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小出稚子×牛島安希子×樅山智子が語る~その②

※本記事は、2018年8月28日都内で行われた「海外留学フェア (PPP Project)」の一貫として開催された「女性中堅作曲家サミット・グループB」の書き起こしです。パネリストとの合議による加筆修正が含まれます。(編集・わたなべゆきこ&森下周子)

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小出稚子×牛島安希子×樅山智子が語る~その①

ー(森下周子)小出さんも牛島さんも日本の音大卒業後にオランダに行かれたっていう経緯があるんですね。ちなみに、樅山さんは?

(樅山智子)私はここにいる皆さんとちょっと違うと思うんですけど、元々帰国子女なんですよ。親の転勤で中3からアメリカに住むようになって、ニューヨークの公立高校に通いながら、週末だけマンハッタン音楽院の高等部に行っていました。

高校卒業後はとにかく音楽の道に進みたかったんですけど、音大に行くなら全くサポートしないと親からは言われていて、総合大学で音楽をやるしかないと思って(アメリカのリベラル・アーツの大学では、音楽を含む様々な学科から複数の専攻を選び、履修することができる)。それで、スタンフォード大学で人間生物学部っていう学際的な学科と音楽学部を二重専攻をして、文化心理学を研究しながら作曲の勉強を続けました。トータルで10年半くらいアメリカに住んだ後、日本の民間財団からいただいたフェローシップでタイとインドネシアに一年住んで、それ以降は基本的には日本をベースに活動しています。

ー(森下)タイとインドネシアっていうのは自ら選んだのか、向こうから?

(樅山)東南アジアの4カ国から選べたんですけど・・・。

ー(森下)ACC(アジアンカルチュラルカウンシル)?

(樅山)ACCじゃなくて・・・日本財団のプログラムがあったんです、今はないんですけど。

それで、その後は日本をベースに作曲家・アーティストとして活動してたんですけど・・・。これも多分みんなと違うところで、いわゆる誰かの門下生というような日本の現代音楽界との繋がりはなく、それまでもコンペ主義とは全く違う文脈でやってきたので、作品を発表する場も「音楽のコンサート」というより「パフォーミング・アーツのフェスティバル」とか「美術館」とか、どちらかというとコンテンポラリー・アートという大枠の中で発表することの方が多くて。でも、もうちょっと「作曲家」としてもちゃんとしたいなという気持ちもずっとあって、大学院に行こうと思って文化庁に出したんですよ。

大学卒業してから既に6年くらい経ってて、どこにしようかなって考えた時に、私の大学の先生が以前言っていた言葉を思い出して。「智子は作曲家というよりアーティストだから、あなたが大学院行くんだったら、ハーグしかないんじゃない?」って。

ー(わたなべゆきこ)出ました、「ハーグしかない!」発言 (笑)

ー(森下)そんなにいいところなの?

(樅山)その頃は良かったと思うんですよ。

ー(森下)今は違うってこと?

ー(わたなべ)いや、でも有名ですよね?

(樅山)実験的なことをやる場所としては、本当に自由で先駆的なのはここぐらいじゃない?って言われたのを覚えてて。

それで文化庁に留学希望先はハーグ王立音楽院って書いて申請したら通っちゃって(笑)行くことになったという。でも実際にハーグに行ってみたら、すごいつまんなくって。ちょうど1年間の助成期間が終わる頃に、ハーグに来たばかりで期待に胸を膨らませてキラキラ輝いている牛島さんと会ったんですが、私は「もう無理」ってなってました(笑)

ー(森下)ちなみに何が無理だったんですか、何が面白くなかった?

(樅山)も〜、みんなマスターベーションみたいな音楽ばっかりで(一同笑)。何が実験?何をチャレンジしているの?誰に対してやってるの?みたいな。私が出会ったのはそんなのばっかりで・・・。そして私がやっている活動も、彼らの軸ではなかなか理解されなくて。反対に、同じハーグでも、音楽院ではなくて、アート・アカデミーとかに行くと、すごい!面白いことやってんじゃん!みたいになるわけですよ。分野横断的な実践をしている人たちからは評価されるという。

それで、一年で文化庁のお金もなくなっちゃったし、あと数年頑張ったらマスター取れたと思うんですけど、精神的にも辛くなっちゃって、水が合わなくて・・・。

ー(わたなべ)ありますね、そういうこと。

(樅山)帰ってきちゃいました。でも修士くらい取っておけば良かったって未だに思ってます。

ー(森下)それはなぜですか?

(樅山)ベースが欲しいと思うんですよ。私、その土地に滞在して、現地の人たちと関わって、一緒に作品を生み出していくってことやってるんですけど、プロジェクトによっては予算が厳しくて三週間でやらなきゃいけないとか、数ヶ月でやらなきゃいけないとか。アーティストとしてのキャリアを築いていこうとすると、とにかくそういうコミッションを受けて、現地に行って、プロジェクトを転々とこなしていかなきゃいけない。フランスのシンポジウムで電子音響作品を発表したと思ったら、そのすぐ後にはヒマラヤの山奥に行って遊牧民の子供たちと一緒にパフォーマンスとインスタレーション作品を生み出して、その一週間後には南アフリカに行って・・・。

ー(森下)またそのサイクルにハマると、どんどん来るんですよね。

(樅山)鉱山開発の影響受けてる被災者たちと一緒に作品作ったり、すっごいディープなことを毎回命がけで短期間でやって行くっていうのにすごい疲れ果てて・・・。

ー(森下)じゃあ、そのライセンス的なものがあるといいなっていうことですかね。

(樅山)ライセンスというより、ベース、ネストが欲しいって思うんですよね。

色んなところで、それぞれの土地とセックスして子供を産み落としていって、その子供たちがどう育っていくのか見届ける機会のないまま、どんどんどんどん各地で子供だけ産んでいくっていう。そういう、ただ作品を作るっていうことだけじゃなくって、作品に至る前の土壌を一緒に育てていくとか、作った作品を一緒に育てていくとか、そういうことができる巣が欲しいんですよ。その巣を日本で作りたいって思うんです。

多分これは私の理想、というか妄想でしかなくて、現実は違うと思うんですけど、例えば大学とか大学院みたいなところでポジションがあれば、地域とも特定のコミュニティとも長く関わって、一緒に成長していけるんじゃないかなって。創作も続けつつ、それが研究にもなって、教育にも・・・ってそんな美しい話は有り得ないってわかってるんだけど、でも、もしかしたら、それが何らかのネストになる可能性はあるのかな、とは思うんです。

でも日本で高等教育に携わるためには修士とか、博士とか、学位が必要。博士同等の経験があれば良いってところもあるにはあるんですけど。そうは言っても、それで声がかかるのは大抵コネがある人で、公募で通ることは殆どないんですよね。

(③につづきます。)

小出稚子×牛島安希子×樅山智子が語る~その③

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