「もやもやくん」の正体。
何となく、エンジンがかかりきらない日がある。
特に、何かあったわけじゃない。
いつも通りの日。
生活に必要なルーティーンもこなせてる。
体調も悪くない。
心配なこと、不安なことも特にない。
それなのに、どうしてか気持ちが前向きにならない。
理由や原因が思い当たらない。「あ~あのことがひっかかってるのかも」と心当たりがあれば、対処できそうなのに。
「よくわからないけど何となくずーんとする」という日が、実は一番苦しい。
ずーんと心にのしかかってくるものを「もやもやくん」と呼ぶことにした。
もやもやくんは、脈絡なくやってくるから困る。
そしてアクセル踏むことを、じゃましてくる。
進みたいのに、どうしてじゃまするんだ。
がんばろうとしているのに、どうして止めるんだ。
もやもやくんがやってくる目的は、いったい何だろう。
もしかして。
じゃましに来ているわけじゃない?
むしろ逆。
助けに来てくれてるのかな。
「がんばりすぎなくてもいいんじゃない」
「今日はダラダラしてもいいんじゃない」
もやもやくんがそういうメッセージを持ってきてくれているとしたら、むしろ苦しさの原因は自分側にある。
「がんばれがんばれ!もっとできる!」
「いつも通り、ちゃんとやりなよ!」
もう一人の自分からの激励が、時に重い。
そういう言葉に押しつぶされそうになっているのを、もやもやくんは助けようとしてくれているんだ。
じゃましに来ているわけじゃない。
むしろ「アクセル踏みすぎるなよ」と言ってくれてるんだ。
「よくわからないけどずーんとする」という感覚は、前向きな想いや言葉の影に隠れた、ちょっとだけ後ろ向きな想いや言葉のかたまり。
ちょっと疲れたとか、少し休みたいとか。
それを無視してぎゅぎゅっと押しつぶし続けると、反動で大きくなり、前向きなものを逆に押しつぶしてしまう。かもしれない。
もやもやくんがやってきたときは、むしろ「きた!」と喜ぶべきなのかもしれない。
頭では絶好調だと思っていても、心は「ちょっと…」とサインを発している。そのサインを届けてくれるのが、もやもやくん。
もやもやくんがきたら、「なんだよ~~」と邪険にせず、受け止めて「サインを届けてくれてありがとう」と感謝して。いろいろ考えるのをやめて、心のままに過ごしてみる。
何もしない。それでもいい。
ただただ、その状態を受け入れる。
「まあ別にいっか」とちゃんと受け入れることができたら、たぶんもやもやくんはすっと消える。
もやもやくん、じゃまだと思ってごめん。
一人で気づけないサインに、気づかせてくれてありがとう。