
半ば強制のボランティア活動(サッカーに憑りつかれて) 1
小中学校でサッカーの部顧問をしていた時期は,サッカーでのメンバーの子どもの中では,立場のある元気な,別の意味でも注目されるスター性のある児童・生徒をあごで指示しいましたから,ほかの生徒からも私は一目置かれました。他の女子も含めて児童や生徒は,威厳のある先生として見ていました。部活動での少ないメリットだったと思います。
ここからは小学校での部活動。 クラブ活動について。 半ば強制的に。 させられたという体験で。 家庭も顧みず。 苦労した話をして行きます。
転任した地元の市では,本来は学校とは直接関係のない「サッカーのクラブ」チームはどこの小学校にもありました。表向きは社会体育なんです。 しかし、本質は学校の先生のボランティア活動だったのです。
そのサッカークラブの創立の時に,市の若い教員がたくさん関わった関係があって何十年もの間,男性の若い教員で支えられてきました。
私が小学校五・六年生の時の担任の先生もサッカークラブの立ち上げに尽力したひとりで,私が小学校六年生の昭和五十年度にサッカークラブが立ち上がりました。 主催兼後援は大手の新聞社です。
コーチ監督は各学校の男性の若い教員が中心で,名目上は参加は任意でしたが,参加せざるを得ない空気があったのです。
やっと中学校から小学校転任した時に,小学校では平日にわずかに部活動だけであって,土日は解放されると思ったんですが,自称高木ブー先生に強引に勧誘されて引きずり込まれました。
私は中学校で勤務した時にサッカー部の顧問だったということは知れ渡っていましたので。 その小学校での期待は私に大きくかかってきたと思います。
平日に学校の部活動でサッカーを教え,ほぼ同じメンバーを土曜日、日曜日に また、小学校や市内にある県営のグランドで,練習試合や,はたまた長期の休みには,高原とか海辺とかに行って合宿や試合などをするという結構ハードな組織でした。
これで土曜日、日曜日にはほとんど潰れることになって,娘二人と妻とは疎遠らなることが多くなり,離婚への歯車は一つ増えたことになりました。
ここでは離婚について多くは語りませんが最終的に。 離婚事由を作ったのは妻の方です。 しかしながら、夫婦というものは,お互いの相互関係で長い間一緒にいるわけですから離婚という ところへ落ち着くのは,いわゆるフィフティー・フィフティーです。
よく考えてみると、どちらにも同じくらいの責任と悪循環を加速させるものを持っていたと思います。家庭と本職の教鞭と,土日のサッカーで時間がすべて埋め尽くされました。ただひたすら今でいう「ブラック」な生活を余儀なくさせる毎日でした。