坂田直樹に〇〇について聞いてみた(4)
——坂田直樹に〇〇について聞いてみた、早くも最終章になりました。ここでは、このインタビューの中で比較することになった、わたなべ作品「空中ブランコの閑」についても触れていきたいと思います。
実はたまたま坂田さんが「月の影を掬う」を書いていたときに、私も「空中ブランコの閑」を書き始めていたんです。しかも、作曲中は「月にかける橋」が仮題だったんですよ。
へぇ!そうだったんですね、面白い偶然!
——なのでどこかで坂田さんの作品タイトルを見かけて「あ!まずい!被ってる(笑)!」と思って、慌ててタイトルを変えたんです。だから、根本に共通イメージがあったのかも、と思って、今回インタビューで挙げることにしました。おそらく、クラリネットの重音から来る共通イメージなんだと思うんですが、表現方法は違うように思ったんです。
二つを比較して面白いことに気づいたんですよね。僕は二作品の共通点として、ノスタルジックなものを感じたんですよ。「月の影を掬う」の二楽章はモーダルでメロディもあって、自分の作品リストのなかではもっとも懐古的な趣があったかもしれない。クラリネットの音色にはどこかイノセントなものを感じるんですが、そういう音色が懐かしさと結びついたのかもしれない。わたなべさんの作品は「ブランコ」っていう単語とか、断片的にダイアトニックな動きが出てきたり、曲の雰囲気にも不思議な懐かしさを覚えました。
——そうなんですね。実は最近の作品で「ノスタルジー」は一つのテーマなんです。記憶に関する作品を書いていて・・・なので、そう感じてもらえて嬉しいです。
そこが一つの共通項だとしたら、僕の音楽はどこかに向かっていく求心力、ダイナミクスみたいなものを欲していて、クライマックスなんかもはっきりしてる。一方で、わたなべさんの作品でも同じ重音を扱っているわけだけれども、音響そのものを覗き込んでるような、、、もっとスタティックな時間ですよね。
——動的と静的、真反対の表現方法かもしれません。
クラリネットの重音って実はとても特殊で、ほかの管楽器のそれと比べてもとてもソフトなんですよ。例えばサックスと比べてうなりが少なくて、ピュアで軽い。わたなべさんの作品は、重音そのものの良さを噛みしめて味わい続けるような音楽で、そこが面白いなって思いました。と同時に、音楽の中にダイナミクスやクライマックスを欲する僕の音楽性と根本的に違うと思ったんです。
——素材そのもの、料理しないで出す、ような。
切ったものそのまま。きっと瞑想するような音楽、という印象もそこから生まれるんでしょうね。素材そのものと対峙するという点に於いて、音を「聞く」ということに真摯に向き合っているな、と思いました。
——私が坂田さんの作品で共感したのは、先ほど出てきた「クラリネットの重音の中にあるうなりを聞く」という部分なんです。譜面上、このうなりが直接的に書き込まれているのではなく、何かの香りのように、結果的にふわっと立ち上がってくるのが「見えないうなり」なんですよね。まずこの感覚、とてもよくわかるなぁって思ったんです。
——そしてクラリネットの重音の魅力を坂田さんは、まるで二つの楽器が同居しているように聞こえるっておっしゃったけれど、その点は少し違って、「不安定さ」がまずあったんですよね。この作品でも敢えて、不安定で鳴りにくい運指を選んで書いています。不安定な音響を出すために奏者が見えない部分をコントロールしなければならない。リードを加える口の圧力や空気の入れ方、角度なんか、もうミリ単位で調整している。そこに凄くリスペクトがあって、なんて細かい事をしてるんだろう!クラリネット奏者ってすごい!!って。
それ、僕も思います。静謐なヴィルトゥオーゾというか。フォルテで素早く指を動かすような、そういうきらびやかな表現とは違って、非常に脆いんだけど、そういう音が語りかけてくるものにはっとさせられますよね。
——以前、クラリネット奏者の友人と一年間重音を研究したことがあったんだけど「この重音の、この音程が欲しい」って話をすると、そこに向かって、出ないものを出そうとするんですよね。もうこれってね、魔法みたいなんです。出そうと思うと、段々出るようになる。理屈じゃない感じがしたんです。その魔法みたいな重音をそのまま提示したいって言う気持ちがまずありました。
ファゴットで同じような経験がありました。「フルートみたいにオーヴァーブロウイングできないの?」って聞いたら「さすがに無理。原理的に無理」って言ってたのに「ふた晩考えたら出来るようになった」って電話かかってきました。(笑)こういうの感動しますよね。
—―あと、その重音を出そうとするときに、口で圧力なり空気なりを調整するときにでる(通常レコーディングとかではノイズとして消されてしまうような)プチプチ言う極小さなノイズ。あれが愛おしくて。その音響が、きちんと耳に届くように、考えて書くようにしました。
あぁそれ、やっぱり。これをわたなべさんは聞いてるんだなって思いました。このノイズを想定して書いてるんだなって。
——フルートで言うホイッスルトーンのミジンコ版みたいな音なんですけど。なんとか聞かせたいと思って。
僕の作品にはフィギュアがあるっていうお話をさっきさせてもらったんだけど、わたなべさんの作品では、そういうのかなり抑制されてるでしょ。そういう中で、限定された素材だからこそ聞こえてくるものがあるんじゃないかな、と思いました。そういった繊細な音って、周りがごちゃごちゃしていたら聞こえないじゃないですか。要素の取捨選択が潔くて、そこが僕はとても好きでした。
——この作品では、もう一つ、撥弦楽器であるギターに弾(はじ)かせないということを最初から決めていたんです。ギターだけど音の粒を聞かせないためにはどうしたらいいか考えて、E-Bowを使うことにしたんですね。これはいつも挑戦なんだけれど、1つの楽器に書くときに、その楽器を連想するオノマトペから一回離れたいなって。
そこも僕とは違う部分かもしれない。僕の場合は慣習的なものと新しいものが並列してるんです。新旧どう混ぜるか、という方向で考える傾向にあって。
わたなべさんのこの作品の中で、ギターが撥弦する箇所って全然ないでしょ。一カ所も。そこ潔くて、面白いですよね。僕はそこまで徹底した作品って未だないな。例えばクラリネットの重音だけを使った作品とかもないし。多分音楽に対する向き合い方が違うんだな、うん、面白かったです。
——フランス料理に対する精進料理みたいなイメージ?
精進料理っぽいかもしれないです。徹底的にやらないことを決める感じですよね、わたなべさんの作品は。そういう意味では僕の作品は、もう少し古典的なのかもしれないですね。
——きっと坂田さんの頭の中に色とりどりのパレットがあると思うんです。もちろん古典から脈々と続く歴史に続くものも、そして新しい音響に対するパレットも同居しているというか。
僕の場合さっき話したフィギュアやクライマックスっていう古典的なワードも大事にしているし、新しいものも両方あって、それはポジティブに捉えています。
——現代音楽ってノイズしかないんじゃないか、とか特殊奏法しかないんじゃないですかって言われることも多いけれど、坂田さんの作品を聞いていると、みんなが知っているような音響の中にさり気なく新しいものが共存していたり、そういった点に親しみを覚える方もいらっしゃるんだろうなと思います。今まであったものをポジティブに捉えて、歴史と断絶することなく、音楽に向き合っている姿勢が素敵だなと思います。
ひょっとしたら一昔前の人に比べるとそういった部分に対して、力が抜けてるっていうのがあるのかもしれません。
——あぁ、なるほど!なんだかすごく納得!
力の抜け具合というか、今の僕ら世代の特徴でもあるかもしれないですね。
——もっと若い世代を見ると、より力が抜けている傾向にありますもんね。
そうそう。だから、多様性の問題だと思うんです。現代音楽っていうと「ギー」とか「ギャー」とか不協和音っていうイメージを持たれる方もいらっしゃると思うんだけど、僕らの世代から見るとそれって「物凄く古い」んですよね。もう笑っちゃうくらい古臭い。一昔前・・・それこそ半世紀前のものだなって思うんです。今の時代って、それこそ「ド・ミ・ソ」って長三和音を使っても良いし、古典の引用も良いし、民族音楽的なアプローチも、ポップスやロックからのアイディアもあるだろうし、音の手触りみたいなものも物凄く多様で、以前に比べると「現代音楽」の風通しも良くなったんじゃないかなって思うんです。
——確かに「現代音楽」ってその響き自体にどこか固くて暗いイメージがあったけれど、明るくなってきた印象ですよね。
例えば「空中ブランコの閑」には先ほど述べたノスタルジックなものや、ぬくもりのようなものも感じました。響きも明るいし柔らかい。硬くて暗いっていう音楽もあるけど、こういう優しく温めてもらえるような「現代音楽」もあると思います。
——色々面白い話を聞かせて頂きました。また作品聞かせて頂くのをたのしみにしています。
次回五月の「ちょっときいてみたい 音楽の話」第四弾は、作曲家の山根明季子さんをお迎えします。お楽しみに。