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スリルとハラハラ,ドキドキの中学校勤務時代 2
中学校勤務では,キャンプ行事や修学旅行もちろんのこと,卒業式の前後などには,警戒のため泊まりの勤務がありました。 台風などの非常事態や,生徒に何か起っときにも,時間にかかわらず出向くことはありました。
私は経験がないのですが、台風の時に出勤して窓ガラスの補修をしたことがある先生もいると聞いたことがあります。 小学校での修学旅行で。 「先生も遊び気分でいいねえ」と,どこかのおじさんに言われましたが 「48時間勤務です」と言い返しました。
中学校での卒業式の前後3日間は3人ずつ交代で学校に泊まり,校舎内外の様子を見回ったことがあります。 ちょうど尾崎豊氏の「卒業」という歌が流行った頃でしょうか。夜学校で何かあってはいけないという対処でした。それは,
すべての生徒に卒業式は無事に終わって欲しいという願いからです。
話が飛びましたが,給食の時間の勤務時間は,私が新任の頃は勤務時間の後ろに持ってきて、本来ならば5時30分までの勤務でしたか一時間繰り上げて4時半には帰っていいという暗黙の了解がありました。
しかし、小泉内閣から特に安倍内閣にかけて,教員いじめに因って五年ごとの大学などでの研修による免許の改定,及び休憩時間10時半ごろと給食後と夕方に最後は勤務時間が来るようにサンドイッチ状に移して改悪され5時15分までは学校から離れることはできなくなりました。
これは教員組合やほとんどの教員が自民党支持ではないでの,云わば与党の政治家のいじめからおこったことなんです。医師免許などからアマチュア無線まで国家資格か,それに準ずる免許はたくさんありますが,更新があるのは,運転免許か教員免許ぐらいです(笑)。
つい最近になって教師の仕事はとんでもなく忙しいということがわかって,マスコミも手のひらを返したように教師の仕事を擁護するようになりましたが、以前は,もう叩くは貶すは,批判するは、もう教師に対しても世間の目は大変厳しいものでした。
はじめは1980年代ころからの不登校や非行の増加,その次はいじめ。 次は学級崩壊と,学校や教師を叩く材料は次から次へと出た時代が厳しかったですね。
しかしながら。 子どもは画一的と思われてた時代から変わって,実はさまざまな個性があって、発達障害などの知識が普及して,学校や教師の対応に対する、あるいは子どもたちに対する見方や姿勢が変わったことが教師の仕事の大変さを知らしめるきっかけになったと思います。
私の父方の従姉の旦那様は,私に会うたびに酔っ払いながら,いじめの原因は?不登校は? 学級崩壊は?と難題を押し付けて絡んできましたが,「普通の子なんていない」と言われ始めたように,実は子どもたちの個性がいろいろあることがわかってきました。
世の中の実態の変化や家庭の文化の多用性化で,「何でもあり」という時代がくるまでは,すべて学校の責任,教師の責任というなすりつけがあったので 我々は大変な思いをしたい時期があったのです。
ですから。 私たちの私のいた県では教師が頑張っているというアピールを兼ねて,夏休みでも(もちろん公務員はお盆休みはありません) 自分で有給休暇を取るなどして休んでるわけです。
母親や。 子どもの面倒みる立場の人からすると。 夏休みなんて無い方が良いと思ってる方はたくさんいると思います。 経済的にも一人余分に増えますし。 仕事をしている方なら子どもの面倒は誰が見るんだということになってしまいます。
繰り返しになりますが。 教師をはじめとして、公務員には休暇としてお盆休みはありません。 たいていの先生はお盆前後に有給休暇を消化して1週間から10日ぐらい休む人もあります。
運が悪くてお盆の最中に日直が回ってきて、学校に一日中縛られるということもあります。 次に書く文章のように,あるいは後から引用する学研の引用文のように夏休みでもすることがあるので,子どものためではなくて先生のために夏休みはあるのです。
夏休みの2/3以上は各教科から,IT,英語,食育,道徳教育,球技など体育実技指導,いじめ対策,不登校対策,環境教育,発達障害,非行対策,水泳技能,などなど研修が目白押しでした。
一学期の事務処理の残りや,二学期に運動会や学芸会などがあれば,準備や構想づくりに取り掛かります。
あとはプール当番や日直や地域行事での見回りなどの仕事で学校へ出て,おそらく夏休みの土日を除いた。 3/4以上は出勤していたと思います。
(余談ですが,給食センターの職員は夏休み中,何をしてたんでしょうかね? パートの人が多いようですが,市の正職員が遊んでるわけじゃないと思いますが,とても謎でした。新メニューでも考えていたとはあまり考えられません、
というのも,実は給食の食材は,給食センターで作るものは,県単位で巨大な倉庫のあるベース基地から運ばれてくるので,工夫の余地には限界があるんです。
なぜ知っているかというと新任校のあった豊〇市に基地があって,例えばコロッケなど何種類かはあるのでが,大量に備蓄冷凍保管されていて,そこから市の給食センターに運ばれる仕組みだらなのです。
学校に給食を作る設備を持ってる学校は,業者が食材を運んでくるので,多少の融通は利きますが限られています。
知っている学校で,その学校で作った野菜を加えて調理しているユニークな学校もありましたが,二百人ちょっとの小規模校だからできたとも言えます。)
普段時での,小学校も中学校も仕事が年を追うごとに増えて,遅くなり,ずいぶん以前は,実はパソコンのデータなどを持ち運びして家でも仕事ができたのですが。情報の管理が厳しくなって。約20年ぐらい前からは,自分のパソコンで仕事をすることは許されず、メモリなども家に持ち帰ることは許されなくなりました。
その代わり、教員に一人1台ずつパソコンを供給して学校で仕事をするということになり,部活動などの後,残った仕事はすべて学校でやることになったので、まさに特に中学校は不夜城と言われるようになりました。もう伏魔殿と言ってもいいぐらいでしたね。
今となっては笑い話の一つかもしれませんが,小学校でも中学校でも夜の11時12時ぐらいまで蛍光灯がついていると,「税金で電気代を払っているんだろう、もったいないから早く帰れ。」と住民から電話がかかったことが何回もありました。
またプールの水の管理や普段の水道代もバカになりませんでした。(普通の学校では一度入れた水をシーズンの途中で入れ替えることはありませんでした。)
学校全体で言えば電気代も家庭とは比較にならないほどの量でしたし,それをいちいち記録して昨今は環境教育までするのでするので,することはどんどん増えます。環境教育は学校からやらなければいう所以です。
私が教師になった頃は,まあそれ以来ずっとですが、教員というのはあくまで時間的にも体力的にも,献身的な仕事であって,自己犠牲をいとわず,生徒やその家庭のためにささげてに働くのは当然で,そこから外れるのは教師の風上にも置けないという雰囲気がありました。