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「また会おうね」が叶わなくても
もしかしたら最初で最後かもしれない。
それはきっとかけがえのないものになる。
*
先日、仕事で子どもを連れて海へ行ったときのこと。初対面の女の子3人が一日を通してめちゃくちゃ仲良くなっていた。「本当に今日はじめて会ったの?」と疑うくらいに。解散するときは「また絶対に会おうね、絶対だよ、絶対ね」と何度も何度もハイタッチをして、名残惜しそうにお別れしてた。
子どもたちが参加してるのは(私たちが運営してるのは)登録制の地域子ども体験活動クラブ。継続的な参加を主旨とし、その過程で子どもの成長を支えることを目的とする。とはいえ、もちろん一回きりで参加しなくなる子もいる。続けて参加しててもパッタリ来なくなることもある。それはその子の意志もあるだろうし、塾や習い事などの事情や、ご家庭の事情が絡む場合もある。
「絶対に会おうね」
そう約束するこの子たちが会えるのかどうか。彼女らの姿を間近で見てた大人としては再会してほしいと願ってしまうのだが、それができるのかどうかは私にも、たぶん彼女らにもわからないことだった。
先のことはどうなるかわからない。でも、だからこそ。今日という日が思い出の中で、強烈な光を放つ可能性もあるかもしれないと感じた。
一緒に海で泳いだこと。一緒にサップボードに乗ったこと。一緒にスノーケリングをしたこと。一緒に磯の生き物を見たこと。一日という時間を過ごす中で、ずっとずっと笑い転げていたこと。
大人はこういう状況を「一期一会だなぁ」なんて思ってしまうけれど、彼女らは「一期一会」とは思ってない。「意気投合したな」とも捉えていない。ただただ、○○ちゃんと一緒にいて楽しかった、友達になれてよかった、そういう心がじんわりするような感情とともに、今日の記憶が刻まれ、思い出となるのだろう。
この思い出が願わくば、彼女らの糧になりますように。