ヒーロー
【二月三日未明、岐阜県美濃市の山奥に突如不明物が出現。】
【翌四日、日本政府は自衛隊を使って不明物の調査を開始するも、同日午後三時不明物からの謎の光線により、調査団は撤退を余儀なくされる。】
【同日午後四時、不明物から半径百㎞圏内に結界が発生。結界内の防衛システムが麻痺。】
【同刻、日本政府に不明電波を用いて件の不明物より入電。「テネブリス」と名乗る。】
【同日午後八時、日本政府は「テネブリス」を第一級警戒対象と認定。】
【同刻、内閣総理大臣「テネブリス」への防衛行動を指示。防衛省は即座に自衛隊を編成し、結界の前線に進攻。】
【一カ月間の領土奪還作戦を実行するも、全く効果はなし。寧ろテネブリスの領土が拡大。一時、霞が関一体が覆われる。】
【膠着状態の日本政府に諸外国から支援の手が上がり、多国籍軍が編成される。しかし、尚も戦況に変化は起こらず。膠着状態続く。】
【三月十五日未明、対テネブリス多国籍軍前線ラインに一人の男が出現する。男は単身でテネブリスの領土に飛び込み、テネブリスの前線ラインを退け始める。】
【素性を明かさぬまま、男は連日テネブリスとの戦闘を続け、着々と後退させていく。】
【各国からの軍事支援の声にも一切耳を貸すことなく、翌年二月二十五日、男はテネブリス首領フュリスを撃破、勝利をおさめる。】
【歓喜に沸く人々。それとは対照的に、世界各国から男の素性解明と彼の所持している兵器の行き場についての声が上がる。】
【三月二日、日本政府は件の男からの打診があり、日本国民であること、これまでの功績を理由に国民栄誉賞を進呈し、身柄の保護を行ったことを発表。】
壁も床も天井も、眩しい程一面真っ白で何も物が置かれていない部屋。
区切りがわからないくらいムラのないその部屋に入ると、心理カウンセラーの森本直行は一角に目が向いた。そこには一脚だけ、これまた真っ白な椅子が置かれ、その上に同じく真っ白な服を着た結城浩司が座っていた。その手には一冊の本を開き、一見まるで読んでいるかのように視線を落としてはいるが、その本にも表紙や、まして中の各頁にも一切文字は書かれてはいない。
天井の電灯も白熱灯等白く、色味が違うものと言えば、衣服から露出する結城自身の肌の色と、天井の一角にポツンと吊るされたマイク内蔵型の真っ黒な小型カメラくらいで、それらだけが、ぼんやり宙を浮いているような異様な錯覚を起こさせる部屋。
しかし、そんな空間をものともしない風で、森本は結城に微笑みかけた。
「はじめまして、結城浩司さん。私、政府から派遣されてやって参りまし た。心理カウンセラーの森本直行と申します。ま、心理カウンセラーと言いましても、今回は別にそんな大層な事をしに来た訳ではありません。いわゆる『話し相手』ですね。結城さんがこちらに来られてから、ずっとお一人でいらっしゃる様ですので、気分転換の話し相手をさせて頂くためにやって参りました。」
結城は森本の方へ少し視線を向けると、天井のカメラの方へ視線を動かした。そして再び森本の方へ視線を戻すと、微かに会釈をし、再び本に視線を移した。しかし、森本は結城のそんな様子も気にする事無く、笑顔で話しをつづけた。
「いやぁお恥ずかしながら、心理カウンセラーになってからこの方、まさか世界的英雄の結城さんにお会いできるようになるなんて夢にも思いませんでした。本当に光栄です。心理カウンセラーになって初めて良かったと思えましたね!」
森本の冗談にも結城は変わらず本に視線を落として黙っている。
森本はカバンと上着を足元に置き、本腰を入れて話す準備を始める。
「ここでの暮らしはいかがですか?結城さん、ここに来られてからおよそ一か月、お食事やお休みの時間以外はずっとこちらにいらっしゃる様ですね?これだけ広大な住まいを提供され、さらにはあなたが望めば政府が何でも用意してくれるサービスまで付いている暮らしなのに・・・私にはもったいなく感じてしまいます。差し出がましいようですが、どうして利用されないのですか?やっぱり世間の目が気になってしまいますか?」
尚も黙っている結城。
「気兼ねなどする必要はありませんよ。だってあなたは、世界中の誰も対抗することのできなかった脅威を退けた自他共に認める英雄、ヒーローなんですよ?自分の身を犠牲にして、世界中の人々の幸せを守る為に、脇目も振らず戦ってこられたんです。ようやく手に入れた平和な世界、その平穏や安楽を誰よりも享受する権利を持っているはずです。誰もそれを咎める者などいないでしょう。さぁ、気分転換に散歩に出掛けてみませんか?」
「森本さん。」
結城のどんな反応にも笑顔で話しかけていた森本の努力が功を奏したのか、結城が不意に視線を上げ、森本に話しかけた。
「森本さん、僕はね、テネブリスと戦い始めてから結局一度も、自分のことをヒーローだなんて思えたことは無いんですよ。というよりも、僕はそもそもヒーローなんかじゃない。」
「どういうことですか?だってあなたは・・・」
「エゴです。」
「え?」
「僕がテネブリスと戦っていたのは、すべて自分の私利私欲のため、つまりエゴだったんですよ。
子供の頃、映画やテレビで見たヒーローのように皆に称賛されて、優越感に浸りたかった。だから研究して、テネブリスに対抗しうる武器を開発したんです。
それこそ、本当に最初の、初めてテネブリスに攻撃をしかけたあの夜は、まだ純粋に優越感に浸っていました。でも、その夜のことが話題になった頃には、既に真実がすべてを教えてくれていました。」
「真実?」
「その優越感は、ただの『自惚れ』だって。そしてその『自惚れ』に代わって、実際に最後まで僕のそばにいたのは、『不安と焦り』でした。」
話の意外性とは逆に、結城の顔には徐々に楽しい思い出話を話しているような穏やかさが増していく。
「戦っている当時はね、実は『今世界を救えてる』とか、そんな実感は全く無いんです。だって相手の規模はわからないし、どんな戦い方をしてくるかもわからない。今日は倒せても、次回は全く歯が立たないかもしれない。たとえ目の前にいる敵は倒せていても、他の場所でその時何が起こっているかはわからない。絶対に一か所にだけ出現するとか、一日一回しか攻めてこないとか、そんな保証は一つもないんですから。
どれだけ敵を倒せても、どれだけ人から称賛されても、ずっと不安しかなかった。むしろ声援が増えるほど、自分の責任を痛感し、人に対する疑心が増していきました。『まだ努力が足りない。』そう暗に言われているような気がしていました。
もっと早く決着をつけて、別の場所の脅威に対応できるようにしておかなきゃいけないんじゃないか?
今日ちょっと苦戦したそのせいで、どこかで被害を受けている人がいたんじゃないか?
一人で戦っている上に、相手は人外の生物となると、いつまで経っても正解の戦い方はわからない。でも選択を少しでも間違えば、自分が死ぬかもしれない、辛うじて生きていたとしても、自分が負けたら、どれだけの人が危険にさらされるかもわからない。」
「結城さん・・・。」
「装備の効果の解析、必要な場合の増強、その装備に耐え得る為の自分自身のトレーニング、それにいつでも動けるように、意識はメディアなんかの情報に常に集中・・。自分のしでかした事を呪いましたよ。こんなことなら皆と同じく一市民として一緒に滅びを待っていれば良かったって。」
真っ白で綺麗な部屋や家具。毎日洗濯と交換がなされているのだろうと容易に想像できる綺麗に糊のきいた衣服。眩しいくらいにくすみ一つ見当たらないその空間で、結城の表情だけが徐々に曇っていく。そのあまりのギャップに結城の横顔だけが徐々に浮き立っていくような錯覚に襲われるほどだった。
「だったら、政府や軍と協力するという選択肢だってあったんじゃないですか?そうすれば、人員は一気に増えて結城さんの負担は大きく減っていたはずです。しかし、あなたは決着が着くまで一貫して単独戦法を貫き、正体を隠し続けていた。」
森本はその浮き立った結城の顔を見つめ言葉を投げかけた。結城は少し申し訳なさそうにもとれる表情で森本の方に少しだけ顔を向けた。
「勿論、当時その事も考えました。いっそ全て明かしてしまえば、身も心も楽になるのかもしれない。むしろ、政府や軍が僕の技術を使えば、もっと効果的な戦い方をするんじゃないかって。」
「だったら、どうして・・・?」
「もしも、その想像が現実になってしまったら、僕自身はきっと不要になってしまう。それが怖かったんです。それが怖くて、最後まで単独行動を続けていたんです。結局は、自分のエゴなんですよ。」
結城はうっすら笑みを浮かべると、真っ白な天井を仰いだ。
「ただの承認欲求が理由で始めて、それからは常に付き纏う不安と焦りを消し去る為だけにテネブリスと戦い続けていました。でも、全てが終息したら、人々はきっと本当の僕に気づく、そんな不安も抱えていたんです。案の定、諸外国は僕の兵器を今度は脅威だと言い出して、それぞれ管理下に置こうとし始めた。それを後押しするために、さらに僕個人を検証しようとしている。メッキが剥がれるのも時間の問題でしょう。」
「それで、急に政府とコンタクトを取って、その監視下に・・・?」
森本の方に軽く視線を移すも、すぐにまた視線を逸らす結城。
「幼稚に自己中心的で、愚かで矮小。それが本当の僕なんです。」
結城と森本の間に沈黙が広がる。
「結城さん、お手合わせ願えませんか?」
「え?」
二人の間の沈黙を破った一言は意外な言葉だった。森本の方を見つめる結城。森本は楽し気に話を続ける。
「私、昔格闘技を少しやってたんです。もちろん、敵わないのはわかっています。でも、今回奇跡的に結城さんのカウンセラーに選ばれて、お会いすることができたんです。身の程知らずで不躾なお願いですが、一度お相手して頂けませんか?」
黙って森本を見つめている結城。しかし、森本は気にも留めず進んでいく。両手を広げ、室内に設置された監視カメラの方を向くと微笑み、
「これは私が望んで行っているものです。何が起ころうと問題には致しません!」
しばしの沈黙の後、森本は笑顔でその仕草のまま体ごと結城の方を振り返る。
「大丈夫そうですね!」
表情が変わることなく、結城は力なく椅子から腰を上げる。それを見た森本は嬉しそうな顔で意気揚々と腕まくりを始める。
「ありがとうございます!これで家族や友人に自慢できます。」
構える森本。結城はただぼんやりと突っ立っている。
「では!」
かかりだす森本。カウンセラーとは思えない、キレのあるパンチやキックを繰り出していく。しかし、結城は構えもせず表情も変えず、無形のまま体裁きだけですべてを躱していく。
しかし、尚も勢いが落ちることなく繰り出される森本の攻撃のコンビネーション。
なめらかな攻撃の流れの中で森本が急遽、上段回し蹴りを繰り出す。それまでの動作の勢いをうまく利用した回し蹴りの威力は申し分なく、表情は変わらないまでも、初めて結城の体の捌き方が大きくなり二人の間に刹那、広い間合いが生まれる。その時だった。回し蹴りから次のモーションへ移る回転の最中、結城に背を向けた一瞬の間に、森本の手には、異形の剣が生み出され、前動作からの勢いそのまま、その剣を背後にいる結城に、森本はうなり声と共に打ち込む。
しかし、結城がいるはずの場所に人影はなく、森本の一太刀は空振りとなる。無から急に剣が生じる等、通常ならばあり得ない、普通ならば対応できるはずのないそんな状況。森本は一瞬にして驚きと困惑に襲われる。しかし、それはすぐに「戦慄」に取って代わられる。背後に鋭い殺気を感じたのだ。
“結城だ!”
瞬間的に脳が発した信号に森本は素直に応じ、すぐさま踵を返して、斬りかかる。しかし、その一手はいとも簡単に制され、刃を逆に自分の首元に素早く押し付けられてしまう。組み合う両者。
少しでも気を抜き抵抗を緩めると、あてがわれている刃が、すぐさま首の深くに押し込まれてしまう絶体絶命の状況にもかかわらず、森本は自身の目に映っているものに対する驚きを後回しにすることができないでいた。結城が、笑っているのだ。この部屋に入ってからつい今しがたまで、覇気がなく、時に見せる表情は哀れみや憔悴であった結城からは想像できないほど目には光が宿り、口角をにゅっと上げ、楽しそうに笑っているのだ。
「やはりカウンセラーなんてのは嘘っぱちだな。テネブリスの残党か。ハナから気づいていたよ。貴様が人間ではないことも、あのカメラが動作すらしていないことも。そのカメラの向こう側にはもう誰もいないこともな。俺を消しに来たのか?」
徐々に喜びが増していっているように見える結城の眼。
「フッ・・・。そう思っていたが、今日お前を見て気が変わった。これほど脆弱であったとはな。フュリス様が亡くなられて以降、俺は人間界に身を隠し、貴様への復讐の為に、貴様に関するあらゆる情報を調べ上げた。それは貴様についてのニュースだって例外ではない。そこに、何があったと思う?
そこにはな、多くの人間たちの称賛や感謝の言葉が満ちていたんだ。
確かに、被害を受けた者もいるかもしれない。どうしても手が届ききらなかった者もいるかもしれない。しかしな、もう一つの面にも目を向けろ!
これだけの謝辞が贈られる貴様は、それだけの事を成したんだ!!
エゴと言えど、それでも途中で逃げ出す道を選ばなかったのは、貴様の中にしっかりと正義感が備わっているからだ!
もう一度自分を高めてみろ。そこから改めて俺が貴様の息の根を止めてやる。ずっと見張っているからな!」
結城の眼を真っすぐに見つめ、フッと微笑んで見せる森本。そんな森本とは対照的に、結城の眼からはみるみる生気が失われていく。
「なぁんだ、違ったのか・・・。」
困惑する森本。生気は失われたものの、結城の眼が今度は黒く鈍い光を強く宿し始める。次第に森本の首に刃を押し当てる力もさらに強くなっていく。再び結城の顔に不敵な笑みが広がり始める。
「フュリスを倒し、テネブリスを壊滅させて以降、俺は日毎妙な感覚につきまとわれ始めた。最初は大きなプレッシャーからの解放感だと思っていたが、違う。あれは、渇きだ。
お前たちと戦っていく内に、あの極度の緊張感の中でお前たちを葬っていく感覚が俺の体の中にこびりついちまった。お前たちに放つあの一発が、あの一刺しの感触が脳の奥深くに染み付いちまったんだ。
だから、俺は終息後すぐに素性を政府に伝え、この箱の中に逃げ込んだ。絶対にスイッチが入らないように、刺激となるものは全部遠ざけて・・・。お前が来て、穏やかに逝かせてくれると思ったんだがなぁ。 でも、お前が入れたんだ。」
息を飲み、大きく見開かれる森本の眼。
【翌日、日本政府管理下の保護施設において結城浩司を含め、職員全員の姿が忽然と消えていることが判明。事態の異様さから政府は発表を見送る。】
【とある新聞の片隅に、中東で四十年続いていた内戦が急遽決着した記事が載る。】
(終)