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nom99
「覚えてた」が届いた日
私は記憶力がいいほうだ。
子どもに関わる職業柄、大勢の顔と名前を覚える機会が多い。特に今の仕事は毎月新しい子が入ってくる。そのたびに名前、顔を覚える必要がある。
これがわりと得意なため、「あの子は去年のあの活動にいたよね」「この活動では○○(スタッフ)の班だった」と情報をすぐに引っ張り出せる。「よく覚えてるね」と周りから驚かれることもしばしば。地味だけれど特技。
今日はある保護者さんから電話がかかってきた。以前活動に参加したことがある、ちょっと聞きたいことがあって、という内容。名前を聞いたら、あの活動に参加していたあの子だ、とすぐにわかった。「~にご参加いただいてましたよね、その節はありがとうございました」と伝える。
用件を聞き、一通り対応する。電話を切る際にその保護者さんが言った。
「覚えててくださったんですね、ありがとうございます」と。
以前、これを書いたことがふと浮かんだ。
「覚えてる」というのは、相手の存在を肯定する行為だと思う。そこにいるあなたを認識していますよ、というメッセージ。
これを書いたときは、私は覚えてもらっていた側。存在を肯定してもらえたような気がして、驚きと、嬉しさが混じって。
いつか誰かに「覚えていたよ」というメッセージを意図せず届けることができたなら、それは小さなギフトになり得るのかもしれない。
もしかしたら今日私は、保護者さんに対して、「覚えていたよ」のメッセージを届けられたのかもしれない。それがギフトになり得たのかどうかはわからないけれど、「ありがとう」の言葉に、少なくとも悪くはないメッセージだったと思いたい。
地味な特技。でもそれが、誰かが嬉しい気持ちになるギフトになり得るのなら、これからもその特技を大切にもち、磨いて、発揮していきたい。
「覚えてる」も、ギフト。