差別を超えて、旅を続けるということ。
皆さんは、差別にあったことがあるだろうか。
一言で差別と言っても、細かく分けると、種類はたくさんある。
身分差別、階級差別、学歴差別、職業差別
人種差別、民俗差別
文化差別、言語差別、国籍差別、地域差別
性差別、性的少数者差別
障害者差別
病人差別
または、逆差別という言葉まである。
今日は、その中でも、”人種差別”について、語ろうと思う。
正直にいって、涙が出るほどの強烈な、差別を受けた経験はない。
その中で、差別とそうでないものの差を図ることは難しいが、
旅を続けてきた、僕が感じた体験等を交え、わかりやすく伝えていきたい。
中南米では、アジア人を見かけると、人々は「チノ!チノ!」と叫ぶ。
中南米を旅したとこがある人ならわかると思うが、これが、かなりうっとおしい。
チノとは、Chino のことで、スペイン語で、中国人のことだ。
アジア人はみんな中国人ということ。
アジア = Chino だから、もしかすると、アジアという言葉を知らないのかも、と思うくらい。というか、知らない人たくさんいると思う。
老若男女 全ての人が、チノ、チノいってくる。
呼んでくる人にもよるが、そんなに苛ついたりはしない。
なぜなら、ニュアンスが、「よう、友達!」って感じだから。嫌味な感じはしないのだ。
たまに、名前や、国籍も知っているのに、わざと言ってくるやつもいるのでそんな奴には、多少イラつくが。
こっちの人は、相手の名前を呼ぶことを大切にしている。
例えば、「こんにちは、○○さん。」「さようなら、○○さん」といったように。
日本では、そんなに、名前までは呼ばないように思う。
子供にも、「ありがとう」だけではなくて、「ありがとう、 ○○さん」と言いなさい。といったようにしつけている。とてもいいことだ。
だから、感覚として、名前を知らないわけだから、今、現在わかっている情報で判断して、「HOLA, CHINO! 」「コンニチワ、中国人!」というふうになるわけだ。。
多分、、、ポジティブに解釈すると。
2020年の1月ボリビアでの話。ヨーロッパや、アジアでは、もうパンデミックで、自宅待機が始まっていたが、中南米はまだ、感染が届いておらず、人々は普通に生活をしていた。
その時期のボリビアの市場で、「おー、コロナウィルスが、歩いている。」と何度も言われた。
こっちは、買い物をしながら歩いている。
あっちは座って、果物や、野菜を売っている。
伝統的な、衣装をしているおばちゃんたちで、三つ編みがトレードマーク。
典型的な、アンディーナと呼ばれる、アンデス高原の先住民の子孫たち。
「コロナウィルスが歩いている」と、よくもまあ、本人に聞こえる声で言って、隣のおばさんと笑っていられるなと、正直、そのモラルの低さには、呆れた。
スペイン語がわからない思ったのだろうか。その後、スペイン語で「コロナウィルスじゃない」とは、いっておいたが。
北米でのあるある。
旅をしている時は、数日間、シャワーを浴びていない時もあるし、身だしなみも爽やかに決まっているわけではない。
そんな時には、「なんだこのみすぼらしい、アジア人は!」みたいなのとか、自転車に大きな荷物を積んでいるので、「なんだ、このアシア人ホームレスは!」といったような視線を浴びせられることは毎日ある。
北米では、直接的に暴言を吐いたり、侮辱的な、言葉を吐く人は少ない。その辺のモラルはあるらしい。
しかし、態度で、アジア人やラティーノ(ラテンアメリカ人)を見下している感じが、すぐわかる人もいる。
これまでに、100回以上は聞かれたこととして、「犬を食べたことがあるのか。」と言うのもだ。
それと、北米の意識高い風の女性に多いのが、「なぜ、あなたたちは、鯨を殺すのか。」と言うもの。
前者に関しては、本当に多い。特に中南米。日本にいた時には、そう言う風習がある地域もあのかな、というくらいの印象だったが、こっちの人は、アジア人=犬を食う。というイメージらしい。
鯨に関しても、日本は卑弥呼の時代よりも、もっと前から海に住んでいる生き物を食す文化。
その文化の延長で、日本では、鯨を購入して食べることもできる。
正直、僕は、人生で1度か2度しか食べたことはない。漁師の息子であるにもかかわらずだ。
30年前に商業捕鯨が禁止された。そして、2019年に再開されたらしいが、今の日本の人たちが、どのくらい食べているのかは知らない。
<農林水産省は「鯨肉の消費は時代遅れの文化的風習ではなく、牛肉を食べることが世界の標準でもない」と主張している。>(出典:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/捕鯨問題)
農林水産省が捕鯨を反対する国や団体へ放った言葉。
秀逸。
すごく、真っ当なことを言っていると思う。
犬食に関しても、自分が、愛犬家であったり、犬が好きだという理由で、批判している人は、背景にある、その土地の文化を知っているのだろうか。
学生時代、アジアをバックパッカーで旅をしている時に、タイのチェンマイで、1泊2日のトレッキングに参加した。
内容は、ラフティング、イカダ下り、滝めぐり、象に乗る体験、首長族訪問、山奥の小さな村に一泊。というイベント満載のとても楽しい、トレッキングだった。
その時に泊まらせてもらった、山奥の小さな村は、水道も、電気もなかった。
客をもてなすように、芋虫の幼虫を食べさせてくれたり、ビールも振る舞ってくれた。
電気がないので、ロウソクを立て、少ない灯の中、食べたり、飲んだりして楽しかった。とてもいい経験になった。
その村は、たまに僕たちのような、旅行者を受け入れるということ以外は、その土地、本来の生活をしていた。
日暮れ前に村を少し散歩をしていると、男性が家の前で、焚き火をして、その火で、犬を丸焼きにしていた。
初めて見たので、驚いたが、その土地では、当たり前のことだろう。男性は、僕たちが見ている前でも、気にすることなく、料理を続けた。
少なくとも、虐待をしたり、楽しみのために、犬を殺して、料理しているわけではないことは明らかだった。
彼らは、どう見ても裕福な生活をしていないし、彼らの、おじいちゃん、ひいおじいちゃん、もっと前から生活を続けているだけだ。
ちなみに、その村で、振る舞われた料理に犬肉は含まれていない。
先進国の人々は、「なんて残酷なんだ。」「こんなに可愛い犬を食べるなんてもってのほかだ」という。
毎日のように牛肉や豚肉、鶏肉を余るほどに注文し、または料理をして、食べきれなければ、なんの躊躇もなくす捨てているのにだ。。
仔牛や子羊を「美味しい、美味しい」と、食べる彼らに、タイの山奥で、水道も電気もない中、暮らしている人々を批判することはできるのか。
ちなみに行っておくと、僕は、犬食に関しても、鯨食に関して、賛成でも反対でもない。なぜなら、よく知らないし、食べないと死ぬわけでもないし、食べたいとも特に思わない。
よく話題に上る、中国のある土地での、「犬肉祭り」に関してもよく知らないので、何も言いません。
法律違反でないのなら、いいんじゃないのかというくらい。
ただ、知りもしないのに、理不尽に、よその文化を否定したりする人は嫌いです。
話がそれたが、文化差別というものは、人種差別よりも多く、存在する。
ということで、思いついたことをつらつらと書き連ねただけの駄文を最後まで、読んででいただきありがとうございます。
今、思いつくのは、そんなところです。
また思い出せば、何か書きます。
ありがとうございました。