叔母さんの話
私には叔母さん(お母さんの妹)がいるんですけど。
母と叔母はとても仲が良かったので、私が子供の頃は家も隣で、しょっちゅう遊びに行ってました。
叔母には子供がいなかったので、私の事もすごく可愛がってくれて、もう一人のお母さんのような人。
父が出かけないタイプだったので、旅行やら遊びやらは、いつも母と叔母と兄と私。
思い出には常に叔母さんがいます。
50代半ばくらいになってから、今の旦那様と出会って結婚して、二人で楽しく暮らしていたようでした。
この旦那様がまたとても良い人で、私やごんたさんにも、同じように優しくしてくれました。
7.8年前に膵臓癌の宣告を受けて、手術したり抗がん剤をしたりして、副作用で苦しい時期も沢山あったはずなのに、いつも明るくて笑顔を絶やさない人でした。
だから私も、あまり深刻に捉えてなかったのかもしれません。
3年くらい前に、辛くて効果の無い抗がん剤をやめて、緩和ケアに切り替えたようです。
そんな事も私は知らなかったけど。
そこからは少し落ち着いて、旅行ばかりしてました。
もともと活発で遊び好きな人なので、自分の生まれ育った街(北海道)を巡ったり、温泉入って朝日を見たり、療養かねてしばらく長野で暮らしてたり。
もちろん体調悪い日もあったみたいだけど、なるべく後悔のないよう、やりたい事やって楽しんでたみたいです。
8月になってからは入退院を繰り返してましたが、ついに先週、余命一ヶ月と言われたそうで、会いに行ってきました。
癌がアチコチに転移して、肺炎も併発してて、だいぶ痩せ細って苦しそうでした。
それでもニコニコ笑ってくれて、最後には『ゆきちゃん、元気でいてね。頑張ってね。』と言ってくれました。
「元気だよ。ちゃんとやってくから。心配しないでね。」と返しました。
昨日また連絡があり、もう今日か明日じゃないかとの事だったので、また病院に行ってきました。今度はずっと寝てましたが、旦那さんといろいろお話してきました。
旦那さんは、叔母が入院してからずっと泊まり込みで病院にいます。
『たまに家に帰ってもね。ずっと隣にいた人がいないと落ち着かなくて。どうせ寝れないから、ここにいた方が良いんだ』
叔母と旦那さんは本当に仲が良くて、どこに行くのも一緒でした。
亡くなった後も、叔母の希望で、納骨はしないそうです。
骨は家に置いてもらって、旦那さんと最後まで一緒にいたいと。
いつか旦那さんが亡くなる時に、一緒にお墓に入るそうです。
『僕一人じゃ、どこも出かけないから。彼女がいてくれて、一緒にいろんな所を旅して、本当に楽しかった。たくさんの思い出を貰ったよ。病院一つ行くのも、じゃあちょっとお散歩して帰ろうとかね。アクティブな人でね。
膵臓癌なのに7年以上生きれたのも、彼女の気力と体力が本当にすごいってお医者にも言われるんだ。』
私もそう思います。
『僕のために頑張ってくれたんだよ。いつも誰かの事ばかり気にしていて、ほんとに優しい人だよ。』
自分の妻の事を、優しい人だと堂々と言える。
そんな旦那さんだからこそ、叔母も大切にしたいと思ったのだろう。
愛する人がずっと側にいてくれて、晩年は一緒に沢山の思い出も作れて。
それでもまだまだ心残りはあるかもしれないけど。
もし私が死ぬ時は、こんな風に死にたいなと思いました。
天国には私の両親もいるので、きっと寂しくないよ。
いつも心配かけてばかりで、ごめんね。
※この話は、読ませようと思って書いてません。
ただ私が吐き出したかったというか、頭の中のモヤモヤを言葉にしてまとめたら少しスッキリするかなと思って書きました。
なので読み物としては別に面白くないし、まとまり無いかもしれません。
泣いちゃうから上手く書けないんだー。
ごめん。