見出し画像

ミス・ユニバースに出てみようと思った直接的なきっかけ

それは、自分をごまかせなくなったから。そしてごまかしている場合ではないと思ったから。

新入社員の私は、配属されたばかりのころ仕事のダンドリが悪く、残業は月70時間を超えていた。

目の前の仕事に精一杯で余裕がなく、それでも受け身な仕事のやり方に焦りつつ、どうしていいかわからずにいた。

プライベートでも同じだった。余裕がなさすぎて「次の週末の計画を立てる」という脳みそもなく、休日はもっぱら寝ることと人に会いに行くことくらいで終わってしまい、何にも向かっていない自分にもどかしさを覚えていた。でも、何に向かったら良いのかもわからないのだ。

仕事でもプライベートでも、能動的に何かをしたい、何かに向かって努力したいと思いつつも、モチベーションも沸かなかった。

ノートの一番上

そんなとき、職場の先輩とランチに行った。

仕事において「優先順位付け」が自分の中でテーマだった時期があって、そのままそうしてタスクマネジメントの話をしたのか、それとも前述したようなモチベーションに関する悩みまで話したのかはあまり覚えていない。

とにかく、そのランチの間に先輩に勧められた「Time Quest - 心の安らぎを得る究極のタイムマネジメント」という本を読んでみることになった。

その中に「価値観が自己実現の土台である」という章がある。この本のメッセージの土台にもなっていくのだけれど、つまりは「やりたいことをやろう」、「自分は何に最も価値観をおいているか知ろう」ということだ。

読んでみるとわかるけれど、この本は単なるタイムマネジメントについてではなく、その根底にあるライフマネジメントについて書いてある。自分が人生において何をして何をしないかハッキリ選択したとき、人生の生産性が最も上がるってことだ。

その選択をするにあたって、まず自分の価値観を見極め、次に長期目標、中間ステップ、そして日課のタスクリストに落とし込んでいく。

・・・というのを、その第一ステップとしてほんとにやってみたんですね。

そしたら、この通り。

過去にも就活前に「絶対内定」という本を見ながら似たようなことをしたことがあり、今回これをやってみるにあたって、そのときの自己分析を見ていたら、「憧れる人物、夢」を書いてみたときに「ミス・ユニバース」の文字があった。

2年まえの話ですね。

誰の目も気にせず、赤裸々に自分の気持ちを書いてみたとき、美に対する憧れや美しくありたいという気持ちが表に出てくるんだと気がついてしまった。

大事にしたいことを並べてみたとき、一番上に「美」が出てくるっていうことをやっと認めた。

自分の人生なのに、自分に嘘をつく必要もまったくないし、恥ずかしがる理由もまったくない。

それが、動き出しのすべてだったように思う。

「頑張りたさ」と頑張れる方向の一致

つまり、わたしはミス・ユニバースには何年か前から興味があった。

だけど、実行に移すだけの勇気もなかったし、スピーチ審査があるらしいと聞いただけで世界が違う気がしていたし、何よりなまけものだった。努力しなくちゃいけないならいいや、と。

たまに就活生が陥る「素の自分で認めてくれないならこちらから願い下げです」という状態。

実際にたまたまミスユニバースジャパンに出たことがある女性に出会ったとき、「ハイヒールで7時間歩き続けたときはちょーつらかった」と聞いた。それだけで、「あ、そんなことについて努力しなきゃいけないのか」と思って、「私はいいや」と。

だけど、本当は興味があって、それは隠さなくても良くて、今自分がやらなきゃいつ誰がやるんだと気がついた。

しかもチャンスは(28歳までは)毎年ある。

トライしないまま一生が終わってしまったら後悔するんじゃないか。

前の記事で書いたように、私には「人に認められたい」とか「自分がスキ」という思いがわりと強くある。

だから、「何かに向かって頑張りたい」という意識高い自分と、自己承認欲求をインスタだけに向けていた自分がうまくマッチし、「ミス・ユニバースに出てみよう」「努力するならここだ」という思いにつながっていった。

頑張りたさと頑張りたい方向がマッチした。これがとても正しいです。

そしたらなんだかエネルギーが湧いてきたんですよね。素直。

最後に、「Time Quest」で印象に残った箇所を引用します。62歳で大学に行こうとした筆者の母が、異論を挟まれたときの会話。

「ルース、馬鹿げてるわ。学位を取るまでに三年かかるんでしょう。三年経ったらあなたは六十五歳よ」

(筆者の)母は彼女の言ったことをしばらく考えていたが、笑顔でこう答えた。

「三年経てば、何もしなくても六十五歳になるわ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?