渡辺愛×山根明季子×桑原ゆうで語る~その④
※本記事は、2018年8月28日都内で行われた「海外留学フェア (PPP Project)」の一貫として開催された「女性中堅作曲家サミット・グループA」の書き起こしです。パネリストとの合議による加筆修正が含まれます。(編集・わたなべゆきこ&森下周子)
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渡辺愛×山根明季子×桑原ゆうで語る~その③
ー(わたなべゆきこ、以下わたなべ)創作者としてキーワードになるような言葉(寒天理論)は、桑原さんは大学在学中に見出してたんでしょうか、それとも卒業後?
(桑原ゆう、以下桑原)それは院の時に学外での経験を通してですね。
ー(わたなべ)それに比べて山根さんは、早い段階で自身の語法が出来上がっていたイメージがあるんですが・・・。
(山根明季子、以下山根)いえ、そういうのは綿々と続いていて、色々経験していく中で、深いところまで少しずつ踏み込めてお話できるようになったり、という感じです。だから在学中に完成していたなんてことは全然ない(!)です。
ー(森下周子、以下森下)個人的な興味からなんですけど、山根さんは迷ったりとか、他の路線に行ったりとかなかったんですか?
(山根)わたし不器用なんですよ、自分の好奇心が向かうところにしか進めなくて。これしかできないから、できることを続けていったらこうなっていたという感じです。ちなみにわたしも6ヶ月間、大学の交換留学でドイツのブレーメンに留学していたことがあるんです。短い間だけど、一時的にドイツ社会の中に組み込まれる経験をして、外から日本を客観的に見る機会になりました。
ー(森下)そうなんですね。外から見た日本っていうのはどうでした?
(山根)ドイツは理路整然、とても清潔で、凛としている印象だったんです。それに比べて日本は猥雑で、海外から帰ってくると、特に過剰なサービス精神が目についてしまって。日本はどうしてこうなのかな、何でかなって考えているうちに、すごく惹かれてしまう自分がいて。そこで今まで興味を持ってやってきたことや、その意味が少しずつはっきりしていったんです。
それ以降ずっと日本を拠点にしてます。猥雑というか消費的な日本の・・・そういったものを根幹に活動しているんですけど、それを客観視できたのはすごく良かったと思ってます。
ー(わたなべ)みなさん、大学在学中というよりは、卒業後に手探りで自分の語法なり核となるキーワードを獲得していかれた印象ですね。渡辺愛さんはどうですか?フィールドレコーディングなど、かなり前からやられているイメージがありますけど。
(渡辺)実は、私は最初は器楽の作曲のほうをメインにやってたんですよ。東京音楽大学の器楽作曲専攻として修士まで勉強しました。
ー(森下)そこからどうやって電子音楽の方向に?
(渡辺)現実的なきっかけとしては、電子音楽の世界に導いてくれる先生(※元東京音大講師・現同志社女子大学教授の成田和子先生)がいたことです。フランスでの電子音楽の夏期セミナーを紹介してくださったり、コンサートに誘ってくださったりして、参加しているうちに居場所ができた感じ。実はジャンルそのものに対して「これだ!」っていう手応えはなかったんですが、居心地が良かったんです。そもそもその頃は機械音痴という自覚があって(笑)コンピュータで音楽を作るなんて到底自分にはできないと思っていて。まさかそれが仕事になるとは全く思ってなかったです。
ー(森下)大学で教え始めて自分のクリエイションが変わったな、とかってあるんですか?
(渡辺)創作上はそんなには変わってないんじゃないでしょうか。学生から刺激を受けたり、大学で新しい設備に出会ったりっていうのはあると思うんですけど、音を選ぶ思考が変わった実感はないです。ただ子どもができて時間の使い方はまったく変わりました。前は優雅に悩んでやっていたんですけど、今は5分時間があれば超ラッキー。とにかくパソコンを開けて、ちょっとした処理でもやるようにしてます。後々その一個だけでもやっておいて良かった!となるので。そういう野蛮なやり方でやってます(笑)結果、締め切りよりだいぶ前に完成できるようになりました、締め切り守れないことで通っていた私が(笑)。
(山根)何があるかわからないですものね。一週間丸々使えないって事態もありますから。
ー(わたなべ)ただ、できないことはないですよね。
(渡辺)やるしかない、ですね(笑)
(山根)周りのサポートもあってのことですよね。
(渡辺)1人じゃ無理ですね。
【➄につづきます】
渡辺愛×山根明季子×桑原ゆうで語る~その⑤