小出稚子×牛島安希子×樅山智子が語る~その①
※本記事は、2018年8月28日都内で行われた「海外留学フェア (PPP Project)」の一貫として開催された「女性中堅作曲家サミット・グループB」の書き起こしです。パネリストとの合議による加筆修正が含まれます。(編集・わたなべゆきこ&森下周子)
ー(わたなべゆきこ、以下わたなべ)グループBはパネリストを変えまして、小出稚子さん、牛島安希子さん、樅山智子さんです。
グループAでは、留学から始まり話題もかなり飛躍して深いところまでお話しを聞かせて頂くことができました。ありがとうございました。
私(わたなべ)と森下さんは今現在ドイツ在住なんですが、グループBパネリストの小出さん、牛島さん、樅山さん、全員オランダ留学経験者ということで今回登壇をお願いしました。では、留学に絡めて自己紹介からお願いします。
(小出稚子、以下小出)わたしは5年間オランダにいて、2年はアムステルダム音楽院、3年はデン・ハーグ王立音楽院で勉強しました。その後インドネシアに行きまして、インドネシア国立芸術大学スラカルタ校でガムランを学んで、今は週3で東京音大でガムラン教室のお姉さん、というかおばさん(笑)をやってます。ジャワのソロスタイルのガムランです。
ー(森下周子、以下森下)それはグループでですか?
(小出)グループには入らないで、単独で客演という形で。学校ではガムランを教えながら、演奏家としても活動しています。
ー(わたなべ)牛島さんは?
(牛島安希子、以下牛島)わたしは愛知県立芸術大学の学部、院を修了してから4年働いて。29歳の時に迷いに迷った挙句、オランダしかない!と思い立って、デン・ハーグ王立音楽院の学部に編入してマスター課程を修了し、その後ソノロジーという電子音楽のコースに行きました。今は帰国して、大学で教えながら、創作活動をしています。
ー(森下)どうしてオランダしかないと・・・?
(牛島)あ、長くなるんですが・・・。
ー(森下)彼氏が、とかそういう話ですか?
(牛島)あ、全然そういう話ではなく(笑)。
愛知県芸の学生だった時、さっきの話じゃないんですけど(前述の※グループA➄参照)、コンペに出そう!と思って興味本位で受賞者のコンサートとか聴きに行くわけです、でもそれが全然面白くなくて。「なんでこれが一位なんだろう?」って絶望してしまった。「コンペに出すことは、私の生きる道じゃない」って学部3年生くらいの時に完全にシャットアウトしてしまったんですね。今思えば、自分の視野が狭かっただけかもしれません。
大学院に進んだら、集中講義などで外部から色々な先生が来ていて、そこから凄く広がりました。ノイズミュージックや実験音楽を知って、こんなこともやっていいんだ!って思えたんです。それまでは自分の知識の中ではブーレーズみたいなことをやらないと死ぬ、っていう位に思ってたので、それは衝撃でした。ただ依然として自分が日本で"現代音楽"をやると、どこか形骸化した、血肉から出た音楽にはならないと、どこかで感じていて。西洋芸術音楽の本拠地であるヨーロッパに行ってみたら何かわかるんじゃないかって、その後留学を決意しました。自分はもともとフランスの音楽が好きだったので、その選択肢もあったんですけど、フランスだと年齢制限があって。
ー(森下)あ、じゃあ割と実際的な理由で?
(牛島)そうですね。あとオランダって電子音楽や、ダンス、身体表現が盛んなんですが、そういったことにも興味があったんですよね。他にもドイツとか、フィンランドの情報も集めたり、実際学校を見に行ったりしたんですけど、最終的にオランダのハーグしかないと決めました。
(②につづきます。)