塩狩峠/三浦綾子#51
三浦綾子の作品との出会いは、「氷点」だった。
遠藤周作と同じく、大学時代にハマった小説家の一人で、「氷点」「道ありき」「この土の器をも」などを読んだ。
その中でも「塩狩峠」は、1966年4月から約2年半かけて月刊雑誌「信徒の友」に連載された小説だ。
あらすじ
大勢の乗客の命を救うため、雪の塩狩峠で自らの命を犠牲にした若き鉄道員の愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う。
結納のため、札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車は、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れて暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた……。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らを犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、生きることの意味を問う長編小説。
1909年に実際に起こった鉄道事故で殉職(暴走する鉄道を停止させる為に自らの体を犠牲にした)した職員、長野政雄がモデルとして描かれているのだという。
わたしはクリスチャンではない。
しかしプロテスタントの大学であったため、「神とはなにか」について考えることは多くなった。
三浦綾子の「塩狩峠」は、主人公がキリスト教の精神に目覚めていく過程の描写がリアルだと思う。人間の罪や苦悩が繊細に描かれており、クリスチャンではなくとも、むしろクリスチャンではないからこそ読み応えがあると感じている。
信夫自身の生き方、人の愛し方を見ていると、自分自身の傲慢さや思い上がりに気づく。
何かを信じるということ、心の持ち方について考えたいときに読みたくなる、今なお色あせない名著だ。