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【掌編】友達とは呼ばない
(3924文字)
真壁と初めて会ったのは、新入社員研修の懇親会だった。
私たちのテーブルは男女五人ずつ、初めて顔を合わせたもの同士だったので、なか なか会話が弾まなかった。
中でも仏頂面で場を重い雰囲気にしていた男が真壁だった。
私はこういう雰囲気に耐えられない質だ。なんとか場を盛り上げようと会話の糸口を探り、向いに大類という珍しい苗字の女子がいたので話しかけた。
「大類さんって珍しい苗字だよね。どこの出身?」
「山形です。山形でも珍しいと思います」
よし、山形なら多少知識があるぞ。
「山形っていうと、銀山温泉があるところですよね」
「そうです!私の実家もその近くです」
彼女の笑顔に周りの緊張もほぐれたのか、それからはそれぞれの出身地の話で盛り 上がった。
最初は私が話の中心になっていたが、次第にその役割も必要ではなくなり、ホッとして聞き役に回った。
一時間もするとすっかりみんな打ち解けて、大きな笑い声が飛び交うようになっていた。そしていつの間にか、その中心で一番はしゃいでいたのは真壁だった。
その真壁が、黙って聞き役に回っていた私に気がつき、浮かれた口調でこう言った。
「あれ?どうしたの?さっきはあんなに話してたのに静かになっちゃって」
「ああ、オレのことは気にしなくて良いから」
私は愛想笑いを浮かべながらそう応えた。しかし真壁はニヤッと笑いながら、
「もしかして、自分が中心じゃなくなったからスネちゃった?ハハハ」
と、どこか勝ち誇ったように笑った。
「ちょっと、やめなよ!失礼じゃない」
女子のひとりがそう嗜めたことで真壁は黙ったが、それがまるで真壁の言葉を肯定し ているようにも感じた。
私は頭に来るよりも、場の雰囲気を作った努力が認められていないような気がして落胆し、ゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと調子悪いから、先に部屋に戻ってるよ」
私は軽く笑顔を見せてそう言うと会場を出た。
そのまま部屋に戻る気になれず、誰もいないロビーのソファに腰を沈めた。
この会社でやっていけるのだろうか。 私は社交的に見られるが、それは気を遣ってそうしているからであって、長い時間を集団で過ごすと疲れてしまう。 この研修で既に疲れているのでは、これから何年、何十年と会社勤めができるのか。
「大丈夫?」
背後からの声に振り返ると、声の主は真壁だった。
ドラマでは、こういう時に声をかけてくれるのはヒロインの女性だが、現実は厳しい。
真壁は了解も得ずに隣に腰を下ろした。少し離れているのが彼なりの遠慮か。
「いやぁ、悪かったよ」
私が黙っていると、真壁はそう素直に謝った。それほど怒っていたわけではないが、すぐに応える気になれなかった。 そんな私の様子は意に介さず、真壁は話を続ける。
「俺さ、人見知りでなかなか話せないんだけど、一度話せるようになるとすぐ調子に乗っちゃうんだよね。それで余計な事まで言って嫌われる。我ながらバカだなぁと思うよ」
私がその言葉にも応えなかったので、ロビーに沈黙が流れた。
宴会場からドア越しに賑やかな笑い声が微かに聞こえてくる。
「ごめんなさい!」
大きな声に驚いて真壁を見ると、ソファの上に正座をして頭を下げていた。
土下座なら床じゃないのかと私は少し可笑しく感じた。
「良いよ別に。そんなに怒ってるわけじゃないから」
「ほんと?」
真壁は子供のように大きな目を輝かせながら私を見つめた。
顔が近い。
「ああ」
「良かったー」
真壁は心底安心した様子で、ソファに座り直した。さっきより近くに。
「それじゃさ、友達になろうぜ」
満面の笑みで右手を出し、握手を求める真壁に少し呆れながら、
「そういうのを調子に乗ってるって言うんじゃないの?」
と言ったが、すぐにキツイことを言ってしまったと少し後悔した。
しかし真壁は全く怒りも傷つきもしていない様子で、
「だよなー、こういうところだよなー」
と自分の頭を掌で叩く。
私はホッとしたことを悟られないように無表情で答えた。
「考えておくよ」
意外とこいつのことは嫌いじゃないかもしれない。
開発部の私と営業部の真壁に、仕事での接点はほとんどなかった。
しかし真壁は週に一度は誘いの電話をかけてきた。 それを私が断り、三〜四回に一度くらいの割合で断れなくなって、飲みに行くというパターンが定着した。つまり月に一度は、安い居酒屋でビールのジョッキをコツンと鳴らしていた。
話題はそれぞれの仕事や、人事の噂話、学生時代の話など、つまりなんの変哲もな い飲み屋での話だ。
話はいつも真壁が先導し、私が相槌を打ったり、質問に答えたりすることが多かっ た。
私にとってそれは非常に気楽な時間だった。場の空気を気にする必要もないし、真 壁は至極単純な性格で、私はあまり気を遣わずに思ったことを口にできた。そしていつしか、社会人生活を送る上での大事な時間になっていった。
入社して三年目、真壁に関西支社へ転勤の辞令が下りた。
それから真壁が東京本社に戻ってくるまでの六年間、私たちは年賀状の交換をする だけの関係が続いた。
「実は俺、結婚することになってさ。お前も去年結婚しただろ?四人でイタリアンでもどうだ?」
東京本社に戻った真壁が内線で連絡してきた。人気で予約が取れない店を押さえてあるという。
そして当日。
お互いのパートナーを紹介するということに、私は少々緊張していたが、そんな心配をよそに、妻と真壁の婚約者はすぐに打ち解けて、すっかり旧知の仲のようになり、それから家族ぐるみの付き合いが始まった。
同じ年に双方に男の子が生まれてからは、休日になるとキャンプや遊園地に出か け、それぞれの家でホームパーティを開いた。
それは子供たちが中学を卒業するまで続いたが、卒業と同時に真壁が離婚したこと で終わった。
会社は真壁が単身者に戻るのを待っていたかのように辞令を下した。今度は広島支 店長なので栄転だった。
四十七歳になっていた私たちは、再び年賀状の交換だけを続ける間になった。
「知ってるか?真壁のやつ、会社を辞めるらしい」
真壁が広島に赴任してから五年が経ったある日、本社の廊下で人事部の同期の男に声をかけられた。
「え?なんで?」
私の問いに、彼は表情を曇らせ、重い口調で答えた。
「癌だって話だ。会社を辞めるってことは相当悪いんだろう」
話を終えて廊下を歩いていく同期の背中を眺めながら、私は思った以上に動揺して いる自分に気がついた。
真壁が死ぬ?
悲しいのか、寂しいのか、悔しいのか。どれもが自分の感情に当てはまる言葉ではな いような気がした。
真壁にメールをすると、すぐに入院先を知らせる返信が届いた。詳しくはその時に話すと。
病室に入ると、真壁は窓際のベッドで体を起こして外を眺めていた。
「よう」
私の声に真壁はすぐに反応して振り返り、笑顔を弾けさせた。
「おお、ありがとう。すぐに来てくれるなんて嬉しいよ」
真壁はそう言いながらベッドの隣に置いてある丸椅子を指差し、私はそこに腰掛けた。
少しだけ開いた窓から新緑の間を抜けてきた風が吹き込み、ふわっと大きく一度だけカーテンを揺らした。
真壁はその風を浴びて気持ち良さそうに目を閉じた。
こいつがもうすぐいなくなるのか。あと何ヶ月だ、それとも一年くらい保つのか。 考えてみると、私たちは三十年の付き合いになる。最初は嫌なヤツだと思ったが、ここまで付き合いが続くということは、相性は悪くなかったのだろう。
しかし友達かと自問するとなぜか違う気がする。 同じ会社でここまで勤めてきたから、仲間と言えるかもしれないが、苦楽を共にした感覚もないし、もちろん同志と言うほどの志もない。 単なる同僚なだけかと考えると、今の気持ちを説明できない。
「思ったより元気そうだな」
私は努めて平然とした声で言った。
すると真壁は目を開け、私の方に向いて応えた。
「そりゃそうだよ。癌は早期発見で済んだからな」
真壁の明るい表情に思考が止まる。
「手術もチョイチョイであとは経過観察だ」
末期で長くないのではないのか?
「だってお前、会社を辞めるんだろ?」
「ああ、それな」
真壁は小さな冷蔵庫を開け、紙パックのリンゴジュースを取り出すと、ひとつを私に差し出した。
「俺さ、去年オフクロを亡くしたじゃん。それで小さいけどマンションを一棟、相続したんだよ。息子の養育費も終わったしさ、会社勤めも疲れたし、早期退職して、あとはのんびり暮らそうかと思ってさ」
呆気にとられて言葉が出ない私を見て笑いながら、真壁が話を続ける。
「あれ?もしかして心配してくれた?有難いなぁ。持つべきものは友達だな」
私は全身の力が抜けて、大きくため息をついた後に口を開いた。
「友達じゃねぇよ」
私のその言葉に、真壁は笑ったまま言う。
「相変わらず面倒くさいヤツだなぁ」
「え?どこがだよ?」
「面倒くさいよ、気難しくてさ。奥さんも時々困るってこぼしてたぜ」
いつの間に妻と私の話を。そんな私の動揺した顔を気にせず真壁が話し続ける。 「新入社員研修の時にさ、友達になろうって言ったじゃん。俺はあれからずっと友達だ と思ってるぜ」
「オレはあの時、考えておくって答えたんだよ」
その言葉に真壁が呆れたような顔をした。
「まだ考えてるのか?じゃ、俺たちの関係ってなんだよ?」
私は一瞬考えてから、なぜか笑いが堪えられなくなり、少し吹き出してから答えた。
「オレたちはオレたちだ。オレたちふたりだけの関係だよ。だからオレは、お前を友達とは呼ばない」
その言葉に真壁は二、三度頷いてから笑顔を浮かべ、
「分かった、分かった。それで良いよ」
と言って右手を差し出してきた。私は少しその手を眺めてから強く握った。
三十年の付き合いで初めて感じる真壁の体温だった。
<終>