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半分ずつ、ね

コミュニケーションの責任は、自分と相手に50%ずつある

この考え方を教えてくれたのはある友人だった。

言われてみればあたりまえなのだが、あたりまえに思えてないときがあった。伝わらなかったら私の伝え方が悪い。わからなかったら私の受け取り方が悪い。なぜかいつも自分が100%背負ってて、違和感もなかった。ただ、友人の考えを聞いて気持ちが軽くなったことを覚えてる。たぶんずっと重たかったのだ。

以来、コミュニケーションがうまくいかないときに、自分を責めることが少なくなった。自分はどう頑張っても50%しか責任を持てないのだとわかったから。もう50%は相手の領域なのだから。これは逃げではなく、いい線引き。

言い換えると、自分の50%には最大限の責任を持つ必要がある。

相手の立場や状況を想像しながら「伝わる」ように工夫し、好奇心と尊重をもって「聴く」ことができたのか。自分の50%なのに「わかってくれない」もしくは「伝え方が悪い」と相手の責任にしてないだろうか。

ここの線引きはすごく難しい。
自分が背負いすぎてもだめ、相手に背負わせすぎてもだめ。ちょうど半分ずつが目に見えるわけじゃないからなぁ。半分過ぎたらビビーッと音で知らせてくれたらいいのにね。残念ながらそんな装置はなさそうだけど。

むしろこの揺らぎが大切なのかもしれない。
私の領域の問題か、それとも相手の領域の問題か。
どっちだろう、とその都度考えること。

ある時は私にも省みる余地があるかもなと考え、ある時は相手の問題だろうと割りきる。相手が誰なのかによって、背負う%も変わってくるかもしれない。たとえば相手が小さい子どもだったら、責任は半分ずつではない気がする。より伝わるように伝え、より好奇心と尊重をもって聴く姿勢が必要になる。

自分の責任。
相手の責任。

この「責任」が意味するところは、よりよいコミュニケーションへつなげるために持つべき、相手への「礼儀」に近い。

コミュニケーションの半分を担っている人間として礼儀を尽くせたか。ふりかえり、問う。




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