フェスに音楽の面白さは必要ない?〜ドナウエッシンゲン音楽祭2018レポ、その②〜
ドナウエッシンゲンと言えば破格の値段で行われる学生向けアカデミーコースも有名。学生は3日間の宿泊、フェスパスがついて約1万円(!)でフェスティバルを楽しむことができ(コンサートチケットから考えると超お得)、日本の学生さんにも是非おすすめしたい!宿泊先で学生同士で夜通し行われるディスカッションも醍醐味の一つ。
現地に訪れることの難しい客層(うちのように子連れ等々)や、いやいやドイツ遠いよ、、という方々には、 オフィシャルHPで配信されるライブストリームも。 仲間と集まって、ドイツ現代音楽シーンをつまみにあーだこーだ語り合うのも楽しいかもしれません。
さて、そろそろ本題に。
ドナウエッシンゲンに限らず、ドイツ現代音楽全体として、前から社会的であったり政治的な意味合いを持つもの、何かしらのアーティスティックなステートメントを持つ作品が増えてきており、音楽の中で純粋に音だけに対峙するというより、ソーシャルなメッセージ性の強い作品が多かった印象です。
個人的には、所謂少し前の現代音楽(超絶技巧的であったり)は端の方に押しやられ、メディア、テクノロジー、社会的メッセージを持つ作品などが多くプログラミングされているように感じました。
例えばMarco stroppaの数年越しのオーケストラ新曲は、舞台中央にスピーカーを重ねた塔のようなオブジェがあり、その巨大なモンスターがソロを担い、そこにオーケストラが付随する、というような作品。
翌日のアンサンブルモデルンのコンサートで初演されたBrigitta Muntendorf (現ケルン音大教授)は、ビデオを駆使したシアトリカルな作品で、モデルンのメンバーが金髪のカツラとおかしなお面をつけて客席から登場し、それにまず驚かされ(笑わされ)、そこからも実際演奏する部分よりビデオがメインで進んで行き、終始ビジュアル的な仕掛けが満載。
今までサブだった、音楽作品における音以外の要素がメインになったり、ビジュアルが重要視される背景にはSNSでどんどんと情報が拡散されていく、この社会のシステムが関連しているのかも、なんて思ったりするわけですが、、演奏家がその楽器の演奏以外のことを多くを求められるように作曲家もそして聞き手も多様性が必要なのかなーと感じました。
追記:今年のドナウエッシンゲンオーケストラ作曲賞は、スウェーデン作曲家、Malin Bångさんでした。オケ中の歌あり、複数台のタイプライター、街の音を模倣したようなノイズ満載(教育現場などでオケ作品としてはNG視されるような奏法など盛り沢山)、そしてそれをオーケストラが楽しそうに演奏している姿が特徴的で、未来を明るくしてくれた作品。Malin、おめでとう!
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