見出し画像

ZINEを作り始めたことと、『桐島、部活やめるってよ』の話

今年、ZINE作ってみたいなーと思ってあれこれ試作してます。

企画を考えている途中の書き殴りたち

自分が本や雑誌を好きで読んできたことなんて、お金にならない無駄なこと(純粋に楽しみではあるが仕事には役には立たない)だと思っていたけど、ラフを見せた方の反応を見るに”作りたいモノ”のアイデアや、言葉選び、伝えたいことや読者はどう感じるかを考えるクセの裏側に、きちんとその基礎練みたいな期間が活かされているのかなと感じました。あれって無駄じゃなかったんだ…!と。

夢中になって読んでたら夜が明けてたドストエフスキーや
12歳の私には文化的ショックが大きかった雑誌olive、
さすがに全巻読めなかったけど奮闘したプルーストな分厚い本、
タワレコ渋谷店でかき集めたフリーペーパー…etc

こういう見せ方がいいとか
こういうデザインがお茶目とか
この文体に勢いを感じるとか

もちろんレジェンドのそれと同じではないのだけれど吸ってきた空気があるかないかでクリエイティブが違うというのはあるのかもしれないなぁ…と。  

・・・

映画『桐島、部活やめるってよ』のラストシーン。
ゾンビの自主映画を撮る神木くん演じる「前田」に、東出さん演じる学園の虚無イケメン「菊池」が、「映画を撮ってて何の意味があるの?監督になるの?」(※セリフそのままではなくそのような内容のこと)というような質問を投げかけるシーンがあります。

好きなものがない
作りたいものがない
情熱がない

そんな菊池からしたら、映画を撮ってるということはその先に映画監督になるとか考えてるのかなと思うのが自然ですよね。

でも、前田は「アハハっ!そんなわけないよ」と吹き出してこう答えるのです。
 
「でもね、自分が映画を作っているとほんの一瞬、自分の大好きな映画と同じ感覚になる瞬間があるんだ」と。

セリフの細かいニュアンスが思い出せないのですがこういうことです。今自分が作ってるゾンビ映画が商業的に成功するとか、歴史に名を残すようなものだなんてまさか思ってない。でも、好きで作りたくて作っていると、ふとこのシーンのこの感じ!ロメロ(ゾンビ映画のレジェンド)のあの感じと一緒だ…!と思う時があると。

・・・

私はNetflixのドラマをよく見るのですが、人気ドラマに関してはそのビハインドを記録したドキュメンタリーが公開されることがあります。『ペーパーハウス』では紙幣をばら撒くシーンを撮るのに雨が降ってしまい張り付いた紙幣をかき集めるのが大変だったとか、『ストレンジャー・シングス』では80年代のレトロな雰囲気を出すために今ではほぼやることがない、夜のシーンの演出として窓の外を青い光にすることを試した、など。そんな演出の苦労や工夫を聞くたびに「わ、わかる…!!」と思ってしまうんです。

私もコスメの撮影でコンフェッティを散らしたら回収するのが大変だったよ…とか、

光の演出に凝ってかなり技巧的な木漏れ日画用紙で製作したりしたよ…とか

もちろん自分がトライしてることは私が1人でできることでNetflixの巨万の富をかけたドラマ制作とは規模が違うのです。違うけれど、にも関わらずやってることの向き合い方は一緒だ…!と感じる。みんなもこうやって苦戦してクリエイティブ作ってるんだ!と。

『桐島、部活やめるってよ』の前田が感じてるのも同じだと思うのです。高校生の自主制作ゾンビ映画、お金もないし学校という狭い空間でしか撮れず出来ることも限られてるでしょう。でも作りたくて作っている中で、あの映画のあれと通じる時がある。

台割つくってもつくってもしっくりこず書き直してる

今ZINEを作っています。

作る中で、あの頃好きだった雑誌や本やレコードのジャケットやフリーペーパーや、いろんなクリエイティブを思い出し、ふと一瞬だけ繋がる時がある。もちろん同じようには作れないんです。作れるわけないんです。前田くんが作ってるゾンビ映画だって学生なんだからお粗末なものなんだと思う。同じように私も前田くんなのです。ZINEも拙いものなんだけど、作る過程にクリエイティブの繋がりを感じることが自分の糧になってる気がする。

先日お会いした編集の吉川愛歩さんに

「ゆきこさんのnoteを読むと本を読んできた人なんだなということがわかります」

と言っていただきました。
本を読めば文章が書けるというそんな一直線に繋がる話ではないのだけれど、自分の背景に読んできた基礎があることが知らず知らず滲み出ていたのかと思うと、私の青春も捨てたもんじゃないなって思った。


サポートありがとうございます!いただいたサポートで新しい食器を買って、みなさんが「読んでよかった」と思ってもらえるようなnote書きたいです🌿