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日々を忘れないために。
2020年の4月30日から毎日書き始めて、今日で1年になりました。
正確には10月と1月に1日ずつ途切れているので「365日!」という表示は出ていません。が、ほぼ1年続けてきた、と言ってもいいのかなと思います。
こないだこちらにも書きましたが、今は書き続けることに苦しさはなく、息するように書いています。「…ああ、やっと1年…!」というよりは「あら、そういえば1年なのね」とさらっとした感じ。
こないだ、これまでの記事をマガジンに分類しました。書いたらすぐマガジンにつっこめばいいのに、「どう分類するか」(どうマガジンをつくるか)をちゃんと考えたく、考えたいと思っていたら時間がすぎ、大量の記事をまとめて分類することになってしまいました。まだ、終わる気配がありません。
新しく追加したのが「自分との対話」「人との関わり」「日常」です。「日常」というのは、他のどれにも分類できないものをつっこんでいけるマガジンです。MECE(もれなくだぶりなく)というやつですね。「どこにも分類されていない」というものがあると、すごくむずむずしちゃう。
ただ、これでもなんだかしっくりこなくて、何が足りないんだろう?と考えたときに、自分にとって思い入れのある、覚えておきたい記事がまとめられてないな、と思ったんです。
どこかのマガジンには所属しているんです。
でも紛れてほしくない、というか。
そこで「大切に覚えておきたいこと」というマガジンをつくり、これも、あ、これも、と入れていきました。
…入れる数多くないか?
まだ3か月分くらいしか整理してないのに、28記事も入ってます。
(急いでつくったからサムネイル画像もまだ)
ジャンルはいろいろ。子どもとの関わりで気づいたこともあれば、自分と深く対話したもの、過去の中で大切にしたいエピソードなど。
分類していくときは半ば直感で。これも!みたいな感じでぼんぼん入れていきました。
覚えておきたいんだな。
忘れたくないんだな。
改めて、そう思いました。
「忘れないからなんなの?」と聞かれたら、よくわかりません。そもそも書いたからって、「大切に覚えておきたいこと」というマガジンに分類したからって、全部は覚えていられません。悲しいかな、忘れてしまう。
だからこそ忘れないために書いている。
確かにそこに日々があったと。そして日々の中で、考えたこと、感じたこと、人との出会い、それにより感情が動いたことがあったと。
そう考えると「忘れる」って一番さみしいことかもしれません。
ふと「リメンバー・ミー」というディズニー映画を思い出しました。死んだ人は死者の世界でも生きていて、でも、現実の世界でその人のことをみんなが忘れてしまう(覚えている人がいなくなる)と、死者の世界でも生きられなくなってしまう、という設定で。
ある人が忘れられて、死者の世界から消える瞬間に、すごくさみしそうだったのを覚えています。
少し話がずれましたが。
「忘れる」ということはつまり「なかったこと」になってしまう。だからさみしい。
考えたことも、感じたことも、人との出会いも、それにより感情が動いたことも、なかったことになるのはさみしい。
もちろん、書かなくても覚えていられる人もいると思います。でも「忘れない」に抗えるのなら、少しだけ「覚えている」ことができるのなら。毎日少しずつ書くことに、確実に価値があると思うのです。
私の記事をいつも読んでくださる方、心からありがとうございます。
書き続けると「読んでくれる人がいる」ということに慣れてしまいそうになりますが、全くあたりまえのことではなくて、そのありがたみも「忘れない」ようにいたい。
Twitterやコメント等のやりとりがなくても、同じ方が読んでくれているのがわかると、なんだか見守ってもらえているような感じがして、とても安心して書けています。
これからもどうぞよろしくお願いします。