驍宗の安否についての考察1

十二国記の新刊を手にし、あっとう間に読んでしまいました。3,4巻が出てから読んだ方がいいと分かっていたのに、やっぱり我慢なんてできるはずがなかった!

結果、文句なしに面白かったです。18年の時を経て、李斎や泰麒を始めとした登場人物が動き始め、1巻の最初では目頭が熱くなりました。

さて、私が1,2巻を読み終わって最も衝撃だったのはもちろん2巻の最後に描かれる武人の死です。彼は、本当に驍宗なのか。李斎だけでなく、私もまだ彼の死を信じることができていません。

あの武人は驍宗であるのかについて考察していきたいと思います。過去の作品が今手元にないので、記憶違いがあったら申し訳ありません。

1.あの武人が驍宗であるという描写

当然ですが、あの武人は驍宗を連想させます。そのように描かれているし、素直に読めばついに驍宗が力尽きたのかと思います。信じたくないけど。
私が考える驍宗だとほのめかす描写は以下の通りです。

①6年前にかなりの深手を負った状態で保護された

驍宗は6年前、文州の乱を平定するために出陣し、帰りませんでした。『黄昏の岸 暁の天』で氾王は、戴からの荷に混じっていた驍宗に氾王が送った品を李斎に渡し、その際、驍宗は背中に大きな傷を負ったであろうことが分かっています。あの武人が保護された時期と驍宗が失踪した時期は重なっています。

②「回生」という少年

武人の身の回りの世話をしていた少年の字を「回生」と言い、あの武人につけてもらったのだそうです。少年は1巻でも息子になったつもりはない、自分は彼の麾下になったとモノローグが描かれます。また、武人が亡くなった際には墓の前で、いつか鴻基にいるけだものを倒すつもりだったのに、と悔しさをにじませています。これらは武人が驍宗であることを示唆していると思われます。

また、少年の「回生」という字は、泰麒の「蒿里」という字と対になっています。「蒿里」とは、死者の住まう山のこと。「回生」とは、よみがえることなのだそうです。驍宗は泰麒を思わせる名前を身の回りを世話してくれるこの少年につけたのかなと思いました。少年が武人を慕っている様子だったので、なお、泰麒と重なって感じるのかもしれません。

③泰麒の立ちくらみとその後の行動

2巻で泰麒は、立ちくらみでひざをつく場面があります。肩で息をしながら「何かに驚いたように目を瞠り、床の一点を見据えて」いたのは、驍宗の死を感じ取ったからなのでしょうか。

また、泰麒はこの立ちくらみの後、毎朝必ず北に向かって祈るように一礼するようになります。泰麒のいる白圭宮のある鴻基から見て、武人のいた老安は北の方角にあります。泰麒は驍宗のことを想い、北の方を見ていたのでしょうか。

④白髪・紅い眼だった

これが一番決定打になる情報ではないでしょうか。これまでも作中、驍宗の髪と眼の色は特徴的なものとして描かれてきました。亡くなった武人が白髪かつ紅い眼であったことは、武人が驍宗であった何よりの証拠と言えるかもしれません。

⑤2巻の表紙が驍宗だった

ちょっとメタ的ですが、私は1、2巻の表紙を初めて見た時、2巻が驍宗だったので驚きました。新刊は泰麒が苦難の末に驍宗と再会し、戴が救われる話だと思っていたので、驍宗は4巻の表紙を飾るにふさわしいと感じたからです。しかも、その後発表された3巻の表紙は李斎、4巻は阿選でした。素直に考えれば、1,2巻は旅の始まりの組み合わせである泰麒と李斎、3巻に敵役の阿選、そして4巻に驍宗という順になるはずですよね。これは2巻で驍宗が亡くなり、物語から退場するからだったのでしょうか。

以上が私が考えるあの武人は驍宗であり、驍宗は亡くなったと思われる描写です。2巻を読んでしばらくは事実を受け入れられず、ぼーっとしてしまいました。受け入れられなかったのは、信じたくない気持ちとどこか違和感を感じたからだと思います。次回はその理由を書きたいと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

最後に、十二国記は本当に、本当に本当に面白いですね。ついに新刊が出たこと、心の底から嬉しく思います。


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