学べ」論で展開されるような経営者における感性を磨くことの効能が、そもそもビジネスという目的のために仕入れられた知識では決して得られることのできない代物だということなのだと思うのです。何かの目的のもとで身につけるべく意識的に訓練することではなく、意識の外側で自然と身につくものなのではないかと。
博報堂ケトルの嶋さんも、先日、
「情報をコスパで選んじゃダメだよ」
と言っていましたが、感性こそコスパではぜったいに育たない、食事の時間で1日を考えられない人は自分の生命機能をフル活用できない、自分を信じ切れるだけの軸が育たないと思うのです。
最近子育てをはじめたばかりのわたしが言うのもおこがましいですが、娘を日々観察していると感じることは、わたしたち人間は、生まれながらにして五感を活用して触れてきた様々な感覚を、経験として溜め込んだ軸で本能的に選び取る能力を持っているということ。
でも、少しずつ言語を獲得し、知識を仕入れられるようになるとどうしてもその本能が雲隠れしてしまいがち。
その知識の色眼鏡を外しつつ本来あるべき自分の感性に耳を傾けたり、はじめて相対するものに向かうときも、自分の五感を信じてそこで感じたことを自分の血肉として感性の経験値を上げていくためにどうしたらいいのか。
それには、やはり最初の灯台もと暮らしの話に戻るのですが、「同じ釜の飯を喰らう」に尽きるのではないかと。
“食事家”を自称するわたしが常々感じているのは、「食事とは衣食住の中で最も生命的な行為である」と言うこと。
甘い・しょっぱい・苦い・酸っぱい・うまい、といった五味を感じる舌も、食欲を掻き立てたり時には腐敗を察知する鼻も、焼き具合を判断する耳も、全てその人に宿る感覚です。
おいしいと思う感覚、まずいと思う感覚、好きな匂い、嫌いな匂い、そういうものに囲まれながら他愛もない会話をしながら囲むごはんはわたしたちの感性を刺激してやみません。
EATLABではこうした時間がわたしたちが言語にしきれない領域を共有してくれると信じて、というか、何よりおいしいご飯を一緒に食べたいので、一緒に同じ釜の飯を喰らう仲間を募っていきたいと思います。
以前から、ビールは最強のメディアであることを公言してきたわたしですが、そもそも、編集者のわたしが全く太刀打ちできないくらい、「食は最強のメディア」なのです。
言語化できない領域は、“おいしい時間”を編集することでシェアしていく。
それがわたしたちの会社、EATLABなのです。
このチームビルディングの模様は気が向いたらそのうち「おいしい時間の編集術」としてnoteにでもまとめようかな。
さて、ズルズルと長くなりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!
こうして始まったわたしたちの挑戦を、今後は少しずつわたし個人のnoteにまとめていきたいと思っています。
眠れない夜にでも、ご覧になっていただけたら幸いです。
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EATLABでは、2018年12月13日から2019年1月31日までの期間で「食文化の知をシェアするオープンスペース EATLAB」立ち上げのためのクラウドファンディングを実施中です!
ご支援よろしくお願いします。
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