2000年に専門卒20歳でロスジェネだった記憶

コロナでの失業とかのニュースをみてて、当時の私を思い出した。

実は20年以上たっても、まだどこかしらの呪縛から抜け出せていないので、書いて自分の中から少し捨てたい。

当時、専門学生で福岡に住んでいた。何社に送ったのか覚えてないけども、50~100社の間だと思うが、お祈りをされまくった。お祈りは効果を発揮しないものだ。

当時の記憶で一番鮮明なのは、お祈りの返事が増えるたびに

履歴書の写真返せよ。いくらかかると思うんだ!

と本気でお金に困っていたことだった。

今と違って、当時は不採用者の履歴書を返してくれなかったし、実はお祈りの返事をくれるところはまだ親切だった。なぜなら、「ダメだったら返信しないのでそのつもりでいてください」だったのだ。証明写真4枚800円ぐらいだったっけ。それがまたつらい。

そして、説明会は東京・大阪のみ開催。当然旅費は自費。面接に進んでも、当然自費で面接を受けにいく。地方格差かよと叫びながら青春18切符と夜行バスで頑張る日々。

人気の事務職2名に対し、ハローワークで500名とか応募がくるよくわからない感じの時代、就職氷河期。その中でもロスジェネ真っ只中。

落とされる日々を送ると、闇に落ちる

私は、現在でもそこそこに自己肯定感が低い。呪いのように低い。それがどこで醸成されたのか?氷河期就職戦線が関係していないとは言えない。

足りないと言われたので、MOUS試験を勉強しWord、Excel、Accsess資格を取得した。ビジネス検定をとった。色彩検定をとった。CAD利用技術者とった。なんかいろいろやってみたけど全然肯定されることはなかった。

さらに、面接までいっても今ならないであろう言葉をたくさん浴びた。

「女の子はすぐにやめるからねぇ」「きみはうちに向いてないとおもうよ」「うちの社員とコミュニケーションうまくとれないと思うんだよね」「あなたやりたいことができたら楽しかろーねと思うけど、うちではないな」「実家は何してるの?(自営業と答える)なーんだ、家あるからいいとおもってんでしょ。腰掛じゃん」

大体おっさんだったので、今でも無神経なおじさんはフラッシュバックするから好きではない。今考えると、おかしいこと言われていることも多々ある。今ならその言葉を投げかけられた瞬間に、「こちらからお断りします。履歴書返してください」といえる。いや当時いいたかった。いわなかったから今でも後悔と恨みがあるんだ。

「お前ができないのが悪い」という自己責任論は、心にぐさぐさ刺さりまくっていて、20年以上かけて少しづつ自力で刺さっているトゲを抜いている。でもトゲは全部抜けてない。

そんな中小さな印刷会社に就職。月収13万手取り10万くらいだったけども、それでも正社員だったからみんなに祝福される。その状態でなぜか12時をまわり2時とか3時に帰る日があるような仕事をしていた。残業代なしw今ならわかる狂ってる。そして、どやされる。なにもないのに胸が痛いとか、目がチカチカするとか階段で倒れそうになったりいろんなことがありやめることになる。

この間に何社かはさむが、次の運命は印刷会社。ここで学生時代に覚えたHTMLが役に立つ。この会社にいる間にCSSとか新しい技術がでてくる。覚えるために勉強を頑張って、学校へ通いphpを覚え、wordpressなど触り出しなんとなくいい感じになったとき「リーマンショック」が起きた。

無念の失業。20歳のときと同じようになんとも仕事がない。2回目だとあまり動じなくなり、職業訓練に通ってみるそして就職。今度はWEBの講師とフリーランスのダブルワーク。ただ、給与は良かったが講師業が朝9時〜夜11時を過ぎる過酷を極めたため、正社員講師はやめて派遣社員でWEBのコーダーとjavascript組みとして働き(当時の派遣の時給¥1,400)、デザインをフリーで受注するスタイルに変更した。派遣社員を初めてやったがわたしが頑張っておぼえたのこんなに安いんだっけ?と思いつつなんともすごいなと思えてたが半年後、初めて派遣社員の洗礼をうけた。

12月頭「来月もよろしく頼むよ」12月25日「あの、やっぱりダメになったから1/5からの契約はなしね」

大手上場企業でしたが、この辺りで前々からうっすらそうだっけど、一応信じる気持ちとか持ってたわたしの心は「会社は基本信用しないスタイル」に固まってしまい溶けない。だが、営業はできない性格のためフリーランス一本では食えないのはわかっているから正社員を目指した。なんで正社員に固執したのかというとそれも呪縛な気がするけども。なんかただの利害関係のような気持ちに変化したんだと思う。

その後IT企業に就職。この辺で気がついたのは自分より4~5年若い人の給与。なるほど。としかいえない。運を感じたのはその辺り。でも追いつくために死に物狂いで勉強して仕事をするスタイルは変わらなかった。というか仕事はそういうものだと思ってたけどよくみていると、あれ、わたし頑張っているけど、若干引かれている?かもという違和感がでてくる。自分より若い同じような仕事をしてる人はみんなプライベートが大事だといった。

たまに出会う同年代のすごい方と話すとすごい人なのに、その人たちは口を揃えて「運がよかった」といった。

運がいいってなんなんだろうな

わたしの同世代は全員、前世の業が深いのだろうか?

現在幸いなことにIT企業にいるため、コロナには翻弄されていないが、少しちがう場所にいたら、まちがいなく3度目だった。私は単純に今回「運がよかった」と確かに思う。

だいたいは運で決まるぽいんだよねぇ。

生きてりゃなんとかなるかなぁ。わたしそれなりに仕事できるし。そう思えるようになったのは40過ぎてからだ。しかもコーチングとかいろいろやった結果。

でも、最終的に今運いいだけだから、1年後わかんないよねとか思うのは仕方ない。癖だから。自分はこういう人だと思って付き合う。

それが幸せとはあまり思わないので、20歳ぐらいの人がそういうので苦労しない世界になったらいいなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?