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「救い」

 「神は善と悪を判別し、裁かれる。
                                善なる人間を救い、悪なる人間を裁く。」

 最期の時。
 神は跪く男の前に立ち、男の生前の罪を裁かれようとしていた。

「汝は自身の命の輝ける日々の中で、あまりに多くの人々の命を奪ってきた。よって、汝の魂を地の獄門へ送り、その罪を雪ぎ清めることとする。」

 男は生前、戦争に従事していた。男は狙撃手としてたくさんの敵兵を殺した。
 戦争に行く前、男は靴屋を営んでいた。仕事ぶりはいたって真面目で、性格は穏やか。客や隣人から大変親しまれていた。両親を大切にし、仕事も勿論の事、家事もしっかりこなして、二人を支えた。
 そんな男は「信仰」を大事にしていた。物心ついた頃から男の傍には「神」がいた。読み書きも、神のお話を学ぶことで覚えていったと言える程だった。彼は神の教えに背くことなど一切せず、日に三度のお祈りも絶対に欠かすことはなかった。
 彼は信じていた。子供の頃から教わってきた神の教えを守ることが「善」であると。
 彼は信じていた。その善行を行うことが、自分だけではなく家族や親しい人達の幸せにもつながると。
 彼は信じていた。神を信仰し続け、神の教えを守り続けることで、神に伝わり、神が護り、救ってくださるのだと。

 男の住む国が始めた戦争は、当初の予測に反し、長期化し泥沼化していた。政府は戦力の補強を図り、一定の年齢を越えた男達を強制的に軍事投入することを決めた。男も条件に該当し、戦地に駆り出されることとなった。予想だにしなかった人生の展開ではあるものの、男に悲嘆の色は全くなかった。今まで縁の無かった世界に身を投じられ、厳格な訓練、そして実戦投入の日が近付こうと、気持ちを動じさせることはなかった。なぜなら、男には「信仰」があったからだ。アメジストを細長い六角形にカットし、濃い茶色の荒縄を通して首から下げられるようにした簡素な祭具を、男は肌身離さず常に身に着け、事ある毎に、それを握りしめながら祈りを捧げた。
 戦地に投入されても彼は信仰に支えられ、懸命に任務を遂行した。やはり実際に経験する戦地の緊張感は想像をはるかに超えていた。短期で即戦力投入という狙いもあり、どれだけ厳しくても訓練では極限の命の危機を感じることはなかったが、戦地では常にその緊張感が重くのしかかっていた。たとえ仲間が近くにいようとも、ピッタリとくっついていない限り、空気に触れている部分はすべて隙になっているように感じられた。そんな中、規律を守り、任務を一つ一つ遂行することで、故郷にいる愛する人たちの平和を生み出す徳を積めていると信じることで、男は自分を保ち、懸命に戦い抜くことが出来た。そんな彼の不安と信仰心を神が汲んだとでも言うのだろうか、彼はある日、狙撃手に任ぜられた。前線で突撃していく仲間を支援するため、高所や少し離れたところに身を伏せ、広範囲を見ながら、敵を撃ち殺す。まだ自分の存在に気づいていない人間を先んじて撃ち殺す事に大きな葛藤を覚えたが、そこで男は「信仰」に立ち戻り、神の教えに答えを求めた。無理に正義を広めて世界を救おうなどとするのではなく、まずは自分に近い人々の幸福を守り、育んでいくように伝える神の言葉が、男の心を救った。もし撃たなければ仲間がその人間に殺されてしまうかもしれない。この人間を逃したら、故郷の大事な人たちに脅威が訪れるかもしれない。
 次の日から、男は冷静に任務に向き合うようになった。息を殺して、スコープを覗き続け、敵兵を見つけると躊躇うことなく引き金を引いた。男には才能があったようだった。場数を踏んでいく内に、次第に敵兵が潜伏していそうな場所の〝あたり〟を付けられるようになり、男の敵兵への殺傷率、撃破率は見る見る上がっていった。仲間達は日毎、男が撃ち抜いた敵兵の数を集計し、その成果を讃えて酒を飲み、上官達は多くの狙撃で仲間の命を守った男の腕を高く買った。男はその任務を「使命」だと感じた。大切な人達を守る為に神が自分にお与えくださった使命なのだと。
 しかし、そうして戦場というものに飲み込まれ、浸かっていく日々の中でも、やはり男は「祈り」を忘れなかった。死角に潜んでスコープを覗き、相手が尻尾を出すまで永遠かと思うほどの長い時間を過ごしている間も、ついに敵兵が僅かでも姿を見せ、引き金を引いて撃ち抜く瞬間も、常に男はうわごとの様にブツブツと神への祈りの言葉を唱え続けていた。それは、自分の行いにより、毎瞬間ごとに守りたい大事な人達の平和と幸福が約束されることを神に願っているのかもしれないし、自分に撃ち殺された兵士達の心を掬い上げ、安らかなる世界へ誘ってくれるように請うているのかもしれないし、もしくは自分自身の魂を救ってくださるように祈っているのかもしれない・・―――――――。男は最期の時まで祈りの言葉を唱え続けながら戦場で生きた。
 その男が今、神の前に跪いている。裁かれようとしているにもかかわらず、男はいつもの祈りの時間と同じように胸の前で両手を組むと、目を閉じ、神の方へ顔を向けている。口元には微笑を湛え、穏やかにその時を待っている。
 
「汝は自身の命の輝ける日々の中で、あまりに多くの人々の命を奪ってきた。よって、汝の
魂を地の獄門へ送り、その罪を雪ぎ清めることとする。」

 天然の蜂蜜のような綺麗な飴色のグリップに、細やかな彫刻が施された純銀の銃身を持つ6インチ式のリボルバーに、こちらは同じく純銀ではあるが表面に何も細工がされていない滑らかな質感の銃弾を一発込めると、銃を持つ手を降ろし、反対の手を胸に当てながら、
 神は彼に向かって言葉を掛けられた。神がその引き金を引こうとした時、空気が突如鈍く澱み出し、神や男がいる神殿の天窓から、一つの「漆黒の者」が現れた。黒い翼をはばたかせ、一度素早く神と男の上空で旋回すると、すぐさま男の傍らに降り立った。漆黒の者は、着地するなりニヤリと不敵な笑みを浮かべながら神の方を仰ぎ見た。

「神様。この男に裁きをお与えになる前に、一つ伺いたいことが御座います。」

 神は漆黒の者の突然の登場や裁きを妨げたその行いに対して、微塵も煩わしさや嫌悪の色を見せず、変わらぬ穏やかな雰囲気で漆黒の者を見ていた。
 
「神様、この者はたった今あなた様が仰られた通り、命があった頃、多くの他者の命を奪ってまいりました。それも戦争という人間達の行いの中で最も愚かしい行為の中で、です。それは深い深い罪でしょう。しかし、この罪、歴然とした『悪行』として裁いても良いのでしょうか?」

 漆黒の者はわざとらしいような身振りや表情を交えて、男の周りを芝居じみた様子でうろうろと歩き回りながら話し続ける。

「この男は、愚かな行為に手を染めました。しかし、その行動は〝信仰〟から発せられたものです。それはもう純粋で澱みのない澄み切った信仰心、あなた様を信じ抜いた心により選択された行為です。この男の生きた世界では、戦争がありました。それは、この男のうかがい知らないもっと大きな権力者たちが引き起こしたものです。戦火は見る見る増大しました。大国同士の権力者たちが起こした戦争、どう足掻いたところでこの男が戦争そのものを止める事など出来はしない。しかし、次第に男の住む街にも戦争の足音が近付き、権力者たちはその力でもって国民を戦争に巻き込みました。男は考えました。『争わずに済む方法はないものか』と。そして、男はあなたの言葉の中に救いの糸口を見つけました。〝自分の身近な人間を愛しなさい。〟という言葉に。それは、無理に万人を愛し救おう等とする必要は無い。各々が自身の手の届く範囲の人々を愛し合うことで、広く愛を広げられるというものだ。そして、その愛とは、〈信じる事〉〈許す事〉〈寄り添う事〉〈認め合う事〉〈与え育む事〉、そして、〈守る事〉という意味が込められている。そして、男は思いました。『愛することを行うべきだ。』と。
 敵という存在に対して違える部分があるかもしれない。しかし、せめて自分の身近で大事な人間達は自分の身を投げ打ってでも守らなければならない。また、もしかしたら自分が一人でも多く戦争に参加することで、戦争を早期に終結させる一助になるかもしれない。それは結果的に、この世から争いを無くし、相互に愛し合うべきだという神の御意志に通じるものなのではないかと。
 男はそれ以来、その考えを自身の体の背骨に真っすぐに立て、戦場に近づく一日一日を過ごしました。男にとっては、戦争に備え訓練することは、神の御意志を実現するための準備であり、戦地に投入されてからの行為は、神の御意志を実現するための行為だった。『人を殺めている』という自覚はちゃんとあった。罪悪感も勿論あった。しかし、男にはその行為を行う根底に相手への憎しみは一切なかった。今共に戦っている仲間を、引いては、故郷にいる大事な人達を守りたいという『愛』しかなかった。男は過酷であろうと自分の行いは、愛による行為であり、神の思し召しであると本当に信じ込んでいた。戦場にいるとき、敵兵を狙撃するとき、男は常に神への祈りの言葉を唱え続けていた。そして、神への信仰を胸いっぱいにして、男は、多くの人間を殺した。さて神よ、恐れながらもあなたに問いたい。真に純粋な心の奥底からの神への敬意と信仰を全うし、それを背景にもって行われたこの男の行為を、あなたは〝悪〟であると、〝罪〟であると当然のごとく裁くことが本当に出来ますでしょうか?」

 とうとうと語りまわった後、漆黒の者は神に向かってへりくだるように身を少しかがめ、畏怖の念を示すような仕草で神を見上げる。しかしその顔には、未だうっすらと嘲る様な不敵な笑みが滲んでいる。

「もしこのまま『悪行』と断罪されるなら、あなたが目の前に現れない生きている間の世界で、この男が平和を願って、あなたの言葉通りあなたの教えを信じ抜いた事とその根底にある無垢な信仰心は『間違いであった。』と伝える事と等しくなるでしょう。
 では、『男の信仰心は素晴らしいものであるが、そこから選択した行いが間違いであった』とご判断されるならば、同じくあくまでも神の御意志に則ろうと、あなたのいない世界で必死に考え導き出し、あなたの教えである〝他者への愛情〟を胸に抱きながら生きたこの男に対して、あまりに突き放すようで無慈悲すぎるのではないでしょうか?
 かといって、敬虔なる信仰心から生まれた『平和を願う故の仕方なき行いである』とこの男の行いを赦すのであれば、この男が殺した人間達が『悪』であったと神が認めたこととなり、殺された本人、引いてはその遺された者達にとっては到底納得することはできないでしょう。
 あなたの教えは国を越えております。敵対する者同士が同じ教えを信仰し、人生の選択の基盤としている場合も多くある。複数体ではなく、唯一の存在であるあなた様が、それこそ複数体存在するあなたを信じる人間達に寄り添わなければならない。私のような矮小な存在では到底成しえない壮絶で崇高なその御業、是非とも拝見させて頂きたく存じます。」

 さらに同情の念を示すような感情表現まで大げさに盛り込んで語りまわると、漆黒の者は、男の横に同じく跪いて頭を垂れた。そして、僅かに上目で神の方を見やると再びニヤリと嘲笑うような微笑を浮かべた。
 神は漆黒の者の一人芝居の間、何も言葉を挟むことは無く、また時折見せる挑発的な嘲る様な笑みにも感情一つ乱れる事無く、ただじっと心穏やかな様子で聞き続けていた。そして、語りが終わると、神は漆黒の者にとても慈しみ深い笑顔を向けた。

「悪の血を引く者よ。あなたは私達やこの世界が何で出来ているか知っていますか?」
「俺達が何で出来ているか・・?」
「ええ。私やあなた、そしてこの世界を構成している物。それは『人間達の信仰心』です。」
「人間の信仰心・・。」
「そうです。はるか昔、我々の本来の姿は微弱な霊力でした。それは何も形など成してはおらず、ただ空気の様に浮遊し、目には見えませんが万物全てに宿っている僅かなエネルギー体で、御業なんて到底起こせない存在でした。はるかな時が経ち、生物が生まれ、人類が誕生しても、我々は変わることなく、視認されることのない微弱なエネルギー体として、新たな生命に宿りました。万一確認できるとしても、そんなことはたかが知れていて、時折思考に『ひらめき』と呼ばれるものを起こす手伝いをしてみたり、『稀』『偶然』と言った出来事を起こす一助を、人間の意思の外で行う程度の事でした。ただ、そんなことは人類が誕生する前から行っていましたが、人間だけはそれに意味を見出そうとしました。
 コミュニティを形成し始め、繁栄が始まり、さらに拡大・成熟していった人間社会では、次第に同族同士のトラブルや苦悩が増し、軋轢や争いによる不安や悲しみは日を追うごとに深刻化していました。そこで、人間達は生きていく指針や心の拠り所、また、他者を説得する手段として『偶然』の発生に関わる見えない力に目を付け、そして、『神』という存在を作り出したのです。当初、その対象は山や泉等の実在しているものでしたが、時が経つに
つれ、苦しみの種がさらに大きくなると、人間達はより強力で大きな存在を求め、その結果『未知の存在の神』を生み出し、信仰しました。あくまでも未知ですから架空です。しかし、多くの人間達が長い年月をかけてその架空の神を強く信じ、祈り続けていった結果、祈る際に人間からわずかに発せられた霊力が集まり、徐々に大きくなっていき、形を成し、人間の理想とする姿となりました。
 人間達はわざわざ具現化しようなどと思いはしませんでしたが、まるで、水滴が長い年月をかけて岩に穴を開けるように、途方もなく長い年月と、夥しいほどの数の人間達の心から救いを求めた信仰が成しえたのです。
 そうしてその後も連綿と続いていった人間の信仰によってさらに霊力は増大し、今の私やあなた、この世界の仕組みが出来たのです。」

「なんだと・・。じゃあ、『神が人間を作った』んじゃなく、『人間が神を作った』っていうことなのか。」

「そうです。だから、人間の信仰心が無くなれば、我々はたちまち力を失い、消えてなくなります。我々は人間によって“生かされている”存在なのですよ。」

「じゃあ、俺達が生きている意味ってあんのかよ・・。」

「どうなんでしょうか。私達はこの世界にしかいませんから、創造主である人間にすらほとんど認識されていません。ただ、姿形にそんなに意味がなくとも、存在自体には意味がありますよ。例えば、あなたは人間達の気持ちの『代弁者』です。」

「代弁者?」

「ええ。どれだけ高尚な考えをもって生きていくことが大事か頭で理解していても、結局行動するときには、『他者よりも優位でいたい』、『誰かが自分よりも得をしていたり楽をしているのは許せない』という風に、自分以外のものとの優劣に気を向け、出し抜きたいという考えが強く働いてしまうのが人間です。あなたは人間の考えや感覚にとても近く、彼らの欲望を忠実に代弁してくれているのです。そして、彼らは無意識のうちにあなたに自分達の考えや行動を、自身の写し鏡として客観視し、自分を律する術として用いているのです。
 人間というのはとても弱い生き物です。いかなる事も自身独自の『考え方』や『思い』だけで貫き通して生きていくことができない生き物です。ほぼ全ての人間特有の価値観は他の人間達の多くが是としているのを後ろ盾にして判断しているに過ぎません。
 
『みんなが言っているから』
『みんながやっていないから』
『今の世間の流れがこうだから』
 
 稀に見る非道な悪行ですら、人間の行動原理には誰かしら、何かしらの後押し・影響が必ず存在しています。多数派だろうと少数派だろうと、悪行だろうと善行だろうと、人間の行動にはすべて潜在的に外部からの後ろ盾が存在しているのです。ただ、もし人間にその感覚が無く、各々が自身の価値感覚だけで生きていたなら、逆にここまでの繁栄は無かったでしょうけどね。
そしてそんな弱き人間達によって生み出され、生かされている私は、神話に描かれるような、『不完全な人間達に世のすべてにおける完全なる真理を教える全知全能の者』ではありません。不完全な人間達の〝理想〟を〝真理〟であるとするただの『証人』です。
 神を信仰する者達も、『神が仰っている』から善と言われていることを行おうとし、悪と言われていることを憎もうとします。自身の罪を贖うことも、『神が悪しきとなされる』から、『罪を雪げば、加護が得られるようになると仰っている』から、受け入れる事が出来るのです。そうでなければ、弱い人間に自分で自分の罪を裁くことなど決してできない。『神の裁き』であるから、受け入れ、罪が雪がれたと思う事が出来るのです。
 神という名を冠していても、所詮は人間の創造物であり、その行動や思考も全て人間が生み出した人間が考え得る範疇のものしか持ち合わせていません。持てる霊力で行えることも、古から何一つ変わらない。故に、“神の教え”も内容は必ずしも全人類のまんべんない理想の幸せを生み出すことは出来ません。必ずどこかに矛盾や、弊害が発生します。   
 創造主である人間の生み出した理の責任を負い、その理の孕む矛盾から生まれる悲しみによる怒りの矢面に立って業を全て抱え込む。それが、神の使命なのです。」

 神は一度慈悲深い笑みを向けると、跪く男に向かってリボルバーの引き金を引いた。
 漆黒の者は、周囲を改めて見回すと、神殿の、引いてはこの世界の大きさを再確認していた。

                                   (終)


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