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ママは「仕事のやりがい」を諦めるべきですか?

転職して半月が経とうとしている。
今回の転職という決断は、私の周囲に全く相反する二つの反応を生んだ。

「え!嘘でしょ!転職するの?」と
「やっぱり辞めると思った」というものだ。

前者の反応がほとんどであったので、今回は転職に至った背景と、今の私の素直な気持ちを綴ろうと思う。

36歳、ワーママのキャリアチェンジ

まず前提として、36歳・2人の子持ち(しかも幼児)、夫がシフト勤務で自由に勤務時間を決められない私のキャリアチェンジのハードルはやや高い。
これは採用の条件面も勿論だが、単純に転職活動をする時間の確保、もっと言えばキャリアに向き合う時間すら取ることが難しいからだ。

それでも私は短期集中戦略を掲げ、この転職に踏み出した。

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正直に言うと、前職の職場環境はかなり恵まれていた。ワーママにとっては最高だったと言っていい。
同じく働くママも多く、子ども起因による遅刻や休みにも寛容。
フレックス勤務が可能で、コロナの影響で完全在宅勤務である。
残業することもほぼなく、業務量も全く多くない。
皆優しくて、人間関係も良い。

だが、業務内容は私がやりたいことではなかった。

これは社長にも直接話をしていた。
育休から戻ってその部署に入ってほしいと命を受けた時に「指名してもらったことは嬉しいが、私がやりたいことではないので、ずっと続けたい気持ちはない」と。

「働けるだけでありがたい」のか?

「制約のある状況なんだから、働けるだけで十分だろう」と思う方もいると思う。
ましてや、最高の職場環境である。何の不満があるんだ?と。
ワーママだけでなく、例えばシングルマザー/ファザーだったり、持病があったり、介護をしていたり、外国人だったり、学歴がなかったり…そんな様々な環境下に置かれた人は、そんな周囲からの善意に見せかけた批判に晒されがちである。

果たしてそれは正しいのだろうか。

私の転職は大袈裟に言うと、そんな問いに対するアンチテーゼであった。
何より、「いい職場だから」とか「給与が安定しているから」とか「今転職したら大変だから」とか都合のいい言い訳をして、自分の人生と本気で向き合っていない自分自身が、最高にカッコ悪くて嫌だった。

自分の人生を、自分で切り拓けなくなってきている

当たり前だが、本来自分の人生の選択は自分にしかできない。

とくに学歴も職歴も人脈も資産もなかった私は、過去、数々のエントリで書いたように、かなり泥臭く人生を切り拓いてきた。

それは間違いなく私の強みだったのだが、歳を取るごとにその求心力が落ちてきていた。
何となくだがそれに気づき始めていたのに、日常の大変さを言い訳に無意識的に見ないフリをしようとしてしまっていた気がする。

夫の仕事があるから、とか。
子どもが小さくて大変だから、とか。
人生の選択の責任を他人のせいにしてしまっていた。

30歳の時、私は10年やってきた営業職を離れ、編集の仕事にチャレンジした。
もちろん、編集の勉強をしたことも、何のバックグラウンドもない。
向いているのかすら、正直言って自信はない。

だが「できない理由を考える」のではなく「できる方法を考える」のがポリシーの私は、結果

・リファラル(紹介)で入社する
・給与を下げる

ことでそれを実現した。給与は大体年収で100万下がった。

当時周囲からは「編集という専門職で、今から始めると言うのは遅すぎだ」と批判もされた。

だが、私は自分を信用して入社させてくれた方への責任、給与を下げたことや年齢的に後がないというプレッシャーで「人の5倍頑張って、絶対に挽回する」と決めていた。

結果、名編集者にはなれていないが、2年で編集長、そして編集を含む4つのチームを管轄するグループのマネージャーにも任命していただいた。

あの時私は、間違いなく「自分で、自分の人生を決めた」のだ。
そしてこれまたポリシー(というか性質)である「常に挑戦しろ。安定は退化の始まり」を胸に、愚直に行動をした。

よくよく考えたらその時だって制約はあって、妊娠中なのに深夜まで働き、周囲に心配もされていたし(それが良いわけではないので真似しないでください)、子どもを産んでからは何とか生産性をあげれないかと知恵を絞った。
次男の妊娠中は、マネージャー会議中に悪阻が悪化しトイレでひとしきり吐いてからまた戻ったり、育休復帰後はリアルに倒れたり、いや、ほんとしんどかった。

でも、大事なのはここで、私はひたすら楽しかったのである。

もちろん身体を崩しては意味がないので、その無理をしないことは今、かなりプライオリティ高く念頭に置き生きているが、この「働く楽しさ」を感じられなくなったことが、端的に言うと今回の転職の理由である。

このままじゃダメになる

働く楽しさも人によってそれぞれだろうが、私の中で常にポイントになるのは「成長実感」があるかという論点だ。

きつくても、成長できていると感じられれば私は頑張れる。
だけど、この半年は自分の過去の経験を切り売りして生きている感覚に近かった

新しいインプットや学びはなく、自分の経験則でできることを周囲にアウトプットする。
これは端的に言ってしまえば、とても楽なのだ。
ともすると、サラリーマンの理想の姿だと感じる人もいるかもしれない。

20代・30代にバリバリ働いて、40代・50代はその経験と資産を元に安定のポジションで働いていく。そんなイメージ。
キツいフィードバックをもらうこともなく、誰にも反抗されず、経験があるからできることをやっていく。
そんな未来が予想されたとき、私は簡単に言うとこう思った。

クソ食らえ。

良い給料だけもらって、部下に指示だけして、あとは問題なく生きていければと定年を待つおばさんになんて絶対になりたくない。

もっともっと、
毎日を必死に生きたい。
ひりついていたい。
挑戦していたい。
辛いことを乗り越えて一皮剥けたい。
わからないことに直面したい。
頭がちぎれるほど考えたい。

自分にはまだ、成長できる余地があるということを信じたい。

「このままじゃ私は絶対にダメになる」
疑念が確信に変わって、私は転職を決意した。

アラフォーの挑戦は続く

この半年、もちろん上記の観点では「ラク」だったにせよ、組織に課題はたくさんあったわけで、そこに対して何もできなかった自分の力不足は、とても反省している。

私を引っ張ってくれた上司にも、一緒に働いてきたメンバーにも申し訳ないという気持ちでいっぱいである。

1番辛かったのは、メンバーたちに去ることを伝えることだった。
責任とれなくてごめん。
中途半端に投げ出してごめん。
自分のことを優先させてごめん。
罪悪感でいっぱいだった。

でも、少なくとも正直に向き合いたい。上部だけの理由を述べて適当に誤魔化したくない。その一心でストレートに思っていること、この決断に至った背景を伝えた。

とてもショックは受けていたが、それでも私の人生を素直に応援してくれて、本当に本当に嬉しかった。
直接的な上司ではなくなるが、私もずっと何かしらの支えになれる存在でいたいと強く思った。

こうして送り出してくれた方々のためにも、私は自分の選択に責任を持たなくてはいけない。
これからの私の努力を見せることで、絶対にそこに応えていく覚悟である。

そして「自分のこの状況で、高望みなんてしていいんだろうか」と悩んでいる人がいたら、断言したい。
理想を諦めちゃいけない。

たしかに現実的に難しいことはある。
だけど、理想を諦めた瞬間に、私たちの成長はとまる

ママだって、もっと貪欲に仕事にやりがいを求めていい。
その選択の責任を自分で取る意志さえあれば。

覚悟が問われている。
私の新しいチャレンジは始まったばかりである。

本代に使わせていただきます!!感謝!