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真実を追いかけない#25
先日、こんなことがあった。
自宅敷地内に雀の亡骸があって、わわわどうしようかなと思っていたら数時間後にいなくなった。
— 鎌田優紀子 (@yukikoxkamata) September 22, 2021
おそらく鳥か猫か連れて行ったんだけど、長男が「きっと元気になって飛んで行ったか親が助けに来たんだよ!」と信じて疑わなかった。
そうだね、って声に出して言うと、本当にそんな気がしてきた。
我が家ではこの春から、なぜか雀をよく見るようになった。
テラスの上に雀のヒナが数羽亡くなっている時もあり、おそらく屋根に巣があるのだろうと思ったが見つけられずにいた。
そのあとも今まさに飛び立つ練習をしている、雀のヒナが庭をうろついていることもあった。
飛べずにウロウロしているため、やや心配ではあったが下手に手を出すと良くない。
そのままにしていたら飛び立っていったのか、いつの間にかいなくなっていた。
その時の写真がこちら。
雀って近くで見ると意外とアホっぽ…いや、可愛い顔をしておるのだな。
触らずに近くで雀を見ることで、子供たちも非常に喜んでいたが、最近は雀も見なくなって忘れていた頃に、上記のツイートのような出来事があった。
ちょうど、家の門の近くに雀の亡骸があるのを、幼稚園に送る時に気がついた。
雀が横たわっていて、全く動かない。
「わ!雀が死んでる、かわいそう…」と咄嗟に声に出してしまう。
子どもたちは興味津々で雀に駆け寄って観察したけれど、動く気配はない。
朝支度に時間がかかって気が急いていたので、すぐに車に乗って出かけた。
しかし、幼稚園から帰宅したときにも、まだ雀は横たわったまま。
ちなみに自宅敷地内で動物の死骸を見つけた場合、役所に電話をしても敷地内まで引き取りには来てくれない。
以前ネコが駐車場で死んでいる時があって、電話をしたら敷地外の道路に出さなければ引き取ってもらえないと言われた。
「かわいそうだから、庭の隅に埋めてやろうかな」と思って、洗濯物を取り入れているときにふと見ると、雀がいない。
子どもたちもテラスから顔を出して雀がいた方向を見るが、跡形もなかった。
わたしは思わず、
「鳥か猫が取っていっちゃったのかも」
と言うと、4歳の長男は、
「ちがうよ!たぶんね、元気が出て飛んで行ったんだよ。それか、親が助けに来たんじゃないかなぁ」
と言った。
4歳にもなると、大人の話はほぼ理解ができる年頃だ。誤魔化しもきかない。
わたしは彼に、真実を伝えるべきなのか、おとぎばなしのように信じたままにするか悩んでしまう時がある。
おそらく長男は、雀が鳥かネコに食べられたかもしれない、連れて行かれたのかもしれないという事実が、ショックだったのだと思う。
去年の夏、お世話をしていたクワガタが死んだ時には大泣きをした。
おじいちゃんやおばあちゃんは、いつか年老いて、いろんなことを忘れて、いつかサヨナラしないといけないから、一緒にいる時間を大事にしないといけないよ、って話をしたときにも泣いた。
そんな話をするにはまだ幼かったこかもしれないが、子どもだからといって誤魔化し続けるのもいかがなものだろう、とも思うのだ。
真実と向き合う機会を、少しずつ増やしていく必要があると思っている。
しかし、長男の「元気になって飛んで行ったか、親が助けに来たんだよ」という言葉は、わたしを不思議な気持ちにさせた。
大人になると、そもそもそういった発想をしない。
考えることが現実的なことばかりで、ある意味、想像力が乏しいといえる。
真実はどうなのかわからない。
わからないままの方が幸せというより、幸せはどこにあるのかを考えた方がいい。
今頃、元気になって空を飛び回っているかもしれない雀を思い浮かべながら、そんなことを思った。