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「東御回り(あがりうまーい)」に行って来ました。
5月3日に「東御回り(あがりうまーい)」に行って来ましたので、その備忘録として記載したいと思います。
【「東御回り(あがりうまーい)」とは。】
琉球王国時代、いろいろなことを思って、願って拝所を巡る「拝所回り(うがんまーい)」が、各地で行われていました。
その代表的なものに、「東御回り(あがりうまーい)」があります。琉球祖先神・アマミキヨの渡来地として、そして、五穀発祥の地として、今でも多くの人が巡拝しています。
🚶結論から言うと、すごく歩きました。
一緒に行った兄の携帯で1万6千歩歩いたと表示されました。
Google mapsで検索しながら、標識を見ながら、だいぶ迷ったのもありますが。
車で行けばそんなに歩かないだろうと予想していたのが甘かった。スニーカーで来て良かった。
そして、日焼け止め対策で、長袖の羽織ものを羽織っていて良かった。(半袖の兄は、腕が赤くなっていました。)
蚊が多いので、長袖、長ズボンは必須です。
出来たら、虫除けスプレーもしておく事をお勧めします。
①園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)
国王や聞得大君が東御回りの往路の安全を祈願した第1番目の拝所です。
※聞得大君(きこえおおぎみ)とは?
第2尚氏王統尚真王の時代に琉球王国の神女組織が整備され、最高位にあたる「聞得大君」は国王を守護する「姉妹神(オナリ神)」として、国王の長寿や国家の繁栄、航海安全、五穀豊穣を祈願しました。 「聞得」とは「名高い」 という意味です。
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🚶朝8時30分に自宅を出発。天気は晴れ☀️。
首里城の守礼門近くにある園比屋武御嶽に到着。
首里城公園のパーキングがすでに満車。
近くのパーキングに停めるが結構歩いた😅
自分の住所や氏名を心の中で名乗って、旅の無事を祈念しました。
②御殿山(うどぅんやま)(浜の御殿)
王府の神事と関わりの深い、
天女が舞い降りた聖地
浜の御殿は、琉球王朝時代「御新下り(おあらおり)」と呼ばれる聞得大君(きこえおおぎみ)の即位儀礼の際、
首里を出発して最初の休憩地として仮御殿が建てられた場所です。
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③親川(うぇーがー)
天女がその御子の出産にあたり産湯を召したという神話が残されています。
琉球王国時代には国王の東廻りや聞得大君(きこえおおきみ)の御新下り(おあらおり)の際に、
霊力を高めるお水撫(うびぃなでぃ)の儀式を行うなど首里出発後の最初の拝所でした。
現在は与那原大綱曳の関連行事の拠点となっていて、住民の憩いの場所です。
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🚶②と③は比較的近い位置にあり、近くに車を停めるところもあり、スムーズに参拝できました。
④場天御嶽(ばてんうたき)
琉球王国を建てた尚巴志(しょうはし)の祖父、佐銘川大主(さめがうふぬし)が
伊平屋島(いへやじま)から移り住んだところです。
しかし、1959年の大雨による地滑りによって埋没してしまい、現在の場所に移設されました。
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⑤佐敷上(うぃ)グスク
琉球を統一した尚巴志(しょうはし)と、その父、尚思紹(しょうししょう)が、
島添大里グスク(しましーおおざとぐすく)を攻め落とす前に築いたグスクです。
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⑥テダ御川(てだうっかー)
琉球王朝時代には国王が久高島に渡る前に、
この海岸から湧き出る泉に航海の安全を祈っていたそうです。
現在は泉水は枯れてしまっていますが、
整備事業が行われ海岸沿いに新しい道が出来たおかげで、
歩きやすくなっています。
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🚶Googleマップで、山の方の道を表示されるも、辿り着かず。
ネットで検索すると海が映っており、海沿いを捜索。
海沿いの駐車場に車を停めちょうど、テダ御川から帰ってくる人に遭遇。
「この先です。」との言葉を頼りに歩いて到着。
この後、知念岬公園でお昼ご飯。
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⑦斎場御嶽(せーふぁーうたき)
斎場御嶽(せーふぁうたき)は琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。アマミキヨによって創られたとされる琉球開びゃく七御嶽のひとつ。
御嶽の中には六つのイビ(神域)があります。琉球国王はこの六カ所を参拝しながら、国家繁栄・安寧、五穀豊穣、航海安全などを神に祈願しました。
はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島から特別に運び入れ、それを御嶽に敷きつめました。
その祭事の中でも、最も大きな行事が、聞得大君(きこえおおきみ)の就任式である「御新下り(おあらうり)」でした。
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🚶駐車場から、斎場御嶽入り口までが遠かった。
斎場御嶽内部もかなり激しい上がり坂となっています。
⑧知念グスク
知念城跡は、知念按司の居城である伝えられて、
創建については不明ですが、
13世紀から利用されたグスクとみられています。
城内には国王や聞得大君(きこえおおきみ)が東御廻り(あがりうまーい)の時に参詣した拝所「友利之嶽(ともりぬうたき)」や、火の神(ひぬかん)があります。
また、1761年から1903年に至るまで、知念間切の番所(役所)が置かれていました。
※按司とは?
琉球の官名の一つ。 〈あじ〉〈あんず〉などともいう。 古くは各地で領域支配を行っていた豪族・首長を称していたが,琉球王国の確立に伴い,首里(しゅり)に集住させられ,最高位の位階とされた。 おもに王族から任じられ,地方行政区画である間切(まぎり)の領有が認められた。
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⑨知念大川(ちねんうっかー)
知念グスクの西側にある泉で、泉の後ろにあるウカハルには、琉球開びゃく祖神のアマミキヨが天から稲を持ちかえり、この地に植えたという伝説がのこされています。南城市玉城(なんじょうしたまぐすく)の受水走水(ウキンジュハインジュ)とともに、稲作発祥の地として、現在でも沖縄全島から多くの参拝者が訪れます。
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🚶⑧知念グスクを探すも見つからず。
先に⑨知念大川が見つかる。
⑨知念大川から歩いて来た人に訊ねると、「この先3分くらいです。草ボーボーですけど。」と言われ、鬱蒼とした急な山道を5分くらい上がると、急に開けて⑧知念グスクに到着。
⑩受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)
琉球での稲作発祥の地と伝えられる聖地
現在も稲の始まりを神に感謝する行事が執り行われている。
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🚶付近に、有料駐車場があり表示に1時間以内300円1日500円とあった為、300円で停めらるかと思いきや500円かかるとのこと。駐車場係員に「路駐した方がいいんじゃないか?」と言われ、路駐。
湧水が出ているところの近くは稲が植っていました。
11.ヤハラヅカサ
琉球の創世神・アマミキヨが海の彼方にある神々の理想郷・ニライカナイから渡来し、沖縄本島に最初に降り立った場所といわれる。
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🚶きれいなビーチになっており、地元の子どもたちで賑わっていました。
12.浜川御嶽(はまがーうたき)
ヤハラヅカサに降り立ったアマミキヨが仮住まいをした地。
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13.ミントングスク
浜川御嶽に仮住まいをしていたアマミキヨが安住したといわれるグスク。
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🚶付近を歩き、近所の人を見つけて道を尋ねて場所が判明。看板は出ておらず、参拝の際には、私有地のため環境整備の募金をお願いする旨の立て札を
発見。心ばかりの募金をさせて頂きました。
探しにくさでは、最難関と言えるでしょう💦
14.玉城グスク
アマミキヨが築いた琉球七御嶽のひとつでもあり、干ばつの際には国王自ら雨乞いの儀式を行ったとされる。東北東に向かう門はニライカナイに通じるとされ、夏至の日には太陽の光が差し込む。
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🚶近くに草地の広い駐車場あり。
高台にあり、眺めも良いですが、階段がきつい。
最後の力を振り絞って登りました。
階段の途中に何か祀られているところもあったのですが、城址内の拝所と思しき場所で、手を合わせました。
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