28歳、新米編集者になりました。
1年前の今日、2021年11月1日。
将来国連で働くという高校生の他愛もない夢から10年経って、初めてバングラデシュ・コックスバザールのロヒンギャ難民キャンプに足を踏み入れていた。
1年経って、今わたしの目の前には、自分の名前がスタッフクレジットに入った生まれて初めての本がある。
今日はその1年間の話をさせてください。
転職のご報告
2022年6月。新卒で入社し、4年間勤めたユーグレナを退職しました。
初めての転職です。IRや途上国での事業開発の短いキャリアから、書籍編集者になりました。
本に関わりたいという思いはずっと持っていました。小学生のときは作家になりたかったことを覚えています。でも本当に本を仕事にするとは思ってもいませんでした。
国連に入ろうと思って、イギリスの大学やバングラデシュへの研修まで行った自分が、最短距離(といっても、進路を決めた高校2年生から10年)でバングラデシュの難民キャンプにたどり着き、自分の目で現場を見るチャンスを頂けたことには、感謝しかありません。
しかし難民キャンプで国連とのプロジェクトに深く関わることはありませんでした。人生の後半への宿題になったのかもしれません。
2022年7月、ソーシャル経済メディアを運営するNewsPicks(ニューズピックス)に入社しました。
NewsPicksパブリッシングという出版部門に、3.5人目の書籍編集者として未経験で入れて頂きました。
4ヶ月経ったいま思うのは、すごくいい転職でした。めちゃくちゃ楽しいです。この後のことは、本を何冊か作ってみないと、わからないけど。
この記事を読んでくれている人は、
「まとばは元気か?」と思ってくれている人かもしれない。ありがとうございます。
キャリアの参考事例を読みたい人かもしれない。
やりたいことがあるけど、踏み出せていない人もいるかもしれない。
主に今までご縁のあった方々向けに、近況報告という形でまとめたいと思っていますが、あわよくば誰かの参考になれば嬉しいです。
1. 背景:高校生のときから「ソーシャル」一直線
大学もインターンも含めて、国際協力・社会貢献まっしぐらだったわたしが、どうして一連の「ソーシャルな」キャリアをストップしたのか。
高校生のときから「ソーシャルなキャリア」一直線で進んできました。
国連を目指していて、イギリスの大学で4年間開発環境学を勉強したり、バングラデシュのグラミン銀行に研修に行ったり、フードバンクや社会課題を扱うメディア事業のインターンをしたりしていました。
最終的に、ミドリムシを活用して栄養問題と環境問題にアプローチしているベンチャー企業であるユーグレナと出会い、「日本で初めてのことをしている会社がかっこいい」と思ってご縁をいただきました。
ユーグレナでは、IR/サステナビリティ担当としての3年間を経て、バングラデシュでの事業開発部を1年経験させてもらいました。
パートナーである国連WFP(世界食糧計画)の運営するバングラデシュ・コックスバザールの難民キャンプにたどり着いたときは、「10年かかってここまで来たな」という気持ちでした。
でも一方でとてつもない閉塞感を強く感じていました。
難民キャンプからの帰り道、「こんなにやりたいことなのに、こんなにやりたくないなんて」と車の中でひっそり涙が流れ、ホテルの部屋に戻ってからは、涙が止まらなくなっていました。
閉塞感の背景は、ごめんなさい、直接会ったときに聞いてください。
「世のため人のため」vs「自分の興味」の葛藤
「このまま、ここにいたいのだろうか」と転職を考え始めたのは、難民キャンプへの出張の数ヶ月前。でもそのときには、様々な葛藤がありました。
あくまで自分にとってですが、仕事は「社会(のマイナスの解消)のため」にしなくては意味がないものだと自分を縛り付けていました。だってそうやって就活したし。
本の世界に行こうかと考えたこともありましたが、
と、思いを振り切っていました。
2021年の夏から秋にかけて、何度もそうやって自問自答していました。
そんな状態のなか、最後となる出張で難民キャンプに行ったのです。
今思うと、ずっと「やるべきだ・やってみたい(What・Will)」にまっしぐらで、まずはどこかでスキルを磨くなんてことは思いつきもしなかった。
課題に直接関わることしか考えておらず、向き不向き(Can)とか、どのような手段を使うか(How)はまったく考えていませんでした。
そんなこと誰も教えてくれなかったし、自分で痛い目をみないと学べない頑固で不器用な自分は、教えてもらっていたとしても、やってみたいこと(What)を無視する道はとらなかったと思います。
だから新卒の就活当時、視野が狭かったことは否めないけれど、一度は「バングラデシュを目指してみてよかった」と思っています。
スキル的には書籍にまったく関係ないけど、この10年があるから今がある。
「やっぱり本」に至った自己分析
「本とキャリアは別の道」と葛藤しながらも、ぼんやりと転職を考えてからは、自己分析を重ねました。「やりたいこと(What・Will)」だけではなく、「得意そうなこと(How・Can)」も含めて検討しました。
バングラデシュで暇すぎてこんな本もやりこんだのです。こういう類の本はちょっと馬鹿にしていたけど。
2021年の目標のひとつは、「100冊本を読む」でした。途中で挫折するかもしれないと思っていたのに、蓋をあけてみれば10月頃には達成してしまうペースで読んでいた。本に関わることは自分にとって苦ではないと再発見になったことは、一つの大きなきっかけかもしれません。
また、バングラデシュの僻地で婚期を逃したくない...と思ったのも影響しています。一度バングラデシュ出張に行くと、1ヶ月〜2ヶ月日本を離れます。同じ部署の先輩や上司はみんな結婚していて、「自分だけこんなところで」と思ったことがあったのです。
ずっと「かっこいい」から国連だ、国際開発だと言ってきたけど、本当は「日本の海辺で家庭を築く」ことの方が優先順位が高い、本音の夢だと思ったのです。
「高尚な夢」を一度手放し、自分の人生を優先させようと思った瞬間でした。
そして改めて自分の「好き」や「得意」とも向き合うなかで、本に関わるなら編集者かな、と漠然と選択肢の一つになったのです。
ユーグレナのことも好きだったので、会社に残る選択肢と天秤にかけたときに、「どうしてもやってみたい」と思ったのは出版業界だけでした。
2. NewsPicksとの出会い
出版業界の採用情報をあさってみると、未経験では選択肢がものすごく少ないことにすぐに気が付きました。
「社会のマイナスをプラスにしたい」と言って新卒で出版業界をまったく考えていなかったわたしは、知らなかったのです。編集者になる道は、ものすごく狭きものだということを。
『出版.com』で、書籍編集未経験で受けられる出版社は1社しかありませんでした。
でも、それだけの理由で受けたわけではありません。
この会社なら、面白いことができそう。
ユーグレナのときと同じように、本気でついていきたいと思えたのです。
これは採用開始時の編集長の言葉です。
出版社って実は日本に3000社くらいあります。
でも「この時代に、出版業界でキャリアを積む」と決断するときに、わざわざいく価値のある出版社はしかそこまで多くないのでは、と思っていました。
その中で、「未経験でもOK」と編集者を募集している1社が、その1社だと思えたのは幸運としか言いようがありません。
一般読者が本を読むときに、出版社を意識することはあまりないと思います。
わたしも「NewsPicksパブリッシング」というレーベルをほとんど認知していませんでした。知っていた本が何冊かある程度です。
でもきちんと知れば知るほど、確固とした価値観、想いが伝わってきました。
出版社としてカラーを出していく。ベストセラーを狙った「売れそう」以外の意思がない本は作らないけど、清貧にも逃げず売れる本をつくる。答えではなく問いを世間に投げかける。
そこに共感し、応募を決めました。
(入ってみると、カラーを保つためのプロセスは、哲学ともいえるほど広大で、一言では表せない何かが根底に流れてお互いをわかりあっていました。だから企画は全然通らないし、コミュニケーションに時間をものすごく丁寧にかける。でもそれが好き。)
3. 選考:「ツブシきかないけどいいの?」
面接のプロセスでは、書類選考と面接複数回に加えて、書籍編集が未経験だったため実技課題もわざわざ準備してくれました。また面接ではオンラインでしか会えていなかったため、往訪して質問タイムを挟ませてもらったこともあります。
書類選考では、志望動機に企画案3つ。
実技の課題は、実際の原稿直しと、既刊に対してのアイディア出し。
一瞬、転職そのものを迷い始めたときにこの課題が出て、「楽しそう」と思えたのが、人生の分かれ道だったのかもしれません。「転職をやめたとしても、落ちたとしても、プライベートの時間として楽しいからやる」くらいの気持ちでやってみたところ、それも通って二次面接に至ったのです。
面接のプロセスを通して一番印象に残っているのは、「書籍編集者なんてツブシがきかないよ」「じみーーな仕事だよ」とに散々脅されたことです。
が、わたしとしてはツブシって何?という感じでした(「ツブシって何」は後の弟の言葉ですが)。
「ツブシ」なんかで自分のキャリアを選ばない。
目の前のことを一生懸命やっていれば、絶対に学べることがある。
わたしはそう思っています。
「じみーーな」仕事が何を指していたのかは今もわかりませんが、言葉にちまちまこだわるのが大好きなことも分かっていたし、ノウハウとしても「コンテンツメイキング」を本質的に身につけられれば、いくらでも"ツブシ"はきくと思っていました。
内定理由
最終的に、無事内定をいただきました。
オフィスに赴くと、「まとばさんと働きたい理由」というプレゼン資料をもらいました。
うれしい。
ちゃんと4つ覚えています。
バリューフィット:「渦中の友を助ける」を体現できそう(ホームレスをじっと見ていただけのnoteが人生を少し変えてくれた)
②編集技術:アウトプットは30点だけどセンスはありそう
③オープンコミュニケーション:つらいときにつらいと言えそう
④仮に書籍編集が合わなくても、他の部署でもやっていけそう
未経験でよく通ったね、って会う人会う人に言われます。
未経験でよく採ったね、って受け入れ側を褒められます。本当にそう思います。
こうして書いていると改めて、ありがたいなと気持ちを噛み締めます。
「転職はまだ早い」
転職を報告した方々には、厳しい言葉もたくさんもらいました。
社会人5年目として、もちろん結構へこんだし、不安になったりもしました。
でも、尊敬する人たちにそこまで言われても結論は揺るがなかった。
自分のキャリアへの確信みたいなものを感じていました。今だから書けるけど。
この人たちが自分のすべてをわかっているわけじゃない。
ベンチャーのCFOなんてこの先目指さない。
この機会を逃したら、何年経ったって出版業界には入れない。絶対に後悔する。
そのくらい自分と向き合った自信もありました。
だから、内定を頂いたときはほとんど迷っていませんでした。
2022年6月に退社し、7月に初めての転職を果たしました。
4. 転職後
転職してどうだったか、を最後にちょっとだけ。
もちろん、不安な時期もありました。
でも総じて、楽しいです。転職して自分の仕事を見つけられて本当によかった。
まず、チームが最高です。感謝しかないです。
不安を取り除いてくれる。忙しくても時間を割いて言葉を尽くしてくれる。うまくできない自分も肯定してくれる。あせらないでいいと言ってくれる。いい仕事をしたときは褒めてくれる。管理せず信用して放置してくれる。
チームが小さくて、でも役割分担で成り立つフェーズにあって、それぞれがそれぞれの得意分野で役割を果たしているからこそ、自分の居場所にうもれていられます。
そして、やっぱりやることなすことが楽しいんです。
著者候補に会う。
自分の疑問や感覚をもとに企画を考える。
フィードバックをもらう。
原稿に赤字を入れる。
版権取得判断のために、洋書の内容をチェックする。
本のプロモーションのために、記事を書く。
遠回りもして人の時間をいただいているけれど、先行投資をしてもらっている自覚も十分にあるけれど、そのプロセスを全部楽しめています。
そして10月28日。転職して初めて手伝わせてもらった本が発売になりました。
スタッフクレジットの載ったページ(奥付といいます)に自分の名前を見つけたときは、感無量でした。自分の仕事が世の中に出る一歩目の機会をいただきました。
自分の企画した本を出すまでは、本当にまだ何も言えないけど、ひとまず元気で楽しいです。
1年前バングラデシュにいた自分。
朝ベッドから出たくなかった数ヶ月間。
食欲もなく昼まで寝続け、頭がぼーっとしていた休職期間。
学生時代から就職・異動まですべて予定調和的なタイミングで、行き先も自分で選んできたなかで、「自分が数ヶ月前まで想像しなかった未来」をつくっていっている実感は初めてのものです。
そうか人生ってこれでいいんだ、
誰かに何かを決められているわけじゃないんだ、
楽しくていいんだ、
そう思っています。
やりたいことは、たくさんあります。バングラデシュにも、「本」を携えていつか戻りたいとも思います。「本で世界を変えられない」と悩んだ自分を見返したい気持ちもあります。
社会がやさしくなるような、売れれば売れるほど世界が良くなる本を作っていきたいです。
これをここまで読んでくれたあなたが、幸せでありますように。
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