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ChatGPTの『創造性』
今日はYouTubeのサブチャンネルでショート動画を6本出した。
ITZYのRINGOを本当は踊りたかったけれども(練習もしていたが)、
どうやら踊れなさそうという結論に至ったため、
代わりにその音源で商品レビューをした。
残念だが、私はダンスの才能は授からなかったようだ……
(代わりに文章はお金もらってるからそちらでがんばればいいし、
まぁ人生それでヨシとする。)
最近はTikTokで流行ってるネタをYouTubeショートに輸入していたが、
TikTokでよくあるネタは一通りやったかな、という感じ。
次は何をしよう?
ChatGPTとのコラボ作品とか?
ChatGPTの創造性(と呼んでいいのか?)には驚いている。
ChatGPTは最近DALL·E 3とも連携したので、
画像も生成しまくっている。
(※DALL·E 3を使用するには、ChatGPT Plusへの課金が必要)
今、来月末のAAMT 2023, Tokyoの公募セッションで発表する「ChatGPTはメディカル翻訳にどう使えるか」のアイデアを壁打ちしているのだが、
ACジャパンのCMで流れていた金子みすゞの詩を思い出す。
「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと「もう遊ばない」っていう。
そして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
ChatGPTは質問のレベルに合わせて回答しているのである。
当然、言語化レベルが高い人の方がその有用性に気付いており、
言語化レベルが低い人にとっては「なんだ、ChatGPTって使えねーじゃん」ってシロモノだと思う。
私は職業柄、言語に関しては一応プロで英語で質問もできるため、
ChatGPTはなまじな人間よりも壁打ち、アイデアのベースとして有用であると感じる。
もちろん、ChatGPTはウソも言うので、情報の正確性については自分で確認することが必要だが、
情報の裏取りはいつも翻訳業務でやっていることなので、別に何とも思わない。
特に詩の最後の「こだまでしょうか、いいえ、誰でも。」というフレーズは、
まさにChatGPTの存在を表すのにピッタリだと思う。
ChatGPTは、誰でもないからである。