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呪いをかけられたことがある

「頑張れ」は呪いかどうか、という作文を書いた。呪いの言葉だと思っていたけど、状況が変わったら違う意味があったよという話。

今日のは違うよ。呪いの言葉でしかないやつ。

言われたのは、母の葬儀の間。言ったのは誰か知らないおばちゃん。親戚か、近所の人か、とにかく私は知らない人。

母を亡くした4人姉妹の長女の私に、そのおばちゃんはこう言った。

「これからは娘であり姉であるだけでなく、妻であり母でありなさい」と。

そうか、母が亡くなるということはそういうことなのか!よし、お母さんを超える妻になろう、お母さんを超える母になろう。

私はがぜん張り切った。だって、なんだか、私だけに特別な役割を果たす権利があるのだと言われた気がして、嬉しかったからね。

でも、今は思う。

もしこの言葉を私に言ったおばちゃんを見つけたら、怒鳴りつけて殴りつけて、絞め殺してやりたい!

この言葉にどれほど縛られ、苦しんだか。

どんなに努力しても、努力しても、決してなれないものに、なぜ、なれと言ったのか。

たった12歳の私に。

お母さんが恋しくて恋しくて、まだまだ甘えたかった私に。

どんなに夜遅くても、父の帰りを待って、話相手になった。父が単身赴任してからは、郵便物に気を配り、必要な書類を頼まれれば取りに行き、父をサポートした。

妹たちの学校の書類に目を通し、提出物に記入し、個人面談に行き、PTAに出席した。

それでも、父は私を妻とは思わなかったし、妹たちは私を母とは思わなかった。決して。

どんなに辛くても、嫌でも、それを選ぶことを自分に課して頑張ったのに、どうしてもなれなかった。

あのおばちゃんの言いたかったことはなんだったんだろう。

お父さんにとってこれから一人で娘たちを育てるのは大変だろうから、もしイライラしていることがあっても少し多めに見てあげてね。

妹たちのけんかの仲裁に入り、話を聞き、みんなで仲良く協力してね。

そんなところだろうか。もうちょっと丁寧に説明して欲しかったし、言ったからには見守って欲しかったよ。


母が亡くなって30年以上経った。

今年、ちょうど我が子が12歳になった。12歳ってこんなに幼いのか、と知った。環境のせいでいくらか当時の私の方がませていたとしても、たかが知れている。

解釈することができず、言葉のままに飲み込んでしまった幼い私と、丸飲みするには重すぎる言葉。

今、この年齢になれば、世の中にはもっと、想像もつかないほど、悲劇的な人生を送らざる得ない人がいることを知っている。いくら呪いの言葉をかけられたとは言え、その生き方を選んだのは私であり、選択の余地すらない苦しい生活を強いられている人とはまるで違う。

けれど、やはり考えてしまうのだ。この言葉がなければもっと伸びやかに過ごせたのじゃないかと。この言葉に縛られ続けた10〜20代を返して欲しいと。

でもちゃんと教訓があったよ。物理的になれないものを目指してはいけません。他人に目指せと言うのもあかんこと。

それが持つ本質が何かってことが大事なんだ。

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