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勇気を出して自分を信じてみる。

「思い込み」をなくすのはとても難しいし、簡単にはなくせないから「思い込み」と言うんだろうけれど、できる限り気づいてなくしていきたい。


思い込んでいることが多すぎるのかもしれない。

ぐーっと自分に向き合う時間が多ければ多いほど、思い込みを加速させるリスクもある。適切な自己認知ができていればいいのだけど、それがずれていた場合、さらにそのずれに気づけない場合、本来の自己と自己認知は少しずつずれていって、本当はそうではないのに「自分はこうだ」と思い込んでしまう。

「長所」について考えたときもそうだった。自分の一番の強みはこれだと思っていて、昔から変わらないことに違和感がなかったけれど、「これしかない」と、それこそ思い込んでしまっていた。本当はもっとたくさんあるのに。
思い込みというものは、とっても厄介だ。

パーンと突き抜けない何かがあるのは、いろんな思い込みに縛られているから。昨日のnoteでも「伝えるために書いていると自信を持って言えない」と書いたけど、なんだろうな、本当はその自信、もうあるかもしれないのに、とも思った。
でも「ない」と書いてしまうと、うんやっぱりまだ自信ないよなぁ、とその想いを固めてしまうことになる。ああもったいない。もう自信もって書けるフェーズにいたかもしれないのにね。

突き詰めて考えると「幸せではない」という思い込みがある。

幸せは追い求めるものではなく、今あるものの中から気づくもの。それはわかる。だから見つけようとする。見つかり、感じられるときもある。でもがんばって見つけるものなのだろうか。がんばらないと幸せを感じられない自分は、やはり幸せではないんだろうな。と。

でも、本当にそうなのだろうか。

そもそも「幸せではない」→「だから見つけようとする」という部分からずれているのではないか。幸せではないって思ってるけど、もう幸せなんじゃないか。先日読んだ漫画で「私は、幸せだったのか」というセリフがあり、妙に心に残った。その登場人物も気づいてよかったと思うし、私ももう幸せなんじゃないかって。

無理やり思おうとしているわけじゃない。頭の上に靄がかかっているような、突き抜けない何かがあると感じるのは、本当は何かがあるわけじゃなく、自分が突き抜けさせなくしているんじゃないかと思ったんだ。幻想の靄。本当は靄なんてない。前に進みたいと言いつつ、なんだかんだ言い訳して今の場所にとどまろうとしている。それはもうやめよう。

自分は今幸せだと思う。それを出発点にする。
そして前を見る。進む。

自信。自分を信じると書く。
自分を信じることって、実は勇気がいることなんだな。

否定している方が楽かも。
信じられない、だから前に進めないと、言い訳になるし。

もう、私は私を信じよう。




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