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ユアネス
今、帰宅の車内で文字を打っている。
ユアネスのライブの帰り道だ。
主婦であり、母である私がこんな時間まで、家をあけるのは、まだ、子供が小学生を今月卒業したばかりなのに、失格かもしれないな。
でも、確かに、生きる源を、前をむく強さを、後ろを時には振り返っていい優しさを得た、、
間違いなく、お金では買えない、なんという表現がいいのか、音楽、と二文字の漢字に意味を与えていいのか、わからない、大きな大きな、生きる、原動力みたいなものをいただいた。
行き道までは、昨日から休職したこともあり、後ろめたさや、不甲斐なさ、患者さんをほったらかしにしてしまっている辛さと、やっぱり襲いくる足の痛みで自分の行動が果たして正解なのか悩んで、わからなくなっていた。
一曲目から、音とともに、スクリーンに写し出される映像とともに、メンバーの姿とともに、わたしは、異空間という名の、感情解放を許される世界へ誘われた。感謝の言葉しかでてこない。私の大好きな昔の曲の演奏がはじまる。過去の自分と、今の自分のどちらの感情かは、定かではないが、マスクが涙でぐちゃぐちゃになる。決して、悲しいわけじゃない。むしろ、逆になのだ。だのに、とまることを知らない感情、、いつしか、、わたしは、映画をみているようにスクリーンにすいこまれた。主役が脇役を演じ、非日常という異空間を育ててくれる。
最後の曲。わたしが、1番好きな、しんどいときに救われた、何度も救われた曲、、スクリーンも最後の現実への誘いを予告するように、日常の場面場面が、うつしだされる。わたしの、わたしだけの日常が、重なる。強くなりたい、心からそう思えた。終盤のスクリーン、朝日か、夕日か、海辺か、風景がうつしだされた、その中に、ボーカル黒ちゃんの後ろ姿が影でうつしだされる。なんと美しいんだろうか。一枚の写真のような、風景に、音に、来る時の迷いの感情は、微塵も写ってなかった。
長々と何をかいているのかわからない。ただ、ありがとう、を何回も何回も何回も伝えたい。そして、無事にファイナルが終わることを願わざるをえない。
2019年に、ユアネスのライブを、はじめてみた。あれから5年。たった5年、されど五年。わたしにとって、ユアネスの存在は大きくなっている。だから、何をいいたいか、、。
これからも、ついていきたいということだ。
人間と同じように、人間だからこそ、音楽から離れたり、また、必要としたり、いろんな時があるとおもうし、それでいいと思っている。だけど、確かに、今、今日、令和五年三月22日大阪のライブハウスにて、私は、ユアネスに、救われた。
もうすこし、いや、とりあえず、明日、明後日、生きていきたいとおもえた。
本当に、ありがとうございました。
また、生きて、次、また、ライブで会いたいです。ありがとうございました。このnoteをかりて、気持ちをかかせてもらいました。
最後までよんでいただき、ありがとうございました。