驍宗の安否についての考察3
1、2巻の端々に散りばめられている描写。もう本当に、これはこうでしょ、ここはこういうことよね?と揺さぶられながら読んでいます。とっても楽しいです(笑)
どうせ悶々としながら待つんだから、自分が考えたことは文にして残しておくことにしました。こんなにたくさん考えられるのは、この物語が30年間しっかり積み上げられてきたことの何よりの証だと思います。泰麒にとって、納得のいくラストでありますように。
2.驍宗は生きている(=あの武人は驍宗ではない)と思われる描写
③驍宗を殺すことは阿選にとってメリットがない
ツイッターでも驍宗が倒れたとしてもその次に阿選が選ばれることはないということを指摘されている方がいます。
十二国記の世界では名前が何種類かあります。通常本来の姓名とは別に字を持ち、そちらの名前で呼ばれます。驍宗の姓名は朴綜です。乍驍宗というのは字であり、本名ではありません。同様に驍宗を弑し、玉座にいる丈阿選にも姓名があり、朴高といいます。ここで重要なのは、二人とも姓が同じ「朴」であることです。
『風の万里 黎明の空』にて同じ姓の者が連続して王に選ばれることはないということが示されています。よって、驍宗を殺したとしても次の王に阿選が選ばれることは絶対にないのです。
琅燦は「阿選には選ばれない理由がある」と言っていることから彼女は二人の姓を把握しており、尚且つこの理を知っているのだと思います。また、琅燦は驍宗の命を取る選択肢はあり得ず、だからこそ阿選は玉座にいられるという趣旨の発言をしています。驍宗を討ってしまえば新たに王が選ばれ、同じ朴姓である阿選が玉座につくことは絶対にありません。次の王も弑してしまえば姓の問題はなくなりますが、二人の王を排除した阿選に天意が下ることはまずないということでしょう。驍宗が王となったことで、阿選が正当な王となる機会は永遠に失われたのです。
そのことを踏まえると、阿選にとって驍宗は玉座におらず、しかし生きていてもらわなければ困ることになります。であれば、驍宗を襲わせた阿選は驍宗を決して人が近づけない場所に幽閉するのではないかと思います。『東の海神 西の滄海』で元州の令尹・斡由が元州候・元魁にしたように。もしかしたら『東の海神 西の滄海』は驍宗がどこかに閉じ込められているという示唆だったのかなとも感じます。
また、『東の海神 西の滄海』は王でなく仙が国の上に立とうとする物語です。その中で、仙では天が王を罰する理が働かないという会話も出てきます。まさに、この阿選の謀反は『東の海神 西の滄海』の斡由の乱が成功した形なのでしょう。阿選は驍宗を生かしておかなければ玉座に君臨し続けることはできず、そのためには驍宗の居場所を把握していると考えるのが自然だと思います。
④驍宗が持っていたという宝重
李斎は驍宗が持っていた宝重について言及しています。李斎によると、「驍宗様は身を守るための宝重をお持ちだった。極めて仮死に近い状態だったとしても宝重の奇蹟で息を吹き返し、治癒した、ということはあると思う。」とのこと。慶の碧双珠のようなものでしょうか。
⑤泰麒の反応の薄さ
これは理由としては少し弱いのですが、泰麒の立ちくらみを王の死を感じ取ったためとするなら、反応が薄すぎるのではないでしょうか。『華胥の幽夢』では、采王が死ぬ瞬間の采麟の様子が描かれています。この采麟の悲しみようを見ると泰麒の立ちくらみ後すぐに立ち直る姿は反応が薄すぎるよう思います。ただ、采麟はこの時まだ幼く、泰麒の決意を思えばこれはあまり証拠にならないかもしれません。
ただ、『華胥の幽夢』の『華胥』で王を失う瞬間の麒麟と王の禅譲について書かれ、そしてこれが表題作になっていることには意味があるのだと思います。この短編集に収録されている5編の中で、最も注目すべきは『華胥』だということなのでしょう。
⑥驍宗が歌うか?
これはただイメージできないというだけですが…。驍宗が陽気な歌を回生に教えたのであれば、丸くなったのね…と思います(笑) イメージが重ならないのは確か。
以上が私が驍宗は生きている(=あの武人は驍宗ではない)と感じる描写です。いかがでしょうか。だとすれば驍宗はどこにいるのか。これは考えても恐らく現時点では答えが出せばうのではないかと思いますが、気になるところについてはまとめてみたいなと思っています。