時の神トートと水星 時間の起源
エジプト神話に登場する書記・学芸・時の神トートは、水星をシンボルにしている。
水星は太陽に近く、日没後日の出前の僅かな時間しか出現しないこと、高度が低い事から見えにくい事もあり観測が難しく、詳しくわかったのは近年とされる。
コペルニクスは一生水星を見たことがなかったと言われる。
ただコペルニクスが住んでいたポーランドは緯度が高いため水星は見えずらかったから仕方ない。
それくらい見過ごされてきた水星。
だが、この水星こそ、時間の起源であったと考える。
根拠は、ヒエログリフの数字の10(デカと呼ぶ)を表す文字である。
馬蹄形∩の形。
何故10は、∩の形なのだろう。
デカンとは、シリウスやオリオンなど目印となる星のことをいい、星々が順に昇ってくるのを数えることで、夜の時刻を知るため用いられた。
それぞれの星は角度で10°くらいずつ離れているので、およそ10日ごとに日の出の直前に次の星が昇る (=ヒライアカル・ライジング)。デカンと呼ばれているのはそのため 。
シリウスやオリオンなど一部を除き、具体的にどの星がデカンであるかについてははっきりとわかってはいない。
一つハッキリしているのは、日の出直前の星が重要な概念となっている。太陽を先導する意味があったと思う。
天文年鑑記載の水星の見え方を参考にみてみる。
水星は116日周期で会合するため、年3回東の空と西の空にみえる。3パターンの見え方がある。
水星は太陽と地球の間に位置するため、月と同じように満ち欠けしており、形を変え光度も変化する。
最大離角の時期に水星を見つけやすくなるが、中でも 春分の頃の夕方と秋分の頃の明け方に水星の地平線からの高度が高くなる。
これは、天球上における 水星の位置が黄道付近にあり、秋分春分時期の黄道は地平線に対して立ち上がった角度にな っているため。
だが、季節的条件を考慮すると良く見えるとはいえない。
歳差と近日点移動を考慮すると、
最も良い条件になるのは12000年後。
ベガが再び北極星となる時代である。
つまり、14000年前に水星は北半球の夜明け前と日没後にキラキラと輝いていた。
春分秋分頃の水星の見え方は馬蹄形で表される。
14000年前はおそらく30日間見え、最大高度30度位だった。
(現在は水星の最大高度は極大でなく、見える期間も短い)
ベガが北極星の時代は、非常に良い天体観測条件が整っていた。北極星は全天3位の輝星ベガ。
それだけでも最強だが、南極星は全天2位の輝星カノープス。
季節を告げる水星は日の出前日没後に燦然と輝く。
大航海・大移動時代があったとしてもおかしくない。
古代エジプトの暦は1年12か月、各月は30日、10日ごとの週で構成される。さらに、どの月にも属さない余分な5日 を加えて365日となる太陽暦を作った。
また、3つの季節 (各季節に4つの月)をもつ。
土地が水に沈む洪水の時期
土地が現れ、田植えと成長の時期
水が低く、収穫の時期
トート神の神話として、
トートは月と賭けをして勝ち、時の支配権を手に入れた。そこで太陽神の管理できない閏日を5日間作った。
そして月としての属性を得たため太陽の沈んだあとの夜の時間は、トート神が太陽にかわって地上を守護するとされる。
夜明け前と日没後の空に馬蹄形に移動する水星。
夜の世界をデカンで分割して時間の指標にした。
水星の会合周期は約116日(111日から121日)、一年に3回会合する。
これはそのまま季節に当てはめられたのだと思う。
閏日5日をどう捻出したのかは、正直わからない。
だが、長い氷期を終え、季節を感じるようになった時に水星が教えてくれる時間は重要になった。
ナイル川の氾濫を知らせる重要な星は、シリウスとされる。もちろん正しい。
北極星がりゅう座のトゥバーンにあった紀元前2500年頃の記録である。
この頃には水星は見えずらい配置となっていたのだろう。水星の代役をシリウスが担った。
14000年前にエジプトの位置からシリウスを見るのは、ぎりぎりの所。上エジプトでは無理だろう。
オリオン座も地平線スレスレ。
中国の古代文明で欠かせない概念に「龍」がある。
紀元前6000年前(8000年前)には、華北遼河文明で龍の装飾品が見つかり、風水の萌芽も指摘されている。
東方青龍ー東の空に水星が見える頃、その軌道は蛇のごとく目に映った。
龍は季節の変わり目を教えてくれた。
風の向きが変わる。
風の変化は雲を連れて雨を降らせた。
龍が水の象徴となる。
絶え間なく、この天体の動きを観測し記録し計算し、太陽と月の狭間で季節を調整していた人々がいた。
その一族が物部、八十、やそ、8を重ねて88。
水星の公転周期。
時の管理人。