【記憶の街へ#14】背中を押してくれた爺さん
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先日、山形県にある山に登りに行った帰り、懐かしい道を通った。
その街はボクの母の実家があって、子供の頃は夏休みの1ヶ月間をそこで過ごした。
ジリジリと灼けるような暑さにセミの声が響き、青々と茂った田んぼの用水路でカエルやイモリを捕まえて遊んだ。
その日に通った道のそばには「ゴトの爺さん」の家があった。
母の実家は親戚が多く、法事になると多くの人が集まった。
誰の法事だったか忘れたけど、それは特に大人数が集まった法事で、襖が取り払われて20帖以上になった部屋に長テーブルが並べられていた。
その端の席でゴトの爺さんは静かに酒を飲んでいた。
髪が薄くなった頭部の下の丸顔に深く刻まれたシワ、盛り上がった頬骨の部分だけが綺麗にテカり、それと同じくらいの高さしかない鼻。垂れ目をさらに弛ませながら、顔を赤らめている。
口数は少ないながら、時々ぼそっと面白いことを言う。そんなゴトの爺さんがボクは好きだった。
しかし、親戚たちからはあまり良い話は聞かなかった。
若い頃、土建屋を営んでいたゴトの爺さんは、二度ほど会社が傾いて親戚に借金をして回ったらしい。
さらに若い頃は血の気も多く、親戚の集まりで喧嘩になることも多かったという。
その法事があった当時のボクは28歳で、精神的に体調を崩して勤めていた会社を辞めたところだった。
もう会社勤めはしたくなかった。だから自営でやっていこうと思っていた。
それを聞いた母の弟たち、つまり叔父たちが「お前は何を考えているんだ」と諭し始めた。
「いいか、お前は結婚したばかりだろう?まずは食わせることを考えろ」
「両親だっていつまでも若くないんだぞ、そんな甘えた考えでどうする」
まずはパンを得てからとかなんとか、浄土真宗なのにキリスト教のようなことを言い出す。
そんな説教なのか演説なのか分からないような叔父たちの話に辟易していると、遠くからボクを呼ぶ声がした。
振り返るとゴトの爺さんで、片手で空になったコップを掲げ、もう片方の手で台所近くにある一升瓶を指差している。持って来いということだ。
ボクはこれ幸いと叔父たちの前を離れて一升瓶を抱え、ゴトの爺さんのところに行った。
「おう、悪いな」
そう言ってゴトの爺さんが差し出したコップに、ボクは酒を注ぐ。そのボクの耳元にゴトの爺さんが小声で言った。
「いいか、あいつらの言うことは聞くな。お前の好きにやれ。人生なんとでもなる。お前なら大丈夫だ」
あの時、ボクの背中を押してくれたのは、父とこのゴトの爺さんだけだった。
叔父たちが悪いわけではない。むしろ、心配して言っているとその当時でもわかっていた。
しかし、ゴトの爺さんの言葉は、ボクを勇気付けるのに充分だった。
ゴトの爺さんが亡くなったという話を聞いたのは、それから数年後、彼の葬式が終わってからだった。このご時世なので、もう遠い親戚は呼ばなかったという。
「なんとか自営でやってるよ」
一言そう伝えたかった。
そして今、ゴトの爺さんの家は取り壊され、敷地だけが残されている。
子供たちは皆、都会に出てしまったので、広い家は不要になったのだろう。
車のスピードを緩めながら走ると、庭の植木に水を撒きながらボクを迎えるゴトの爺さんの笑顔が見えた。
ボクもいつか、誰かに、こんな風に思い出してもらえるだろうか。
紅葉も終わるシーズンに、夏の灼熱が肌に蘇るようだった。